今日の毎日新聞(7月8日)。
3ページある今週の本棚の2ページ右上に
二段の小さな書評が掲載されております。
丸谷才一著「快楽としての読書 日本篇・海外篇」を
取り上げており、評者は(水)。
その短い書評のはじまりは、
「書評を一種の使命と考え続けてきた作家の、すぐれた書評の集成である。」
日本篇と海外篇から、ひとつづつ引用されており、
海外篇はM・エリアーデの『日記』をとりあげていました。
うん。さっそく古本屋へ、その『日記』を注文。
さてっと、丸谷才一著「快楽としての読書 海外篇」の解説は
鹿島茂氏が書いており、興味深い。
そのはじまりは
「私はこれまで相当数の文庫解説をこなしてきたので断定できるのだが、世にこれだけ『お得』な文庫はない。お得であるばかりか類書のない文庫であるとさえいえる。」
「どの作品も『書評』として書かれていることである。
『ホメロス』の書評、『新約聖書』の書評、『失楽園』の書評、『ガリヴァー旅行記』の書評、『失われた時を求めて』の書評・・・こんなに贅沢で豪華なラインナップの書評があっていいものか?」
「私も書評家の端くれだから、この評価の難しさについては理解しているつもりである。というのも、評価はそのままその書評家の評価として跳ね返ってくるからである。ろくでもない本を高く評価したり、あるいは逆に大傑作を酷評したりすれば、書評家自身が評価を落とすことになる。つまり、書評家は自らが作品に与える評価によって逆に評価されるのであり、基本的には、老舗の商人と同じように『客からの信用で生きていく商売』なのである。この意味で、日本で最も信用度の高い書評家である丸谷才一の傑作書評からなる本書がいずれ日本における『書評のカノン』となることはまずまちがいないところである。・・・」
うん。このくらいの引用でよいでしょうか。
あ。そうそう。鹿島茂氏の解説の最後は、こうでした。
「 丸谷才一の書評は二度読め!
作品を読む前と読んだ後に。
ことほどさように、
これほど『お得な』文庫はめったにないのである。」
3ページある今週の本棚の2ページ右上に
二段の小さな書評が掲載されております。
丸谷才一著「快楽としての読書 日本篇・海外篇」を
取り上げており、評者は(水)。
その短い書評のはじまりは、
「書評を一種の使命と考え続けてきた作家の、すぐれた書評の集成である。」
日本篇と海外篇から、ひとつづつ引用されており、
海外篇はM・エリアーデの『日記』をとりあげていました。
うん。さっそく古本屋へ、その『日記』を注文。
さてっと、丸谷才一著「快楽としての読書 海外篇」の解説は
鹿島茂氏が書いており、興味深い。
そのはじまりは
「私はこれまで相当数の文庫解説をこなしてきたので断定できるのだが、世にこれだけ『お得』な文庫はない。お得であるばかりか類書のない文庫であるとさえいえる。」
「どの作品も『書評』として書かれていることである。
『ホメロス』の書評、『新約聖書』の書評、『失楽園』の書評、『ガリヴァー旅行記』の書評、『失われた時を求めて』の書評・・・こんなに贅沢で豪華なラインナップの書評があっていいものか?」
「私も書評家の端くれだから、この評価の難しさについては理解しているつもりである。というのも、評価はそのままその書評家の評価として跳ね返ってくるからである。ろくでもない本を高く評価したり、あるいは逆に大傑作を酷評したりすれば、書評家自身が評価を落とすことになる。つまり、書評家は自らが作品に与える評価によって逆に評価されるのであり、基本的には、老舗の商人と同じように『客からの信用で生きていく商売』なのである。この意味で、日本で最も信用度の高い書評家である丸谷才一の傑作書評からなる本書がいずれ日本における『書評のカノン』となることはまずまちがいないところである。・・・」
うん。このくらいの引用でよいでしょうか。
あ。そうそう。鹿島茂氏の解説の最後は、こうでした。
「 丸谷才一の書評は二度読め!
作品を読む前と読んだ後に。
ことほどさように、
これほど『お得な』文庫はめったにないのである。」