和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

その自由さが。

2007-10-03 | Weblog
川上弘美の初めての書評集「大好きな本」(朝日新聞社)が出ています。
その都度、新聞書評欄で何げなく読み、私は鮮やかな印象が残ります。
たとえば、谷内六郎著「北風とぬりえ」を川上さんが書評した文など極上の文だと思っており、何で書評集をださないのだろうと思っておりました。それらを含む144冊の書評が一冊になっており、何でも10年近くに及ぶ書評の集まりだとか。
いまだ読んではいないのですが、いいでしょう。気楽な気持ちで、ブログに書きこみます。
2007年9月20日朝日新聞文化欄に、この新刊への中村真理子氏のインタビュー紹介記事が掲載されており、楽しめました。忘れがたい記事です。そこには写真もあります。白い丸首の綿シャツらしきものを着て(そう胸元まで伸びる黒髪がシャツの上で無造作に絡んでおります)、黒い傘をさしてカメラ目線で笑っております(ほほ笑むとするには、歯を出しておられる。その感じは、不思議のアリスにでてくる笑っている猫の絵みたいです)。

まずは、そこにある気になる言葉から引用しましょう。

「読書から、閉塞感のある現実を生き抜く力を与えられる。
『生きていると、嫌なことやしょんぼりすることも多いけれど、本を読めば全く違う世界に行くことができる。そして、誰に遠慮することもなく、好きなときに自分の思うように読んでいい。その自由さがいいのでしょうね』」

この言葉を読んだ時に、これはたとえば、ブログを書く時の感じに似ているなあ、と思ったりするのです。自由に書きこむ。自由に読む。それでも、自由に本に対峙しているばかりだと、現実に降りてこれなくなったピーターパンにでもなった悲哀をもまた感じるというわけです。

私は、何をいいたいのやら。

インタビューは自然体で楽しくできたのでしょうね。その雰囲気が伝わってきます。もっと引用しましょう。

「書評は発見の連続だという。
『普段、本を読んでいるときは、いろいろ雑多なことを考えているけれど、書くまでは言葉にできていなかった気がする。書くことによって、読んでいたときよりもっと奥までいけたかもしれないと思うことが何回かあって。それがすごくうれしかった』」

きっと、川上弘美さんの書評は、この嬉しさが読む者に伝染するのでしょうね。
どのように書評を書くかも答えております。

「書評するしないにかかわらず、最初は漫然と読むそうだ。
『3、4日たって思い出したり、浮き上がったりしてきたものを、どうにかつかみたい』。同じ著者の別の本を手に取ることも心がける。・・・」

せっかくですから、もう少し

「子供の頃から本が好き。本屋があれば入ってしまう。でも意外なことに学生時代の読書感想文は『一回もほめられたことがない。すごく苦手で嫌い』だったそうだ。『今でも書評は難しい。言葉が出てこない苦しさはあっても、本が好きで、何か書きたい、と思った瞬間はうれしい』」

いまだ川上弘美著「大好きな本」は読んでいないのですが、「うれしい瞬間」に立ち会う予感がつまているような期待感を抱くたのしみ。



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