読売新聞1面コラム「編集手帳」が、私は好きです。
詩歌の引用が魅力で、詩歌アンソロジー本では、ちょっとお目にかかれないような言葉を読める時があります。まるで、詩歌との偶然の出会いがお膳立てされているように感じられるのです。もちろん、時事コラムとして、詩歌と時事とがうまく噛み合わないこともあるのですが、それでも一篇のコラムとして、うまく出来た時の味わいは、また格別なものがあります。
ところで、2007年10月3日「編集手帳」は
「おそらくは縁側だろう。」という言葉から始まっておりました。
おそらくは縁側だろう。
三好達治に「燈火」と題された四行詩がある。
「 書は一巻 淵明(えんめい)集
果は一顆 百目柿
宿舎の夜半の静物を
馬追ひのきてめぐるかな 」
ひと雨ごとに秋が深まり、灯の色が目にしみる季節になった。
縁側はなし、スイッチョと鳴く虫も上の階には来てくれず、
淵明集も書店でそうは目にしない。
詩人の夜半をまねるにも骨の折れるご時世である。
東晋の漢詩人、陶淵明は41歳で官職を辞し、
帰郷して晴耕雨読の日々を送った。
「盛年 重ねて来たらず」(元気ざかりの若い時は二度と来ない)
とうたった人である。
・・・・・・・・・・・・・
(注:「馬追ひ」とは、スイッチョと鳴き声が聞こえるキリギリスに似た虫のこと)
思わずコラム全文を引用したくなってしまいますが、このくらいにして
私が面白く思ったのは、「縁側」という言葉からはじめていることでした。
思い出すのは、「久世光彦の世界 昭和の幻景」(柏書房)に
テレビドラマ演出家の久世さんが対談で語っていた言葉です。
「茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。」(p215)
話はかわるのですが、「諸君!」(2007年10月号)に、特集「読み巧者108人の【オールタイム・ベスト3】」というのがありました。その中のお一人・徳岡孝夫氏は、3冊並べた最後に幸田露伴著「太郎坊」(岩波文庫)をあげておりました。その「太郎坊」を語って「三十分あれば読める短篇小説だが、読めば死ぬまで忘れないだろう。主人(あるじ)と細君とあるだけで、登場人物には名すらない。ある夏の夕方、晩酌の間に起きる出来事で、これも外国の小説にない終わり方をする。」
はじめて聞く題「太郎坊」というのに、私は興味をもちまして(何しろすぐに読めそうな短篇とあるし)。さがして読んでみたというわけです。
その内容もさることながら、書き出しの様子が印象に残ります。
ということで、引用。
真夏の夕方「お日様の傾くに連れてさすがに凌ぎよくなる」頃です。
「・・・主人は甲斐甲斐しくはだしの尻端折で庭に下り立って、蝉も雀も濡れよとばかりに打水をしている。丈夫づくりの薄禿の男であはるが、其余念のない顔付はおだやかな波を額に湛え・・細君はシチリンを煽いだり、包丁の音をさせたり、いそがしく台所をゴトツカせて居る。・・・下女は下女で碓(うす)のような尻を振立てて椽側(えんがわ)を雑巾がけしている。・・・」
主人(あるじ)が、それから銭湯へと出かけて帰ってくる。
「・・まくり手をしながら茹蛸のようになって帰ってきた。椽にハナゴザが敷いてある、提煙草盆が出ている。・・黒塗の膳は主人の前に据えられた。・・
庭は一隅のあお桐の繁みから次第に暮れてきて、ひょろ松檜葉などに滴る水珠は夕立の後かと見紛うばかりで、その濡色に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云えぬすがすがしさを添えている。主人は庭を渡る微風に袂を吹かせながら、おのれのほねおりが作り出した快い結果を極めて満足しながら味わっている。」(何箇所か漢字などを適当にかえました)
ということで、縁側について
編集手帳・久世光彦・幸田露伴と並べてきました。
その三つで、ここから私は渚を思い浮かべました。
縁側から「波打ち際」へ連想がはたらいたのです。
谷川健一著「独学のすすめ」(晶文社)にウブスナの語源を語った箇所があります。最後は、その引用。
「大昔は産小屋は渚につくられる習慣のあったことを物語っています。
渚はあの世とこの世との継ぎ目であり、現世と他界のいちばんの接点であると同時に、自然のリズムを感じられるところでもあります。波がよせ、波が引き、潮が満ち、また引き、季節の変わりめごとに渡り鳥がやってきて、嵐のあとに海草や流木が流れつく。自然のリズムがいちばん鋭敏に感じられる場所が渚なのです。」(p244)
そうかと、思うのです。
渚が「自然のリズムがいちばん鋭敏に感じられる場所」ならば、
たとえば私は、竜安寺の椽に座って、庭を眺めている場面を思い浮かべます。家に縁側を持つということは、どういうことなのか。
それが、現実にもどれば「縁側はなし」。
詩歌の引用が魅力で、詩歌アンソロジー本では、ちょっとお目にかかれないような言葉を読める時があります。まるで、詩歌との偶然の出会いがお膳立てされているように感じられるのです。もちろん、時事コラムとして、詩歌と時事とがうまく噛み合わないこともあるのですが、それでも一篇のコラムとして、うまく出来た時の味わいは、また格別なものがあります。
ところで、2007年10月3日「編集手帳」は
「おそらくは縁側だろう。」という言葉から始まっておりました。
おそらくは縁側だろう。
三好達治に「燈火」と題された四行詩がある。
「 書は一巻 淵明(えんめい)集
果は一顆 百目柿
宿舎の夜半の静物を
馬追ひのきてめぐるかな 」
ひと雨ごとに秋が深まり、灯の色が目にしみる季節になった。
縁側はなし、スイッチョと鳴く虫も上の階には来てくれず、
淵明集も書店でそうは目にしない。
詩人の夜半をまねるにも骨の折れるご時世である。
東晋の漢詩人、陶淵明は41歳で官職を辞し、
帰郷して晴耕雨読の日々を送った。
「盛年 重ねて来たらず」(元気ざかりの若い時は二度と来ない)
とうたった人である。
・・・・・・・・・・・・・
(注:「馬追ひ」とは、スイッチョと鳴き声が聞こえるキリギリスに似た虫のこと)
思わずコラム全文を引用したくなってしまいますが、このくらいにして
私が面白く思ったのは、「縁側」という言葉からはじめていることでした。
思い出すのは、「久世光彦の世界 昭和の幻景」(柏書房)に
テレビドラマ演出家の久世さんが対談で語っていた言葉です。
「茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。」(p215)
話はかわるのですが、「諸君!」(2007年10月号)に、特集「読み巧者108人の【オールタイム・ベスト3】」というのがありました。その中のお一人・徳岡孝夫氏は、3冊並べた最後に幸田露伴著「太郎坊」(岩波文庫)をあげておりました。その「太郎坊」を語って「三十分あれば読める短篇小説だが、読めば死ぬまで忘れないだろう。主人(あるじ)と細君とあるだけで、登場人物には名すらない。ある夏の夕方、晩酌の間に起きる出来事で、これも外国の小説にない終わり方をする。」
はじめて聞く題「太郎坊」というのに、私は興味をもちまして(何しろすぐに読めそうな短篇とあるし)。さがして読んでみたというわけです。
その内容もさることながら、書き出しの様子が印象に残ります。
ということで、引用。
真夏の夕方「お日様の傾くに連れてさすがに凌ぎよくなる」頃です。
「・・・主人は甲斐甲斐しくはだしの尻端折で庭に下り立って、蝉も雀も濡れよとばかりに打水をしている。丈夫づくりの薄禿の男であはるが、其余念のない顔付はおだやかな波を額に湛え・・細君はシチリンを煽いだり、包丁の音をさせたり、いそがしく台所をゴトツカせて居る。・・・下女は下女で碓(うす)のような尻を振立てて椽側(えんがわ)を雑巾がけしている。・・・」
主人(あるじ)が、それから銭湯へと出かけて帰ってくる。
「・・まくり手をしながら茹蛸のようになって帰ってきた。椽にハナゴザが敷いてある、提煙草盆が出ている。・・黒塗の膳は主人の前に据えられた。・・
庭は一隅のあお桐の繁みから次第に暮れてきて、ひょろ松檜葉などに滴る水珠は夕立の後かと見紛うばかりで、その濡色に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云えぬすがすがしさを添えている。主人は庭を渡る微風に袂を吹かせながら、おのれのほねおりが作り出した快い結果を極めて満足しながら味わっている。」(何箇所か漢字などを適当にかえました)
ということで、縁側について
編集手帳・久世光彦・幸田露伴と並べてきました。
その三つで、ここから私は渚を思い浮かべました。
縁側から「波打ち際」へ連想がはたらいたのです。
谷川健一著「独学のすすめ」(晶文社)にウブスナの語源を語った箇所があります。最後は、その引用。
「大昔は産小屋は渚につくられる習慣のあったことを物語っています。
渚はあの世とこの世との継ぎ目であり、現世と他界のいちばんの接点であると同時に、自然のリズムを感じられるところでもあります。波がよせ、波が引き、潮が満ち、また引き、季節の変わりめごとに渡り鳥がやってきて、嵐のあとに海草や流木が流れつく。自然のリズムがいちばん鋭敏に感じられる場所が渚なのです。」(p244)
そうかと、思うのです。
渚が「自然のリズムがいちばん鋭敏に感じられる場所」ならば、
たとえば私は、竜安寺の椽に座って、庭を眺めている場面を思い浮かべます。家に縁側を持つということは、どういうことなのか。
それが、現実にもどれば「縁側はなし」。