河合隼雄対談集「続々物語をものがたる」(小学館)に
大庭みな子さんとの対談で、伊勢物語を語っております。
そこに、
「大庭さんの現代語訳(「わたしの古典大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」集英社文庫、1996年)がすごく助けになりまして、これで鑑賞させていただきました。」と最初に語り始めておりました。
それではと、
「わたしの古典3 大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」(集英社・単行本)
を古本で購入することに、
古本屋は 藤井書店(富山市蓮町)
古本代400円+送料80円=480円なり。
大庭みな子訳の伊勢物語は
現代語訳で、和歌の箇所だけは本文をそのままに引用したあとに、
【 】をして、和歌みたいな語数で現代語訳をつけており、
まずは、原文の和歌をもってきているのが、魅力の構成となっておりました。
とりあえず、全文を現代語訳でさらりと見渡すのに便利だろうなあ、という感じをうけます。なんて、私は窪田空穂の評釈を、とりあえずパラパラめくってから、こちらを見ているので、そう思うのかもしれません。一冊だけじゃ、やはり分かりづらいだろうなあ、と思われます。いろいろと読み比べながら、だんだんと読み進められる手ごたえがつかめるような気がしてきました。
ちなみに、
「続々物語をものがたる」のあとに、伊勢物語の短い解説が吉田尚氏によって書かれておりましたので、それを引用。
「日本の物語には、和歌を核として、詠歌事情や和歌からの連想を語る一群がある。これらは『歌物語』と呼ばれ、『伊勢物語』は現代に伝わる最も古い歌物語である。六歌仙の一人、在原業平らしき人物を主人公に、『むかし男』の元服から臨終までをとりあげて、二条の后や伊勢斎宮らとの悲恋に彩られた、その人生を語る。・・・」
大庭みな子訳といえば、
ドナルド・キーン著「古典の愉しみ」(宝島社文庫)が
大庭さんの訳で出ており、読んだことがありました。
そこにも、伊勢物語にふれた箇所がでてきますので、
そこも少し引用しておきます。
「歌物語は歌を中心に組み立てられたものである。・・・一貫した筋書はない。これまでに最も高く評価されている歌物語は『伊勢物語』である。これは、『古今集』とともに後の平安期の日本の文学に大きな影響を与えた。数多くの写本が残されていて、多くは絵入りのものである。行きがかり的なつながりしかない百二十五のエピソードで、しかも時には単にいつどこで詠まれたという程度の説明しかない内容の本が、どうしてそんなに人の心に訴えるのか不思議ではある。・・・」(宝島社文庫・p123)
大庭みな子さんとの対談で、伊勢物語を語っております。
そこに、
「大庭さんの現代語訳(「わたしの古典大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」集英社文庫、1996年)がすごく助けになりまして、これで鑑賞させていただきました。」と最初に語り始めておりました。
それではと、
「わたしの古典3 大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」(集英社・単行本)
を古本で購入することに、
古本屋は 藤井書店(富山市蓮町)
古本代400円+送料80円=480円なり。
大庭みな子訳の伊勢物語は
現代語訳で、和歌の箇所だけは本文をそのままに引用したあとに、
【 】をして、和歌みたいな語数で現代語訳をつけており、
まずは、原文の和歌をもってきているのが、魅力の構成となっておりました。
とりあえず、全文を現代語訳でさらりと見渡すのに便利だろうなあ、という感じをうけます。なんて、私は窪田空穂の評釈を、とりあえずパラパラめくってから、こちらを見ているので、そう思うのかもしれません。一冊だけじゃ、やはり分かりづらいだろうなあ、と思われます。いろいろと読み比べながら、だんだんと読み進められる手ごたえがつかめるような気がしてきました。
ちなみに、
「続々物語をものがたる」のあとに、伊勢物語の短い解説が吉田尚氏によって書かれておりましたので、それを引用。
「日本の物語には、和歌を核として、詠歌事情や和歌からの連想を語る一群がある。これらは『歌物語』と呼ばれ、『伊勢物語』は現代に伝わる最も古い歌物語である。六歌仙の一人、在原業平らしき人物を主人公に、『むかし男』の元服から臨終までをとりあげて、二条の后や伊勢斎宮らとの悲恋に彩られた、その人生を語る。・・・」
大庭みな子訳といえば、
ドナルド・キーン著「古典の愉しみ」(宝島社文庫)が
大庭さんの訳で出ており、読んだことがありました。
そこにも、伊勢物語にふれた箇所がでてきますので、
そこも少し引用しておきます。
「歌物語は歌を中心に組み立てられたものである。・・・一貫した筋書はない。これまでに最も高く評価されている歌物語は『伊勢物語』である。これは、『古今集』とともに後の平安期の日本の文学に大きな影響を与えた。数多くの写本が残されていて、多くは絵入りのものである。行きがかり的なつながりしかない百二十五のエピソードで、しかも時には単にいつどこで詠まれたという程度の説明しかない内容の本が、どうしてそんなに人の心に訴えるのか不思議ではある。・・・」(宝島社文庫・p123)