すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

松の内軽読書

2016年01月08日 | 読書
 『秘密と友情』(春日武彦・穂村弘 新潮文庫)

 今年の初読了は、精神科医と歌人の対談本。
 それぞれのテーマの前に新明解の語意が載っていて「読書」について、「・・・時間の束縛をうけること無く、本を読むこと」と表現があったことに驚く。
 それを地で行く穂村は、電車内で読み終わらない文庫本を駅ホームのベンチで読み続けていたら、同僚に驚かれたという。
 この二人は「世界音痴」と称していい方々かもしれないが、実は物事の本質にそって生きているのだということが、14回を通した対談全編から伝わってくる。きっと付き合いにくい(笑)人たちだ。



 『○に近い△を生きる』(鎌田實  ポプラ新書)

 この著にあるメッセージがストレートに伝わってくる、秀逸な題名だ。
 ふと連想したのは、筑波で長期研修をしたときに聴いた一言。たしか「唯一解ではなく、特殊解へ」といったことだった。
 学校現場における諸問題対応はその典型だし、それは授業の一断面においても、徐々に強調されている面だと思う。
 著者は様々な事例を出しながら、○(正解)に近い△を探し、生きていく重要性を語る。さらに○以上に価値のある△についても言及する。
 つまり、その図形は他からの評価に過ぎないが、それを受け入れる度量も示している。



 『日曜日たち』(吉田修一  講談社文庫)

 もしかしたら以前読んだかなと思ったら、案の定2009年の夏に読んでいた。しかしメモしたことと違った感触を得たのも確かで、読書とはかくも面白いものだと感じる。
 この連作短編集で共通しているのは二人の兄弟の登場。この仕掛けは、いわば社会の底辺的な境遇にある兄弟に対して、人はどう接するのかという一つのサンプルと言えるだろう。
 他者を見る、接するという行為はつまるところ自らの心性を見る枠組みの一部分だ。
 「つながる」とは美辞麗句でなく、現実なのだ。

煌言6~逡巡する時間

2016年01月07日 | 読書
☆経営は教育を補強し、強化するために必要だが、経営の論理が教育に取って代わることはできない。経営は基本的に合理だし、教育は非合理を抜きがたく組み込んでいる。(略)教育を合理的(経済効率的)にすれば、教育や人間の持つ非合理性を排除するから、かえって、教育や人間は不安定になる。
 諏訪哲二『間違いだらけの教育論』(光文社新書)


 不安定になった教育や人間が向かう先はどこか。
 それらも合理的な枠組みの中で処理されていくのだろうか。

 合理は、幸せを求めるための考え方である。
 生産性を高める、能率的に物事を行う…それは真っ当なことであるが、それだけを正当化してしまうと、きっと「幸せの質」という根本的な問題に突き当たる。

 今、仕事場で、私たちが合理的に解決しようとしていることと非合理も認めなければならないこと…その間で逡巡する時間に意味がないとは言えない。

煌言5~負の遺産を照らし合わせる

2016年01月06日 | 読書
☆学力を向上させるためには次の負の遺産を清算しなければならない。
 「新学力観の負の遺産」「戦後教育の負の遺産」
 これができなければ、「保護者の社会階層」間による子どもの学力の差が拡大するだけである。

 大森 修『現場の学力向上運動』(明治図書)


 表面きって取り上げているかどうかの違いはあるが、「子どもの学力の差の拡大」が現場にとって課題の一つであることは否定できない。
 その重要な要素として家庭環境が挙げられることもまたしかりである。

 もはや死語めいている「新学力観」や「戦後教育」。
 しかし、教える立場の者たちはどっぷりと戦後教育につかり、新学力観に振り回されてきたことも確かである。
 現状と「負の遺産」とを、照らし合わせてみることは意義がある。

煌言4~寛容さというレベル

2016年01月05日 | 読書
☆ひとつの欠点の指摘で、若者の可能性の芽を摘み取ってしまわない寛容さが、大きく言えば教育の未来を拓くのだと思います。子どもたちは多くの欠点には目をつぶっても、ひとつの良さに注目して自分の成長の糧とする天才です。
 副島 孝『「学び合う学び」と学校づくり』(PLANEXUS)


 欠点を指摘することは大事な指導の一つではあるが、その行為をもう一つ高いレベルで認知する必要がある。
 そうでないと、むやみに繰り返したり、否定的な感情を載せた言い方になったりする。
 それは、可能性の芽を弱らせ、時には摘み取ることに通ずる。

 芽を伸ばす力をつけるのが教師の役目。
 「糧」となる働きかけには、些細に見えるが忘れてはいけない原則がある。

年末年始、棒のごとき風景

2016年01月04日 | 雑記帳
 終業式後の忘年会ではとことん酔ってしまい、また翌日のダメージが酷く、立ち直りに時間がかかった。その間に今までの少なさを挽回するような降雪が続いた。「雪の降らない心配をする必要はない」をまさに実感しながら、少しずつ年末の片づけモードに入る。取りかかりは、机や書棚に散らしてあるCD整理から。


 今年はさほど購入しなかったが、ずいぶん溜まったなあ、PC保存を計画的にしなくてはなあと思いつつ、いつも手をかけられないでいる。本や雑誌もまったくその通りで、単なる場所の移動に終わる。もちろん今後を意識していくらか段ボール詰めをしたが、まだまだ1割程度か。年末のいつもの風景と自嘲する。


 大晦日は穏やかな天気。PCや携帯で新年会の連絡、期限付きポイント処理など。友人のご母堂逝去の知らせあり。その後しばし今年のふりかえり。仕事面では周囲の方々に感謝するばかり。私的には大きな出来事の連続であった。台所では、家人が娘二人へおせちの作り方を伝授している。時はこうして流れていく。


 元旦もいつものように近所の社に初詣後、年賀状整理。午後から少しのんびりし、夕刻から恒例の実家新年会。ここも世代交代が近い。姪の長男の一挙一動に一家の眼差しが注がれ、老いた母も顔を和らげる。年末からの飲み続けなので控えようと思ったが、評判の高い生酒の初しぼりや焼酎などを煽ってしまい、反省。


 だらりと8時から駅伝を見続けるのも、いつもの1月2日。「ハッピー大作戦」の言葉通りの青学快走。ドラマ性が少ないので、実況アナウンサーが無理矢理に物語を作り上げているような印象だ。午後からは恒例の書初め。今年の一字を「改」と決めた。4月になれば自ずと迫られるが、前向きに過ごして締め括りたい。


 3日「山下り」でも波乱は起きなかった。勝負は見えたと思いつつ、学校の体育館へ。剣道スポ少が稽古初めをしている。卒業生である中学校剣道部も参加して気合の入った練習、試合をしていた。剣道の「一本」はクリーンヒットということか、と今さらに気づく。快心の一本を決められたらいいなと密かに想う。



煌言3~「好きな大人」が支える

2016年01月03日 | 読書
☆良い教育を成り立たせるための条件は、子どもたちにとって「好きな大人」がいることです。学校でも塾でも地域にでも「好きな大人」がいれば、大人を信頼できる。大人への信頼と尊敬があれば、子どもたちは大丈夫です。
 角田 明『人は人によりて人になる』(MOKU出版)


 「好き」という感情の湧きあがり方は、子ども個々によって多少は違うだろう。
 そう考えると、すべての大人に可能性はあるといってよい。

 誰かにとっての「好きな大人」には必ずなれるはず。
 その価値はとても大きい。そしてそれこそ未来を支えていく。

煌言2~自己を問う場の衰退

2016年01月02日 | 読書
☆現代に最も必要な要素は、(略)「自己評価・自己吟味能力」である。これを欠いた「自己教育力」は、「自己」そのものの質を問わず、ただその結果に表れる独創性や独自性のみが重視されるだけで終わる。
 安彦忠彦『新学力観と基礎学力』(明治図書)


 国の審議会委員も務めた安彦氏の、およそ20年前の言が実際のカリキュラムや教育現場に現在生かされているかというと、少し心許ない。

 特に「『自己』そのものの質」という観点での、実践や評価は甘くなっているのではないか。
 おそらくは現代社会、企業等が求める人物像の刷り込みが影響しているし、それはまた、教師自身が自己を問う場の衰退という傾向に、まっすぐに結びついてしまっている。

煌言1~人間の回復を願う

2016年01月01日 | 読書
☆教科書にあることをにぎやかには話し合わせれば授業になると考えていたのかもしれない。願いがないから、にぎやかであっても、人間そのものを根本から揺さぶることができない。一見、にぎやかないい授業に見えても、「人間の回復」にはつながらないのだ。
 東井義雄『いのちの根を育てる学力』(国土社)


 転任した学校で初めて教務主任を命ぜられたとき、F校長から週予定表に「ことば」を加えるように言われた。
 本や雑誌の引用でいいから…という一言に少し安心したが、これは正直結構きつかった。
 毎週それが続くことは、何かしらの読書や情報収集が必要なことだった。

 今なら難なくクリアできる、そんなことにも何かしらの出発点があり、多少の障壁を乗り越えてきた。