和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩集出版記念会。

2007-10-07 | Weblog
日経新聞2007年9月30日の文化欄に荒川洋治氏が「文学談義」と題して書いておりました。その最初が面白かった。
こうはじまります。
「すぐれた文学作品は、想像と思考の力を授けてくれる。人の心をつくる。人間の現実に、はたらきかける。・・人が集まると、何人かは文学談義をしたものだが、いまは見かけない。」この出だしがちょいと、面白かったので、荒川氏のあとの文は、どうでもよくなりました。私なりに思い当たる場面があったからなのです。それを語ります。

伊東静雄を読んでいたら、面白い詩人の風景を読むことができました。
ひとつは、江藤淳著作集続2「作家の肖像」(講談社)にある「伊東静雄の詩業について」。
もうひとつは、杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)です。

どちらも面白かったのは、詩集の出版記念会のことなのです。
まずは、「伊東静雄の詩業について」にある箇所を引用してみます。

「『わがひとに与ふる哀歌』は、1935年、昭和10年の10月5日に発行された。・・出版されますと、翌11月23日、伊東静雄ははじめて上京して、自分の出版記念会に出たのであります。・・・この頃の出版記念会は、どうやらひじょうに小ぢんまりしたものであったらしい。そして、この当時の詩壇もまた、まああまり大きなものではなかったように思われる。だから、一度出版記念会をやると詩壇がすっぽりおさまってしまう。・・萩原朔太郎をはじめ、三好達治であるとか、中原中也であるとか、多士済々な人々が集った。」
「ところで、小高根氏の『詩人、その生涯と運命』によって見ますと、・・・萩原朔太郎が、この席上で、伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』を、言葉をきわめてほめたのです。伊東の作品を特徴づけている沈痛な深い悲劇性、それをストイックな自己抑制で、はっきりした構成感のある詩につくりあげているということ、そのすべてを朔太郎は言葉をきわめてほめた。・・・好対照をなして三好達治が非常に冷たい批評をした・・まあ当時は出版記念会といっても今日のようなお座なりではなくて、好きなやつは好きだと言い嫌いないやつは嫌いだとわりあいはっきりいう。そのうちにとっくみあいの喧嘩になったりして、文壇でもだれかと林房雄が喧嘩をしたという有名な話がありますけれども、この頃はまあそういう雰囲気だったようであります。まあこの席ではとっくみあいにまではならなかった・・・」

その8年後。杉山平一の処女詩集「夜学生」の出版記念会があります。
その出版記念会に伊東静雄が来ていたというわけです。
それを杉山平一著「戦後関西詩壇回想」からひろってみます。


「昭和18年(1943)年3月17日、小野十三郎の『風景詩抄』との合同出版記念会だった。・・席上、藤沢桓夫は、小野十三郎の物の見方を『小野めがね』と評したり、新しい故の鋭い評言が飛び交っていたなかで、伊東静雄が、ときめく藤沢桓夫に反論し口論になった。何か、古今集の歌人についてのことだったと思うが、どちらも、ゆずらず、見ている私は、胸が苦しくなった。そのとき、詩人や作家というのは凄いなぁ、というショックを受けた。・・・私の詩集『夜学生』は、のち賞を貰ったりしたが、その評が「四季」の74号(昭和18年5月号)に、北川冬彦によって書かれている。・・・・北川さんが精一杯の社交辞令に包んで酷評されているのが私にはよくわかった。竹中(郁)さんもズケズケいえる人だったが、詩人は、本音をいうなぁ、というのが爾来、私の持つ印象だったが、その一番怖いのは伊東静雄だった。『へっぽこでも、小説は五年十年書き続けていると、うまくなるものですね。しかし詩は、十年、十五年書きつづけても、ダメなものはダメですね』と、人の眼をのぞきこむようにしていわれると、ギクリとする。だから、ちょっとでもほめられると、嬉しくなる。私が散文詩風の『ミラボー橋』(1952)を送ったとき、もう入院しておられたが、見舞に行った友人にきくと大変いいといって下さったらしい。が、そのほめ方にドキッとした。二流の山のてっぺんにあがって、バンザイしていると。・・・」

また、こんな箇所もありました。

「伊東静雄には、詩集の出版記念会などでよく出会った。安西冬彦の『韃靼海峡と蝶』の記念会が、昭和22(1947)年10月、四天王寺で開かれたときだったと思うが、伊東静雄が、スピーチの冒頭で、『私は安西冬彦の詩が嫌いです』といったのに驚いたのをおぼえている。二人の世界は違うから、なるほどと思うものの、やっぱり凄いなあと思った。」

「白秋門下の詩人の詩集出版記念会で、伊東静雄に会ったとき、すれちがいざま。
『あんたの「よもぎ摘み」という詩は仲々よかったよ、いつもの賢ぶった詩よりは』と私の目を見て通りすぎていった。・・・『かしこぶった詩よりは』という言葉がグサッと胸に刺さった。知的を装ったウイットとか、哲学めいたものに得意になっていた私は、水を浴びたような気がしたのだった。私が見せびらかしているものではなくて、ひそかにかくしている恥かしいメソメソしたものや無知が、実は読者に評価されているのに気付かされたのだった。」



ところで、荒川洋治氏は1949年生まれ。詩集「心理」で萩原朔太郎賞受賞と略歴にあります。「人が集まると、何人かは文学談義をしたものだが、いまは見かけない。」という荒川さん。その「いまは見かけない」という貴重な場面を、私は、この夏読んだ、詩人伊東静雄の中に見ようとしたのかなあ。と思ったりするのでした。結局、荒川洋治氏の新聞の寄稿文は、最初だけで、読まずじまいでした。
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