茨木のり子詩集「歳月」と、永瀬清子著「短章集」を読んで思い浮かんだことを、この前「狐の歳月」(10月17日)と題して書きましたが、もうすこしつけ加えておきます。
花神ブックス1の「茨木のり子」に
「三浦安信・のり子夫婦」と題した岩崎勝海氏の文が載っております。
夫婦ぐるみで茨木のり子さんご夫婦と交際があった記録として読みました。
それによると、茨木のり子さんの夫・安信氏は1961年に蜘蛛膜下出血。
そして1975年5月22日肝臓癌で亡くなっております。
この本には最後に年譜が載っており、それについても確認が容易です。
1975年1月。詩「自分の感受性くらい」を雑誌掲載。
1975年5月。夫死去。
1977年3月。詩集「自分の感受性くらい」刊行。
1979年10月。「詩のこころを読む」刊行。
岩波ジュニア新書の茨木のり子著「詩のこころを読む」は、
各項目で区切られており「生まれて・恋唄・生きるじたばた・峠」ときて
最後が「別れ」となっておりました。その「別れ」に
永瀬清子の「悲しめる友よ」が引用されていたのです。
ここでも引用してみたいと思います。
悲しめる友よ
女性は男性よりさきに死んではいけない。
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。
男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、
あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、
さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、
女子大学で教えないだけなのだ。
短章集2『流れる髪』
この引用のあとに、茨木さんの解説がつづくのでした。
「愛する人を失って悲嘆にくれる友人をなぐさめる形になっています。なくなったのは、友人の恋人か夫かわかりませんが、なぐさめ励ましたいという作者の願望が、真底からほとばしり出て、ついに『これらの事はどこの田舎の老婆も知っている事であり、女子大学で教えないだけなのだ。』という、実に痛快な結論に達してしまいます。・・・・女が生き残った場合はなんとかさまになっているのはどうしてだろう、折りにふれて考えさせられてきましたが、『悲しめる友よ』を読んでから、いい形をあたえられたようで、ひどくはっきりしてきました。・・・」(p209)
詩集「歳月」に、「椅子」と題した詩がありました。
そのはじまりはこうなっております。
――あれが ほしい――
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
・・・・・・
・・・・・・
そう。これを読めば思い浮かぶのが
1999年10月に出た詩集「倚りかからず」でした。
最初の2行は
「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」とはじまり
詩「倚(よ)りかからず」の最後の3行は、こうでした。
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
花神ブックス1の「茨木のり子」に
「三浦安信・のり子夫婦」と題した岩崎勝海氏の文が載っております。
夫婦ぐるみで茨木のり子さんご夫婦と交際があった記録として読みました。
それによると、茨木のり子さんの夫・安信氏は1961年に蜘蛛膜下出血。
そして1975年5月22日肝臓癌で亡くなっております。
この本には最後に年譜が載っており、それについても確認が容易です。
1975年1月。詩「自分の感受性くらい」を雑誌掲載。
1975年5月。夫死去。
1977年3月。詩集「自分の感受性くらい」刊行。
1979年10月。「詩のこころを読む」刊行。
岩波ジュニア新書の茨木のり子著「詩のこころを読む」は、
各項目で区切られており「生まれて・恋唄・生きるじたばた・峠」ときて
最後が「別れ」となっておりました。その「別れ」に
永瀬清子の「悲しめる友よ」が引用されていたのです。
ここでも引用してみたいと思います。
悲しめる友よ
女性は男性よりさきに死んではいけない。
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。
男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、
あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、
さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、
女子大学で教えないだけなのだ。
短章集2『流れる髪』
この引用のあとに、茨木さんの解説がつづくのでした。
「愛する人を失って悲嘆にくれる友人をなぐさめる形になっています。なくなったのは、友人の恋人か夫かわかりませんが、なぐさめ励ましたいという作者の願望が、真底からほとばしり出て、ついに『これらの事はどこの田舎の老婆も知っている事であり、女子大学で教えないだけなのだ。』という、実に痛快な結論に達してしまいます。・・・・女が生き残った場合はなんとかさまになっているのはどうしてだろう、折りにふれて考えさせられてきましたが、『悲しめる友よ』を読んでから、いい形をあたえられたようで、ひどくはっきりしてきました。・・・」(p209)
詩集「歳月」に、「椅子」と題した詩がありました。
そのはじまりはこうなっております。
――あれが ほしい――
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
・・・・・・
・・・・・・
そう。これを読めば思い浮かぶのが
1999年10月に出た詩集「倚りかからず」でした。
最初の2行は
「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」とはじまり
詩「倚(よ)りかからず」の最後の3行は、こうでした。
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ