庭の蝉。
2007-10-29 | 詩歌
気になっていた新書を、取り寄せて読んでみました。
佐藤正午著「小説の読み書き」(岩波新書)です。読みたいところは、ほんのちょっとなのです。ちょっとなのですが、確かめてみたかったというわけでした。
それは三島由紀夫を取り上げたページでした。
こうあります。
「そんなとき、ある人が新聞の文芸時評で三島由紀夫の小説を引用しているのを読んだ。『豊饒の海』からの引用で、そこには僕が考え続けていた直喩の実例が引いてあった。【数珠を繰るような蝉の声】と三島由紀夫は書いているらしい。あ、数珠か、と僕は思った。・・・・・・すぐに書店で第一部『春の雪』の文庫本を買ってきて読み始めた。とにかくその数珠の比喩が出てくるページまで読んでみるつもりだった。ところがその後、僕は『豊饒の海』四部作を四冊とも読み通すはめになった。問題の比喩は四部作の第四部『天人五衰』の、しかもなんといちばん最後のページに書かれていたからである。
これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。
数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
これにあと三行だけ、文章が書き足されてこの長い長い小説は終わる。」(p63~64)
佐藤正午氏の新書も、数頁だけ確認したかったのですが、
おかげで、佐藤正午氏が、苦労して長い長い小説を読んだというエピソードが拾えました(笑)。
じつは、「数珠を繰るような蝉の声」という三島由紀夫の言葉を引用したいために、
新書で確認をしてみたのでした。
三島由紀夫の『数珠を繰るような蝉の声』と
伊東静雄の詩「庭の蝉」とを結びつけたいと思って、私は書いております。
でも、私は新書までで、その長い小説は、ご勘弁(笑)。
では、伊東静雄の詩「庭の蝉」を引用しておきます。
旅からかへつてみると
この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる
おれはなにか詩のやうなものを
書きたく思ひ
紙をのべると
水のやうに平明な幾行もが出て来た
そして
おれは書かれたものをまへにして
不意にそれとはまるで異様な
一種前生(ぜんしょう)のおもひと
かすかな暈(めま)ひをともなふ吐気とで
蝉をきいてゐた
これは詩集「春のいそぎ」(昭和18年)に載っております。
ついでに、昭和16年7月7日の伊東静雄から富士正晴への手紙に、この詩の原型が書かれております。それも比較のために引用しておきましょう。
旅からかへつてみると
この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる
おれはなんだか詩のやうなものを
書きたく思ひ
紙をのべると
水のやうな平明な幾行もが出て来た
そして
おれは書かれたものをまへにして
突然それとはまるで異様な
古心と
かすかな暈ひをともなふ吐気とで
蝉をきいてゐた
この詩の中の「不意にそれとはまるで異様な/一種前生(ぜんしょう)のおもひと」
手紙に見える詩「突然それとはまるで異様な/古心と」
というここでの言葉の推敲が、何とも分かりにくいなあ。それでも、手紙でのほうが思いつきとしては私にも分かりやすく感じます。
それがどのような思いなのか、ということなのですが、
たとえば、こんなのはどうでしょう。
司馬遼太郎氏は、「無常観の響き」という表現をしております。
司馬・山折哲雄対談「日本とは何かということ」(NHK出版・p66~67)に
【司馬】それは、子規の死ぬ二、三年前に、病床から見ている、借家の小さな庭があって、そこに鶏頭(けいとう)が咲いている。当時、鶏頭という花が流行ったそうです。
鶏頭の十四五本もありぬべし
という俳句がありますね。
これは子規の弟子の高浜虚子が「ノー」だと言って、こんなのは俳句ではないと言うのですけれど、そうではなくて、これがいちばんいい俳句だという説の人のほうが多いですね。この句は、寺田寅彦さんの言う、ごく自然にでき上がった無常観の具象的世界ですね。
【山折】そうですね。そう言われると、ほんとうに、そんな感じですね。
【司馬】なにか、ひそやかながら、無常観の響きがします。そういう感じがしますね。
こんな箇所がありました。
こちらは、俳句で、しかも蝉は登場しないわけなのですが、庭と響きというのが気になるところではあります。
ここで、寄り道すると終わりまでたどりつけないけど
もう一度最初の、佐藤正午の新書へともどってみます。
そこに織田作之助の『夫婦善哉』が取り上げられておりました。
その最後に、どうも講談社文芸文庫版と新潮文庫とで、「夫婦善哉」の言葉が異なる箇所があるというのが指摘してありました。
最近、続夫婦善哉の原稿が発見されて、新刊で「夫婦善哉 完全版」(雄松堂)が出ておりました。パラパラと開くと「直筆原稿(続夫婦善哉)」というのが最後に写真入で全文掲載されているのでした。こりゃ新書で出たばかりの直筆「坊っちやん」とは直接関係はなさそうですね。
この「続夫婦善哉」については、最近の新聞で杉山平一氏が書いておりました。
「私は織田君とは学生時代の頃から友人だったが、『夫婦善哉』が賞を得たとき不思議でならなかった。日頃、スタンダールやアランを論じたり、学校へ小林秀雄を講演に呼んだりしていた長身白皙の、・・彼の印象と余りに違っていたからだった。・・・友人たちと話題を明るく盛りあげ、みんなの面白い珍談奇談を黙ってきいていて、それらを換骨奪胎して小説に盛り込む見事さは、友人の多くが知っている筈である。『天牛』(古書店)で彼が落語全集を買うのに立ち会ったりしたが、ある時、書店で岩波書店の電気のことをかいた本を買うので『何するねン』ときくと『いやちょっと』といったりした。こんどの続篇に電球の商売が出てくるが、その参考にしたのだろうか。・・・・むかし織田君は結末の一行ができたから小説をかくといったことがある。・・・六十年前に若くして逝った織田君の微笑みを思い浮べた。」(朝日新聞2007年10月2日)
はたして、三島由紀夫も「結末の一行ができたから小説を」かいたのかどうか。
それはそうと、杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)には、こんな箇所がありました(「伊東静雄の処世術」)。
「後年『花ざかりの森』を書いた三島由紀夫が、伊東にあこがれて訪問したのに、かなり冷たくもてなされたらしいが、そのあと訪問した元教え子が、お菓子なんか持って行ったのに、三島が何の手土産もなく来たのが気に入らなかったらしく『あれは、田舎ものだ』と評したといわれている。」(p17)
そうすると、三島由紀夫は伊東に会って、どのようなことを語ったのでしょうね。
伊東静雄じゃなくて、同じく関西の詩人竹中郁は、書き残してくれておりました。
「わたくしは奇妙な初対面の記憶を二つ持っている。ひとつは三島由紀夫氏が作家の花道にすっくと立った頃、銀座四丁目の歩道で画家の猪熊弦一郎氏に紹介された。三島氏は『あなたの作詩を愛読しました』といって、つづいてその詩をすらすらと間ちがいもなしに暗誦して、どうですといったような顔つきをした。自作をろくに暗記していないわたくしは、狐につままれたような気分になって照れてしまった。まっ昼間の人通りの多い歩道の上でのことだから、どう考えてもやはり異才の行動とでも云って納得するほかない。もう一つは、吉田健一氏であった。・・・」
( 現代詩文庫1044「竹中郁詩集」p127
竹中郁著「消えゆく幻燈」編集工房ノア・p111 )
とりあえずですね。
私の中では、伊東静雄の詩と三島由紀夫とが結びついたのでした。
佐藤正午著「小説の読み書き」(岩波新書)です。読みたいところは、ほんのちょっとなのです。ちょっとなのですが、確かめてみたかったというわけでした。
それは三島由紀夫を取り上げたページでした。
こうあります。
「そんなとき、ある人が新聞の文芸時評で三島由紀夫の小説を引用しているのを読んだ。『豊饒の海』からの引用で、そこには僕が考え続けていた直喩の実例が引いてあった。【数珠を繰るような蝉の声】と三島由紀夫は書いているらしい。あ、数珠か、と僕は思った。・・・・・・すぐに書店で第一部『春の雪』の文庫本を買ってきて読み始めた。とにかくその数珠の比喩が出てくるページまで読んでみるつもりだった。ところがその後、僕は『豊饒の海』四部作を四冊とも読み通すはめになった。問題の比喩は四部作の第四部『天人五衰』の、しかもなんといちばん最後のページに書かれていたからである。
これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。
数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
これにあと三行だけ、文章が書き足されてこの長い長い小説は終わる。」(p63~64)
佐藤正午氏の新書も、数頁だけ確認したかったのですが、
おかげで、佐藤正午氏が、苦労して長い長い小説を読んだというエピソードが拾えました(笑)。
じつは、「数珠を繰るような蝉の声」という三島由紀夫の言葉を引用したいために、
新書で確認をしてみたのでした。
三島由紀夫の『数珠を繰るような蝉の声』と
伊東静雄の詩「庭の蝉」とを結びつけたいと思って、私は書いております。
でも、私は新書までで、その長い小説は、ご勘弁(笑)。
では、伊東静雄の詩「庭の蝉」を引用しておきます。
旅からかへつてみると
この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる
おれはなにか詩のやうなものを
書きたく思ひ
紙をのべると
水のやうに平明な幾行もが出て来た
そして
おれは書かれたものをまへにして
不意にそれとはまるで異様な
一種前生(ぜんしょう)のおもひと
かすかな暈(めま)ひをともなふ吐気とで
蝉をきいてゐた
これは詩集「春のいそぎ」(昭和18年)に載っております。
ついでに、昭和16年7月7日の伊東静雄から富士正晴への手紙に、この詩の原型が書かれております。それも比較のために引用しておきましょう。
旅からかへつてみると
この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる
おれはなんだか詩のやうなものを
書きたく思ひ
紙をのべると
水のやうな平明な幾行もが出て来た
そして
おれは書かれたものをまへにして
突然それとはまるで異様な
古心と
かすかな暈ひをともなふ吐気とで
蝉をきいてゐた
この詩の中の「不意にそれとはまるで異様な/一種前生(ぜんしょう)のおもひと」
手紙に見える詩「突然それとはまるで異様な/古心と」
というここでの言葉の推敲が、何とも分かりにくいなあ。それでも、手紙でのほうが思いつきとしては私にも分かりやすく感じます。
それがどのような思いなのか、ということなのですが、
たとえば、こんなのはどうでしょう。
司馬遼太郎氏は、「無常観の響き」という表現をしております。
司馬・山折哲雄対談「日本とは何かということ」(NHK出版・p66~67)に
【司馬】それは、子規の死ぬ二、三年前に、病床から見ている、借家の小さな庭があって、そこに鶏頭(けいとう)が咲いている。当時、鶏頭という花が流行ったそうです。
鶏頭の十四五本もありぬべし
という俳句がありますね。
これは子規の弟子の高浜虚子が「ノー」だと言って、こんなのは俳句ではないと言うのですけれど、そうではなくて、これがいちばんいい俳句だという説の人のほうが多いですね。この句は、寺田寅彦さんの言う、ごく自然にでき上がった無常観の具象的世界ですね。
【山折】そうですね。そう言われると、ほんとうに、そんな感じですね。
【司馬】なにか、ひそやかながら、無常観の響きがします。そういう感じがしますね。
こんな箇所がありました。
こちらは、俳句で、しかも蝉は登場しないわけなのですが、庭と響きというのが気になるところではあります。
ここで、寄り道すると終わりまでたどりつけないけど
もう一度最初の、佐藤正午の新書へともどってみます。
そこに織田作之助の『夫婦善哉』が取り上げられておりました。
その最後に、どうも講談社文芸文庫版と新潮文庫とで、「夫婦善哉」の言葉が異なる箇所があるというのが指摘してありました。
最近、続夫婦善哉の原稿が発見されて、新刊で「夫婦善哉 完全版」(雄松堂)が出ておりました。パラパラと開くと「直筆原稿(続夫婦善哉)」というのが最後に写真入で全文掲載されているのでした。こりゃ新書で出たばかりの直筆「坊っちやん」とは直接関係はなさそうですね。
この「続夫婦善哉」については、最近の新聞で杉山平一氏が書いておりました。
「私は織田君とは学生時代の頃から友人だったが、『夫婦善哉』が賞を得たとき不思議でならなかった。日頃、スタンダールやアランを論じたり、学校へ小林秀雄を講演に呼んだりしていた長身白皙の、・・彼の印象と余りに違っていたからだった。・・・友人たちと話題を明るく盛りあげ、みんなの面白い珍談奇談を黙ってきいていて、それらを換骨奪胎して小説に盛り込む見事さは、友人の多くが知っている筈である。『天牛』(古書店)で彼が落語全集を買うのに立ち会ったりしたが、ある時、書店で岩波書店の電気のことをかいた本を買うので『何するねン』ときくと『いやちょっと』といったりした。こんどの続篇に電球の商売が出てくるが、その参考にしたのだろうか。・・・・むかし織田君は結末の一行ができたから小説をかくといったことがある。・・・六十年前に若くして逝った織田君の微笑みを思い浮べた。」(朝日新聞2007年10月2日)
はたして、三島由紀夫も「結末の一行ができたから小説を」かいたのかどうか。
それはそうと、杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)には、こんな箇所がありました(「伊東静雄の処世術」)。
「後年『花ざかりの森』を書いた三島由紀夫が、伊東にあこがれて訪問したのに、かなり冷たくもてなされたらしいが、そのあと訪問した元教え子が、お菓子なんか持って行ったのに、三島が何の手土産もなく来たのが気に入らなかったらしく『あれは、田舎ものだ』と評したといわれている。」(p17)
そうすると、三島由紀夫は伊東に会って、どのようなことを語ったのでしょうね。
伊東静雄じゃなくて、同じく関西の詩人竹中郁は、書き残してくれておりました。
「わたくしは奇妙な初対面の記憶を二つ持っている。ひとつは三島由紀夫氏が作家の花道にすっくと立った頃、銀座四丁目の歩道で画家の猪熊弦一郎氏に紹介された。三島氏は『あなたの作詩を愛読しました』といって、つづいてその詩をすらすらと間ちがいもなしに暗誦して、どうですといったような顔つきをした。自作をろくに暗記していないわたくしは、狐につままれたような気分になって照れてしまった。まっ昼間の人通りの多い歩道の上でのことだから、どう考えてもやはり異才の行動とでも云って納得するほかない。もう一つは、吉田健一氏であった。・・・」
( 現代詩文庫1044「竹中郁詩集」p127
竹中郁著「消えゆく幻燈」編集工房ノア・p111 )
とりあえずですね。
私の中では、伊東静雄の詩と三島由紀夫とが結びついたのでした。