新聞の俳壇歌壇は、季節がすこしずつズレますね。たとえば蝉。
読売俳壇(10月1日)を見ると蝉が目につきます。
かなかなや古ぶ子規碑と茂吉の碑 山形県 柏原ただを
これは森澄雄選の俳句で、選評はこうあります。
「作者は山形県大石田町の人。最上川中流域にあり、乗船寺境内には子規の【ずんずんと夏を流すや最上川】の句碑と茂吉の【もがみ川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも】の歌碑が立つ。かなかなが鳴いている。」
森澄雄選では、ほかに蝉の句がふたつ。
羽衣の松に秋蝉すがりゐる 東京都 松島大地
蜩の声の彼方の夕日かな 市原市 関 典久
成田千空の選も忘れがたい句が並びます。まず最初はこれでした。
いくたびも手返しの稲掛けにけり 津市 中山いつき
成田千空の選評はというと
「刈りとった稲を乾燥させるのも、機械化された今日だが、この句は棒ハザに幾度も手返しをして干す稲である。狭い田んぼであろう。太陽でねんごろに干す稲である。」
そして、次の二番手の句は、これが選ばれておりました。
抜け殻もなきがらもあり蝉しぐれ 福岡県 うえだひろし
その千空の選評はというと、
「蝉がさかんに鳴いている。短い命のかぎりを鳴いている。あちらこちらに抜け殻が散らばり、骸もころがっている。やがて死ぬけしきがはっきりと見える蝉しぐれである。」
「諸君!」11月号に、古田博司氏の新連載がありました。
新連載の題はというと「乱蝉亭漫筆」。書きだしにこうあります。
「今は昔、本稿は岩波書店『世界』誌に1996年4月号から98年4月号までの2年間、同名のタイトルで連載した随筆の続編である。その間、時代は大きく変わった。」
そして、はじまりは、こうあります。
「今年の夏は、乱蝉(せみしぐれ)喧しきなか、筑摩書房依頼の新書『新しい神の国』を書き上げ、ようやく我を取りもどして戸外に出ると、すでに生殖を終えた蝉の屍骸が、秋の日の松ぼっくりのようにコロコロと足下に転がっていた。もとより荒れた家の周囲は蛇や蛙の住処となり果て、気遠(けどお)き木立には筑波の椋鳥が浮塵子(うんか)のように群をなして留まりさんざめく有様。・・・」
おいおい、これからどういう連載になるのやら。気になる書き出しです。
虫といえば、枕草子に「虫は」とはじまる第43段が思い浮かびました。
虫でおもしろいのは、鈴虫・ひぐらし・ちょう・松虫・きりぎりす・はたおり・われから・ひお虫・ほたる、などと列挙してはじまり、そうそう蠅も登場しておりました。
「はへこそ憎きもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物にゐ、顔などに、むれ足してゐるなどよ。・・」
原文はこうですが、これじゃ内容がわからない。訳はこうです。
「はえこそは憎らしいものの中に入れておくべきであって、かわいげのないものである。人間並みに扱って、相手にするほどのものではないが、秋など、ただもうあらゆる物に止まり、顔などに、濡れ足で止まったりなどするよ。・・」
外が寒くなってくると、蠅が家にはいってくるので困ります。
髪の毛にからまってきたり、それこそ顔にぶつかってくる。
さて枕草子にも登場する蠅ですが、現代の歌壇俳壇には秋の蠅はでてくるのかどうか?五月蠅なら一般的ですが、清少納言の顔に濡れ足で止まる、秋の蠅。
読売俳壇(10月1日)を見ると蝉が目につきます。
かなかなや古ぶ子規碑と茂吉の碑 山形県 柏原ただを
これは森澄雄選の俳句で、選評はこうあります。
「作者は山形県大石田町の人。最上川中流域にあり、乗船寺境内には子規の【ずんずんと夏を流すや最上川】の句碑と茂吉の【もがみ川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも】の歌碑が立つ。かなかなが鳴いている。」
森澄雄選では、ほかに蝉の句がふたつ。
羽衣の松に秋蝉すがりゐる 東京都 松島大地
蜩の声の彼方の夕日かな 市原市 関 典久
成田千空の選も忘れがたい句が並びます。まず最初はこれでした。
いくたびも手返しの稲掛けにけり 津市 中山いつき
成田千空の選評はというと
「刈りとった稲を乾燥させるのも、機械化された今日だが、この句は棒ハザに幾度も手返しをして干す稲である。狭い田んぼであろう。太陽でねんごろに干す稲である。」
そして、次の二番手の句は、これが選ばれておりました。
抜け殻もなきがらもあり蝉しぐれ 福岡県 うえだひろし
その千空の選評はというと、
「蝉がさかんに鳴いている。短い命のかぎりを鳴いている。あちらこちらに抜け殻が散らばり、骸もころがっている。やがて死ぬけしきがはっきりと見える蝉しぐれである。」
「諸君!」11月号に、古田博司氏の新連載がありました。
新連載の題はというと「乱蝉亭漫筆」。書きだしにこうあります。
「今は昔、本稿は岩波書店『世界』誌に1996年4月号から98年4月号までの2年間、同名のタイトルで連載した随筆の続編である。その間、時代は大きく変わった。」
そして、はじまりは、こうあります。
「今年の夏は、乱蝉(せみしぐれ)喧しきなか、筑摩書房依頼の新書『新しい神の国』を書き上げ、ようやく我を取りもどして戸外に出ると、すでに生殖を終えた蝉の屍骸が、秋の日の松ぼっくりのようにコロコロと足下に転がっていた。もとより荒れた家の周囲は蛇や蛙の住処となり果て、気遠(けどお)き木立には筑波の椋鳥が浮塵子(うんか)のように群をなして留まりさんざめく有様。・・・」
おいおい、これからどういう連載になるのやら。気になる書き出しです。
虫といえば、枕草子に「虫は」とはじまる第43段が思い浮かびました。
虫でおもしろいのは、鈴虫・ひぐらし・ちょう・松虫・きりぎりす・はたおり・われから・ひお虫・ほたる、などと列挙してはじまり、そうそう蠅も登場しておりました。
「はへこそ憎きもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物にゐ、顔などに、むれ足してゐるなどよ。・・」
原文はこうですが、これじゃ内容がわからない。訳はこうです。
「はえこそは憎らしいものの中に入れておくべきであって、かわいげのないものである。人間並みに扱って、相手にするほどのものではないが、秋など、ただもうあらゆる物に止まり、顔などに、濡れ足で止まったりなどするよ。・・」
外が寒くなってくると、蠅が家にはいってくるので困ります。
髪の毛にからまってきたり、それこそ顔にぶつかってくる。
さて枕草子にも登場する蠅ですが、現代の歌壇俳壇には秋の蠅はでてくるのかどうか?五月蠅なら一般的ですが、清少納言の顔に濡れ足で止まる、秋の蠅。