和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ブログの先達。

2007-10-13 | Weblog
徒然草の中に「仁和寺(にんなじ)のある法師」が登場する第52段があります。一読印象深く、こうしめくくられておりました「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」。ちなみに、この「先達(せんだつ)」の意味はどうだったかというと「山伏たちが峰入りする時、一行の先頭に立って導く修験者。ここでは、案内役の意」(岩波文庫「徒然草」より)。

近頃、山川健一著「【書ける人】になるブログ文章教室」(ソフトバンク新書・2006年11月)を読んだのです。まずは、ブログ案内役としての著者略歴を引用しましょう。
「1953年生まれ。小説家。・・デジタルカルチャーへの造詣が深く熱心なマックユーザーとして知られ、・・現在は、サイバーエージェント系列の出版社であるアメーバブックスで取締役編集長を務め・・」とあります。

それでは、ブログ案内役の前口上。

「ブログはしょせん『日記』にすぎないという意見をよく聞く。しかし、じつは『日記』文学や随筆こそは日本に独特な、豊かな文学の母胎なのではないかとぼくは思うのだ。日記がジャーナリズムに劣るという発想は、どこか貧しい。・・」(p25)。
そしてあとがきには
「そしてこれだけは断言できるが、才能を欲しいままにしてパッと散る人生よりも、だらだらと書きつづける人生のほうがはるかに楽しい。出会いだって多い。【書ける人】を目指して努力する日々はいつでも輝いており、飽きることがなく、30年ぐらいあっと言う間だ。」(p240)

【飽きる。飽きない。飽きることなく】ということで案内役は、こういう角度から語りかけます。

「ぼくは、自分はきわめて飽きっぽい人間だと思っている。だが50年以上この自分というものと付き合っているが、今のところ飽きたことがない。誰でも、そういうものなのではないだろうか。そして、原理的に、自分に飽きない限り文章を書くことに飽きるはずはないのである。ブログの更新に飽きたというのは、じつは文章を書くことそのものに飽きたのではなく、文章を書く技術の進歩が滞っているからではないだろうか。少なくとも、そう疑ってみる必要はある。」(p80)


さて、読者がこの【滞り】に注意が及ぶとですね。それにたいする、さまざまな先達からの励ましを、この新書のところどころから聞くことが出来る仕掛けになっております。
ここでは、私が読んで気づいた【励まし】を、ちょいと取り上げてみます。

「何人かのミュージシャンが集まり、基本的なキーやコードだけを決めて、即興演奏を楽しむのである。何かについて文章を書く作業は、このジャムセッションによく似ている、とぼくは思う。・・・ミュージシャン達と、素晴らしい即興演奏を繰り広げること。それが、文章を書くという行為なのだ。すると、そこで不思議なことが起こる。相手のミュージシャンのことが鮮明にわかってくるにつれて、自分のこともわかってくるのである。」(p78~79)

【そこで不思議なことが起こる】という箇所は、たとえば、登山中に、思いもかけぬ眺望がひらけるような瞬間にたとえられるでしょうか。それでは登山で一歩も前に進めなくなった時、不安になった時は、どういう心構えを持てばよいのか。それを語った箇所もあります。

「今書いている自分のブログを信じてやるべきだし、それを書いている自分を信じてやるべきだ。もうやめたいなんて悩んでいたとしても、まだ書き終わっていないその作品を愛してあげられるのは、とりあえず自分だけしかいないのだ。・・・・そして、自分が書いたのと同じ質量をもって他者はその作品を読むことが可能なのだ。そう確信することなしには、やはり一行も書けないものだと思う。これは、気持ちの問題をいっているのではなく、表現というものが原理的にそういう可能性を内側に秘めているということだ。読み手は書き手と同じ高みまで行けるはずなのである。だから、本というものを読むという行為が成立するのではないだろうか。」(p212~213)

他にブログノート説とか、ブログ町医者説とか、さまざまな角度から、このブログの先達の貴重な励ましの言葉を聞くことができます。そういう意味ではブログ継続の常備薬として置いといて、忘れた頃に服用するのもよさそうです。
そうそうこんな箇所もあるのでした。
「途端にアクセス数が落ちる。これも悲しい。ランキングがちょっとでも落ちると一日何もやる気がしない、という人は案外多い。」
へ~こんなことまで書いてあると、思わず笑ってしまいました。

ということで、ブログ継続常備薬としてご家庭に一冊。
藁をもつかみたいブログ体験者へ、平常心のありかを教えてくれる一冊。

そういえば、こんな箇所がありました。そこには【普通の人間・普通の人々】宣言が語られております。最後にそこを引用して終わります。

「大切なのは、自分の立ち位置をはっきりと決め、優越感と劣等感の両方から自由になり、『普通の人間』として心を込めて文章を書くことではないだろうか。・・開き直らず、落ち込まず、『普通の人間』としての優しさとタフネスを持ち、心を込めて書く。それが大切だとぼくは思う。・・・ぼくが言いたいのは、すべての人が共通の言葉を使用しながら、しかし万人に共通する文章修業の方法はないということだ。だが、ここが言葉というものの素晴らしいところだと思うのだが、一般的な文章訓練の方法なんて存在しないにもかかわらず、その結果生まれた言葉はすべての人が共有することができる。」(p70~73)
コメント
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