すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

卒業式の日の言葉

2011年03月17日 | 雑記帳
 この任に就いて5回目の卒業式であったが、これほどの緊張感を持って臨んだときはない。

 もし余震があればどうするか、前日に打ち合わせをし、どのあたりが中断の目安かなども話し合った。

 たくさんの来賓、保護者がいるわけだが、移動や避難をどうするか…考えてみれば、ふだんからそのことは意識しておかなければならないのだが、私たちがいかに日常の安全に慣れきっているかを痛感する。

 ともかく、無事に終了できた。
 http://miwasho.blog68.fc2.com/blog-entry-441.html

 式辞では大きくは震災には触れなかったが、昨年集会で紹介した「じぶん」という絵本の文章を読んだ。
 それは「考えたことがありますか じぶんにできることを」で始まる。
 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%98%E3%81%B6%E3%82%93-%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%B8-%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%95-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4265038697

 そのあと恒例の祝賀会ができないので、セレモニーだけでもと保護者の方々が企画した会に招かれた。
 そこでは、つい先週の新聞で見かけた記事を引用しながら、卒業生に激励の言葉を送った。

 「安全・安心な環境の中では本当の学ぶ態度は身につかない」という養老孟司氏の言葉を借りながら、こんなことを喋った。

 「今、被災地では、君たちと同じ小学六年生が卒業式もできないままに、避難所で暮らしているかもしれない。しかし、学校に行けなくとも、その人たちはきっと真剣に何かを学んでいるに違いない。君たちには中学校という場所がある。負けないようにいろいろなことを学んでほしい。」

「天罰」…敵か味方か

2011年03月16日 | 雑記帳
 政治家の放言問題は、マスコミが作り上げる要素が大きく、さほど関心がなかったが、今回は憤りを感じた。

 http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20110314-00740/1.htm
 
 そもそも「天罰」とは何か。
 
 【天罰】天のくだす罰。自然に来る悪事のむくい。~広辞苑

 天罰という言葉を使うとき、その対象は大きく二つだろう。
 
 一つは、敵に対して放つ。
 「あの悪党らに天罰がくだった」という言い方で。
 
 もう一つは、自分いわば当事者が強く感じてしまう。
 「天は、私たちに罰をくだされたのだ」という思いを。

 某都知事はどちらにあてはめて、この言葉を出したのだろうか。
 敵と見なしているとは思いたくないが、そういう突き放した発言も時折きくので、そうなのかもしれない。
 自分も当事者であるというならば、この後の働き具合に大いに注目してくれ、ということか。

 それにしても、この言葉を被災地の方が耳にしたときの感情を想像できないのだろうか。
 我が師はこの知事を高く評価しているが、今回は話にならないと思う。
 師がいう「言いたいことよりも、言うべきことを」の精神と全く逆ではないか。
 
 世の中に言ってはならない言葉は多くないかもしれないが、時と場合を考えることが最低の条件でもある。
 そんな自制のない言葉遣いでトップが務まるものなのか。

 今は批判などしている時ではない、また「寛容」の精神が大切だという。
 それらを承知しながら、私も結局言いたいことを記したのかもしれない。しかし、これは言うべきことという思いも強い。

月曜日、なぜ…なんのために…

2011年03月15日 | 雑記帳
 秋田県内は、県立高校が全部休校。
 小中学校は六割ほどが休校であるが、勤務校は給食なしとはいえ午前は普通どおりとした。
 http://miwasho.blog68.fc2.com/blog-entry-440.html

 予想もしなかったことだが、子どもたちの前で話し始めたらぐっとこみ上げるものがあり、何度か話につまることがあった。
 こんな経験はしたことがないなあと思う。
 卒業式練習で全体が集まる場で、黙祷や節電のことをひと通り淡々と話すつもりでいたのだが…直接的な被災はうけていないものの、自分の心も少しダメージをうけているのかもしれない。

 繰り返される悲惨な場面、刻々と危機的な状況を伝える報道…見ない方が心の平静を保てるとわかっていても、つい見入ってしまう。そんな感覚はいったいなんなのだろうと思う。
 自分がかつて暮らした街、近親者が避難して近くにいること…いや、まだそれ以上の何かが目を背けさせないような気がする。

 今回の震災について、それぞれの学級で取り上げて話をしてくださいと、朝の打ち合わせでもお願いした。もちろんもう既に通信などで自分なりのメッセージを伝えようとしている職員もいた。

 ただ、今の状況で事態を把握できるわけもなく、安易な精神論で終わってしまってはいけないわけで、そのあたりは教育に携わる者として慎重でありたい、そんなことも付け加えた。

 様々な対応、動きが始まっているが、自分の心がその全てを納得しているわけではない。

 安全な場所にいる者は、いろいろと口にするが、それはいったい何のためか誰のためか、常に心に問いかけたい。

地震が起きた日

2011年03月13日 | 雑記帳
 パソコンに向かって、学校ブログにその日の卒業バイキング給食の様子を書いているときでした。
  http://miwasho.blog68.fc2.com/blog-date-20110311.html

 胸ポケットに入れてある携帯電話が、聞いたことのない音を出して鳴り始めました。
 取り出して画面をみると、「宮城県沖地震」という文字がくっきり見えます。
 えっ、何と思いました。
 すぐに立ち上がり隣の職員室へ向かうと、職員の机の上にあるらしい携帯電話からも同じ音が鳴っているようです。「地震」と口にした直後に少しずつ揺れ始めました。横揺れです。

 職員室の中には、数人の職員と四年生の女の子が二人いました。
 揺れが続く中でしたが、教頭先生が校内放送で指示を出します。
 女の子たちの声が徐々に大きくなりますが、しゃがんでいるように、大丈夫だと声をかけます。
 なかなか横揺れが止まりません。一昨日のドック入院中にも長い地震がありましたが、それとは比べ物になりません。
 悲鳴めいた声も聞こえてきました。

 揺れがおさまり避難指示を出すことになりますが、すぐに停電となり、緊急放送もできません。
 ハンドマイクをとって、階段の下から上に向かって、避難開始を叫びます。外は雪がちらついているので、外套を持ってでるように付け加えました。
 校庭にはまだ二メートル程度の積雪があり、とても入っていけないのですが、できるだけ建物から離れて整列するように指示しました。あまり滞ることなく全員の安全確認ができました。

 すぐに情報収集しようと考えました。
 学校のラジカセの電池は古いようで、その交換に少し手間取っているようです。自分の車に、手回し充電のあるラジオがあることを思い出し取りに走りました。
 低学年の下校時刻がせまっていたので、保護者の方々が数人車で駆けつけてきました。
 三陸沖が震源、ずいぶんと大きい、津波の警報が出ていることなど確かめ、いったん校内に入れようとすると、余震があります。
 やむなく少し待ったのですが、湿った雪が降り続く状態には置かれないと判断し、校内に入りこの後の指示を待つ形としました。

 とりあえず人的被害も大きな物的被害もありません。
 連絡手段がないので、巡回してきた教委職員にその点を伝えました。
 ただ、細かい余震は続いていて、子どもたちがいるなかで職員集合をかけることもできないままでした。時間はかかりましたが、それぞれに今後の下校や待機について連絡して体制を整えます。
 集団下校できる子、個別に迎えがある子、帰宅しても誰もいない子と様々です。職員も分担して見回りや待機をしました。
 停電が続いており、水道も細くなっています。当然暖房もきかないままです。放課後の学童教室も校内に設置されており、結局全児童帰宅は六時少し前となりました。
 その後教育委員会に出向き、今後の確認をして学校へもどり、残っている職員とこれ以降の打ち合わせをして、帰宅することに…。

 交通信号も止まって、もちろん停電も復旧しません。
 結局、自宅も学校も12日夜つまり約30時間後に復旧となるのですが…隣県などの悲惨な状況をラジオで聴きながら、かつてないほど闇が続く中で、いろいろ考えたこともありました。この後、メモしておこうと思っています。

 ただ、昨夜見ることができるようになったテレビに映された光景は、何をどう考えればいいかと思わせるほどでした。
 多くの方々のご冥福と、いち早い復旧を祈ります。


ドックのベッドでベストセラー

2011年03月11日 | 読書
 仕事の都合で延期してもらった人間ドッグが今の時期になってしまった。ジタバタしてもしょうがないので、読書に勤しもうと三冊の本を持ち込んだ。
 
 一つは軽い小説で、あとは以前から気になっていたが読めずにいた本である。
 まずは
 
 『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄 中公新書)

 かなり前のベストセラーである。多くの書評を目にしていて、いつかはと思っていたが、どうも理系のものには腰がひける。
 この新書も一章、二章ぐらいまではかなり引き込まれたが、段々と数式がいっぱい出てきたりして、正直読み飛ばしも多くなった。
 しかしそれでも、かなり興味深い事柄が随所にあったことはメモしておきたい。

 一つは「島の規則」ということ。動物のサイズに関する古生物学上の法則の一つらしい。
 島では体の大きい動物は小さくなり、逆に小さい動物は大きくなる。そういう変化の方向性は捕食者との関係によって決まってくる。
 著者はこれが人の発想や考えにも共通性があるのではないかと思いを巡らせている。大陸と島国との比較である。実に面白いと感じた。

 次は「技術の評価」ということである。
 
 技術というものは、次の三つの点から、評価されねばならない。(1)使い手の生活を豊かにすること、(2)使い手と相性がいいこと、(3)使い手の住んでいる環境と相性がいいこと。

 これについて動物学から産業革命まで論が及び、肯かされた。
 そして私の問題意識の一つに大きく関わるように感じた。
 つまり、それは教育技術にも当てはまるのかもしれないということ。いつか、もう少し細かく論じたい。

 時間と空間と力のとらえ方という、本書の中核に迫る考えの部分も面白く読めた。
 人間は空間認識はよくできるが、時間感覚はあまり発達していないと言う。そう言われてみて、はたして「時間感覚」とはなんだろうという根本的な疑問もわいてきて、また楽しかった。

 人間や現在の生活との比較が持ち出されると、文章が実に生き生きと感じられるのは、やはり読み手(私)の傾向なのだろう。動物の中の人間にしか興味がないという狭い了見なのだなあ。

遠くから聴いていたユーミン

2011年03月09日 | 雑記帳
 例の芥川賞作品の載っている月刊誌をめくっていたら、「時代を創った女①」という新連載のページがあり、松任谷由実が取り上げられていた。

 ファンというほどではないが、暇を持て余していた学生時代に聴きこんだアルバムとして『MISSLIM』それに『ひこうき雲』を外すことはできない。
 今ではさほどでもないのだろうか、80年代からユーミンのコンサートはプレミアムチケットで、地方にいる者が手に入れるのはなかなか困難だったし、お目にかかれる存在ではなかった。

 しかし(軽い自慢だが)私はユーミンを見たことがある。

 あれはたしか、1974年、秋。(なんとベタな書きだしだ)
 仙台市内の某大学祭のゲストとして登場したのが荒井由実である。黒い衣装に、黒い大きな帽子の印象がある。体育館のような場所で、ピアノの弾き語りをした。
 高校時代からコンビ(デュオと言わないところが時代だ)を組んでいた友人があまりに強く薦めるので、何の気なしについていったのだが出会いとなった。

 これは今までにない「音楽」だと感じた。拓郎や陽水、かぐや姫…当時の売れっ子フォークとは全然香りの違うものだった。大学に入り立ての自分にとって、それはもしかしたら「都会」という響きそのものだったかもしれない。ギターのコードがそれまでと違うことが一つのショックでもあった。

 「海を見ていた午後」「空と海の輝きに向けて」「ベルベット・イースター」…恥ずかしながら自分の曲作りも影響を受け(真似したと言いなさい)、女性ボーカルを配したバンドまで作ったではないか。

 月刊誌の記事には、ユーミンの先の二作は売れ行きが低調だったと記されている。それはきっとその後の爆発的な売れ行きと比してだと思う。あの二作は当時の若者には衝撃だったはずですよ。
 細かい経緯はあるもの、その後の80~90年代、まさに時代を席巻した感のあるユーミンは一貫して都会の音楽であったし、その頃はもう地元へ帰った自分も多少は聞いたが、やはりあの二作で止まってしまったんだなと降り返ることができる。

 そう言えば、まだ70年代だった頃「いちご白書をもう一度」というバンバンに提供したヒット曲があって、これをどこかの女子大コンサートに招かれゲストで唄ったのが唯一のユーミンソングレパートリーだった、という今となっては気恥ずかしいようなことも思い出してしまう。いかにも田舎者が流行りに染まって傍から見たら滑稽としか思えない話だ。
 その「いちご白書」で結局ユーミン熱も醒めたのかなという気もする。
 ♪就職が決まって…象徴的だ。やはり、いつまでも遠い存在なのだなと思う。

 記事を読んで一つ面白かったのが、コンサートで最も人気の高い曲が「DESTINY」だということ。これは確か79年あたりではないかと思う。これは本当にいい曲で、好きだなあ。ベスト3には入る。
 松任谷正隆氏によると「今日に限ってどうして安いサンダルを履いてきちゃったんだろうという間の悪さ」を表現していて、それは「普遍的感情」なのだという。その通りだね。あの切なさは。

 その意味で、時代を創る人に共通する感覚、資質がそこにあるかもしれない。
 またしても遠い。

負の言葉と向き合う

2011年03月08日 | 教育ノート
 去年と同じように、卒業生の「一言集」を学校報に載せる計画を立てている。

 始めたときに「B面の思い出」と洒落たタイトルをつけたのだが、
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/eba53cd03e671bf30147c4d3a7805e9b

 今年は、もっとひねって「思い出のB面」である(どこがひねってるんかい!)

 同じ設問をぶつけてみたら、まあ似たような答が返ってくるのだが、ちょいと気にしてみたい文章もなかにはある。

 「学校に来て、一番にがてな時間はいつ?」という質問である。
 不得意な教科や諸活動が出てくるのは当然、予想通りといっていいのだが、こんなことを書いた子どもがいた。

 一時間目。理由は、今日がまだ始まったばかりだと思うからです。

 似たような回答が複数あった。
 書いた子どもたちを思い浮かべると、何か取り立てて大きな問題を抱えているというわけではない。考えてみるに、やはりこれは今どきの小学生(まあ高学年でしょうが)なら誰でも書きそうなことかもしれない。

 そういう負のエネルギーを撒き散らすとすれば問題なのだが、ぼそっとつぶやく程度であれば、それはそれとして見守ったほうがいいという思いがある。

 例えば「学校は楽しいですか」といったアンケートには低い評価をつける子が、数パーセントあってもそれは仕方ないのではないか。
 そういえば、名古屋での研修会のときにパネリストのお一人が、「一定の数値を越えているアンケートの結果を、100パーセントに近づけようとすると、その努力は弊害になる」といった内容のことを口にされた。深く肯いたものだ。

 目くじらを立てて対策を練るより、今度その子にあったらどんな言葉をかけてみようかと考えた方が、楽しい。直接こんな言葉は使わないが、心の中はこんな調子で煽ってみる。

 始まりが一番苦手なら、時の経過はもうすでに君の味方である。
 君は書写の好きな言葉を書くという学習で、「金曜日」と書いたっけなあ…。好きな金曜に向かって時は流れていくのか。
 良くなる一方の一日、一週間を過ごせる学校なんて、素晴らしいことじゃないか。羨ましいなあ。

思い出したように読書日記

2011年03月07日 | 読書
 たしか一月から読み始めたんじゃなかったかなあ。通勤バッグに入れたけれど、どうしたわけか遅々と進まず、ようやく昨日読了したのが

 『日本語作文術~伝わる文章を書くために~』(野内良三 中公新書)

 ひと月ほど前、ちょっと引用して書いたこともあったはずだ。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/7b0f914ecc6c9f9d762f948c60300a0e

 この新書は実に明快である。
 「実用文」を書くために「型」を重視する。そのこと自体は珍しくないだろうが、特に「定型表現」を使いこなすことに大きくページが割かれている。
 普通なら、避けなさいと忠告されることの多い定型表現だが、その効用は意外に大きく、存分に利用するべきと論を進めている。
 最終章に著者が集めた定型表現が集約されており、それ自体も読み応え(知らない句が多数あり)がある。

 
 この書の中で、定型表現が上手いとされた宮部みゆき。もちろん超のつく有名作家だが、今まで縁がなかった。
 昨年末、野口芳宏先生と小宴をご一緒させていただいた折に先生の口からその名前が出たように記憶している。
 ここは手頃なものを一つと、手にとったのが

 『今夜は眠れない』(中央公論社)

 二十年近く前の作品。
 どんな評価か知らないけれど、さすがベストセラー連発作家である。推理小説のような展開でぐんぐん惹きつけられた。定型表現を探して読み始めたわけではないし、実際そんなに感じなかった。
 しかし改めてぱっと開いたページで探してみると「眉をひそめながら」「心得顔で」「耳をそばだてた」…やはり結構見つかる。
 何かこれで文章のリズムを整えている節があるのだが、そんなに単純ではないだろうか。


 さて、最近読んだ中でもっともいいなあと思ったのが、

 『彼らの流儀』(沢木耕太郎 朝日新聞社)

 90年代に朝日新聞に連載したコラムがまとめられた本である。
 遠い昔に、沢木耕太郎のノンフィクションを読んだような気もするのだが、ほとんど初めてと言ってよい。
 これは良かった。105円!では申し訳ない感じである。
 著者の周囲の人、また仕事を通じて知り合った人などのエピソードが実に鮮やかに描かれている。
 自分はこの手のノンフィクションに惹かれるということを改めて感じさせられた。長編にも手を伸ばしてみようと思っている。

こんな日に『苦役列車』

2011年03月06日 | 読書
 過日、ある人に「『苦役列車』読みましたか?」と訊かれた。
 芥川賞作品をすぐに手にするほど文学好きでもないし、その人も取り立てて感想を口にしなかったので、それだけのやりとりだったが、書店で某月刊誌が平積みされていて、つい買ってしまった。

 賞の発表があったとき作者のことはずいぶんと話題になり、新聞や雑誌などに取り上げられていたので目にしていた。それはずいぶんと興味深く感じたものだ。

 中卒・日雇い労務者・逮捕歴、そしてある私小説家の全集の発刊を目的にしていることなど、「破滅型」と名づけていいものかわからないが、最近出てくる作家として異色なことは確かだろう。

 出だしの一行から、まず躓いてしまった。

 曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へ立ってゆくことから始まるのだった。

 「曩時」は「のうじ」とかなが振られているが、いったいどういうこと。出だしの六文字は状況?地名?人名?。文末までいくと、人名だとわかるが、どこから?ということになる。
 主人公が貫多であることは、すぐにわかった。しかし名字が北町と出てくるのは結構経ってからである。
 すると問題は「曩時」。
 わからないまま進んでも別に支障はないが、気にかかるのは確かだ。
 さらに意味はわかるがほとんど使われない「年百年中」。これも意味は想像できるが、目にすることはない「後架」。
 こういう感じのことばが、ぼつぼつと出てきて、それらが吹出物のように妙にボツボツとした印象を与える作品である。

 内容はいわば人間の弱さとか醜さをどこまでも書き綴っていく。自分が抱いたことのある感情とシンクロする部分もあるし、人物の存在感の濃さは確かに面白さを感ずるが、そのエネルギーのやり場のなさに見通しがつかず、読後感はけしていいものではない。

 「だから、なんだ」と思ってしまうのは、小説読みとしては自分はやはり低級なのかもしれない。
 ただ審査員の選評に目を通したら、ああ同じ感じと思う箇所があった。高樹のぶ子の文章である。

 小説としては「何かが起こる(内的な変化)」のために、このような人物を描いて欲しい気がする。

 書き手として立ち位置が違うからと括れることだが、読者もまたそれを選んでいくだろう。自分はあまり読まないかもしれない。

 こんな日に…もうあまり目出度くはない誕生日ということだが…苦役がつながっていく未来を想像したくはない。

耳のよい木がわが庭に

2011年03月04日 | 雑記帳
 雛祭。
 耳の日。
 耳から連想する一つの言葉がある。

 耳のよい木

 しばらく前にNHKの短歌番組をずっと見続けたことがあり、その選者の一人だった河野裕子の歌にそんなフレーズがあったことを思い出す。
 河野は、昨夏病に倒れ他界している。質素でありながらどことなく品のある、そんなイメージのある女性だった。

 「耳のよい木」という発想は新鮮さがあったし、それでいて何か日本人であれば共通する感覚ではないか、とそんなことを思う。

 三月に入りまた雪が少しぶり返しているが、小さな芽吹きはもう始まっていることだろう。
 また今年の大雪で多くの木が傷つき、早く癒せる温かさを待っている気がする。

 学校では、お終いの式に向けて練習が始まった。
 全てがうまくいったわけではないが、それでも良き締めくくりを目指して子どもたちの気持ちを一つにするため、教師の声が響いている。

 芽吹きだしている樹木たちは、そんな姿を見聞きしている。
 春が来ていると思う。

 河野は、こんな歌を詠んでいたのだった。

 捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり