すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

昭和期の担任、勝手に語れば

2020年02月28日 | 教育ノート
 前代未聞とはこういう時に使うことを実感する。多少なりとも予想はしていたが、臨時ニュースとして伝えられた「全国一斉休校要請」には、えっと声が出た。40年近く務めた現場では、どんな混乱が起きるのだろう、自分がもし卒業担任だったとしたらどうするだろう…しばらくの間、頭を駆け巡って離れなかった。


 様々な意見や批判を目にするけれど、実際の場にいる者はそんなことより先にやるべきことが山積されている。事務的な手続きに関しても面倒を抱えることが予想される。しかしそれは、他の力を借りたり任せたりして効率的に進めればいい。一番肝心なのは子どもの心構えづくりだ。それは担任にしかできない仕事だ。


 自分なら…あくまで「昭和期の担任」としての夢想だが…「手紙を書く」ことか。もちろん通常時もメッセージは送っていた。しかし今回はその重みに違いが出る。この学年、学級へ願っていたことを少なくとも11ヶ月間は続けてきたわけだから、それとその子の関わりを綴ってみたい。良いことも悪いことも、だ。


 書き出すことによって、生まれる「問い」。おそらくそれはその子に向けられるより自分に向けられる。目を背けず、そして二人が共有できるような表現を練らねばならない。ある面では苦しく辛い情況になろう。しかし子どもに届けたいのは、いつの場合も「問い」だ。もちろん、その子のよさを錬りこんで発したい。


 憧れたM先生の通知表所見は、子を「呼び捨て」で書き、熱い願いに溢れていた。いつか自分もと思いながら一歩も近づけず機会を失った。その無念さが、今こんな勝手な文章を書かせたか。ただ休校によって物理的に十分ある(だろう)時間を、担任である重さや喜びの実感に浸るためには、この策も案外いいかも…。