産経新聞2007年10月20日に「皇后さま きょう73歳」とありました。
第二社会面には「誕生日に先立ち、宮内記者会の質問に文書で回答」とあり。
皇后さまの回答全文が載っておりました。ちなみに、読売新聞では、全文ヨミウリオンラインに掲載とあります(朝日新聞は取り上げてるかなあ。こんど古新聞で確認してみます)。
それはそうと、時代の雰囲気というのは取り出し難いものですが、皇室について現在はどういう思われているのか。気になるところではあります。
さしあたり、皇后さまの回答を引用するまえに、時代の雰囲気のある断面をしめしておきたいと思うわけです。
産経新聞10月6日のコラム「断」は、潮匡人氏が書いておりました。
その最初はこうはじまっておりました。
「先般、安倍改造内閣の新閣僚記者会見で多数の閣僚が国旗に欠礼したこと、認証式でも天皇陛下に失礼な態度をとったことを指弾した(9月2日付)。あれから約1カ月。9月26日、福田内閣が誕生した。さて今回はどうなったか。中継映像で確認してみた。NHKの映像では町村官房長官が登壇済みのため確認できなかったが、続けて額賀財務相が登壇する際、軽く会釈するごとく国旗に一礼した。ひと安心と思いきや、以下登壇順に、経済産業相、農水相、厚労相、外務相、法務相、国交相、総務相、環境相が一人残らず、国旗の前を素通りした。・・・結局、国旗に敬礼した閣僚は・・3人だけだった。認証式は確認できなかったが、大多数が前回同様だったと想像する。意図的に欠礼したわけではあるまい。・・・」
どうでしょう。現代の時代の雰囲気は、まあこのような感じにひたっているのでしょうか。
さて、皇后さまの回答に及びます。
その前に記事の説明を引用しておきます。
「宮内庁によると、皇后さまがこの1年間に果された公務は300件を超えた。このうち地方へのお出かけは、新潟県中越沖地震の被災地など7都道府県にのぼった。5月、両陛下にとって初の旧ソ連圏訪問となるバルト三国を含む欧州5カ国をご歴訪。3月には腸壁から出血などが確認され、断続的に静養をとったが、無事に回復された。年間を通じ、常に天皇陛下のご健康を案じ、早朝の散歩やテニスを共にされてきたという。」
私が印象深かった箇所は、
「この1年間内外で起きたことで、皇后さまにとって特に印象に残ったことをお聞かせ下さい」という質問の回答でした。箇条書きで5つ並びます。
1番目は「3月の能登半島地震、7月の新潟県中越沖地震。局地的に日本各地を襲った暴風雨や竜巻(昨年11月)。長く暑かった夏。・・」とあり。
その5番目にこうありました。
「今年8月の新聞に、原爆投下後の広島・長崎を撮影した米国の元従軍カメラマンの死亡記事と並び、作品のひとつ、『焼き場に立つ少年』と題し、死んだ弟を背負い、しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真が掲載されており、その姿が今も目に残っています。同じ地球上でいまなお戦乱の続く地域の平和の回復を願うとともに・・・」とありました。
最後に、もう一つだけ引用します。
それは音楽について語っておられる箇所なのです。
「細々とながら音楽を続けてきた過去の年月が最初にあり、気がついたときには、音楽が自分にとって、好きで、また、大切なものとなっていたということでしょうか。十分な技術を持たない私が、内外の音楽家の方たちとの合奏の機会を持てるということは過分な恩恵ですが、美しい音に囲まれた中で自分の音を探っていくという、この上なく楽しい練習をさせてくださる方々の友情に感謝しつつ、一回ごとの機会をうれしく頂いています。」
おそらくね。他の新聞では読むことができないんじゃないか。
そう思う、皇后さまの回答文にある肉声を、あなたに届けたかった。
第二社会面には「誕生日に先立ち、宮内記者会の質問に文書で回答」とあり。
皇后さまの回答全文が載っておりました。ちなみに、読売新聞では、全文ヨミウリオンラインに掲載とあります(朝日新聞は取り上げてるかなあ。こんど古新聞で確認してみます)。
それはそうと、時代の雰囲気というのは取り出し難いものですが、皇室について現在はどういう思われているのか。気になるところではあります。
さしあたり、皇后さまの回答を引用するまえに、時代の雰囲気のある断面をしめしておきたいと思うわけです。
産経新聞10月6日のコラム「断」は、潮匡人氏が書いておりました。
その最初はこうはじまっておりました。
「先般、安倍改造内閣の新閣僚記者会見で多数の閣僚が国旗に欠礼したこと、認証式でも天皇陛下に失礼な態度をとったことを指弾した(9月2日付)。あれから約1カ月。9月26日、福田内閣が誕生した。さて今回はどうなったか。中継映像で確認してみた。NHKの映像では町村官房長官が登壇済みのため確認できなかったが、続けて額賀財務相が登壇する際、軽く会釈するごとく国旗に一礼した。ひと安心と思いきや、以下登壇順に、経済産業相、農水相、厚労相、外務相、法務相、国交相、総務相、環境相が一人残らず、国旗の前を素通りした。・・・結局、国旗に敬礼した閣僚は・・3人だけだった。認証式は確認できなかったが、大多数が前回同様だったと想像する。意図的に欠礼したわけではあるまい。・・・」
どうでしょう。現代の時代の雰囲気は、まあこのような感じにひたっているのでしょうか。
さて、皇后さまの回答に及びます。
その前に記事の説明を引用しておきます。
「宮内庁によると、皇后さまがこの1年間に果された公務は300件を超えた。このうち地方へのお出かけは、新潟県中越沖地震の被災地など7都道府県にのぼった。5月、両陛下にとって初の旧ソ連圏訪問となるバルト三国を含む欧州5カ国をご歴訪。3月には腸壁から出血などが確認され、断続的に静養をとったが、無事に回復された。年間を通じ、常に天皇陛下のご健康を案じ、早朝の散歩やテニスを共にされてきたという。」
私が印象深かった箇所は、
「この1年間内外で起きたことで、皇后さまにとって特に印象に残ったことをお聞かせ下さい」という質問の回答でした。箇条書きで5つ並びます。
1番目は「3月の能登半島地震、7月の新潟県中越沖地震。局地的に日本各地を襲った暴風雨や竜巻(昨年11月)。長く暑かった夏。・・」とあり。
その5番目にこうありました。
「今年8月の新聞に、原爆投下後の広島・長崎を撮影した米国の元従軍カメラマンの死亡記事と並び、作品のひとつ、『焼き場に立つ少年』と題し、死んだ弟を背負い、しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真が掲載されており、その姿が今も目に残っています。同じ地球上でいまなお戦乱の続く地域の平和の回復を願うとともに・・・」とありました。
最後に、もう一つだけ引用します。
それは音楽について語っておられる箇所なのです。
「細々とながら音楽を続けてきた過去の年月が最初にあり、気がついたときには、音楽が自分にとって、好きで、また、大切なものとなっていたということでしょうか。十分な技術を持たない私が、内外の音楽家の方たちとの合奏の機会を持てるということは過分な恩恵ですが、美しい音に囲まれた中で自分の音を探っていくという、この上なく楽しい練習をさせてくださる方々の友情に感謝しつつ、一回ごとの機会をうれしく頂いています。」
おそらくね。他の新聞では読むことができないんじゃないか。
そう思う、皇后さまの回答文にある肉声を、あなたに届けたかった。