岡崎久彦・長谷川三千子「日本の民主主義に将来はあるか」(海竜社)を読みました。長谷川三千子氏のあとがきに、こんな箇所。
「・・実は正直に言うと、第一回の対談のあとでは、これは『対談』にならないのではなかろうか、という不安があった。つまり、どうもずれだの相違点だのが見えてこないのである。互いに行儀よく、はあ、はあ、なるほど、とうなずき合っているような塩梅で、これでは大丈夫なのかしらん、と編集担当の美野さんに不安をもらすと、美野さんは少しも心配していない様子で泰然としていた――『まあ、ゆっくりお待ち下さい。岡崎先生は加筆なさってからが本番ですから』。そして実際、加筆、肉づけの段階になって、この対談はにわかに『対談』になってきたのだった。・・・」(p330~331)
対談の中ごろ、ちょうど板垣退助に関する丁々発止から、私には、がぜん面白くなっていきました。
対談のなかでも、いろいろ本が登場するので
よみたくなります。
長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」(文春新書)
岡崎久彦著「戦略的思考とは何か」(中公新書)
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」
岡崎久彦著「クーデターの政治学」(中公新書)
「憲政回顧録」
「21世紀をいかに生き抜くか」(PHP研究所)
板垣退助著「自由党史」(岩波文庫)
仲手川良雄著「古代ギリシャにおける自由と正義」(創文社)
城内実著「政治家の裏事情」(幻冬社)
ここでは、岡崎氏の対談での最後の言葉を引用。
「私が戦後世代について違和感を感じる最大の点は、皆、発言を求められると、何でも、政府か社会の不正を糾弾しなければならないと思っている。学校でもそう教えてるんじゃないでしょうか。そうすると、ともすると批判ばかりで、じゃあどうするのだと聞くと、もっと国民の意見を聞いて、などと建前論を言うだけで、建設的意見が返ってこない場合が多い。私が覚えている戦前の教育では、他人を責めるよりも、まず自分を責めるのが当然の美徳でした。古人の美徳を学びそれを実践することを教えるのが教育でした。教育もそこに立ち返るべきです。・・・・日本の歴史と伝統、それも日本人の美質を教える教育こそ、民主主義というものに本質的に存在する欠陥を補い、日本の民主主義をより完全なものにする正攻法ではないでしょうか。」(p327~328)
「・・実は正直に言うと、第一回の対談のあとでは、これは『対談』にならないのではなかろうか、という不安があった。つまり、どうもずれだの相違点だのが見えてこないのである。互いに行儀よく、はあ、はあ、なるほど、とうなずき合っているような塩梅で、これでは大丈夫なのかしらん、と編集担当の美野さんに不安をもらすと、美野さんは少しも心配していない様子で泰然としていた――『まあ、ゆっくりお待ち下さい。岡崎先生は加筆なさってからが本番ですから』。そして実際、加筆、肉づけの段階になって、この対談はにわかに『対談』になってきたのだった。・・・」(p330~331)
対談の中ごろ、ちょうど板垣退助に関する丁々発止から、私には、がぜん面白くなっていきました。
対談のなかでも、いろいろ本が登場するので
よみたくなります。
長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」(文春新書)
岡崎久彦著「戦略的思考とは何か」(中公新書)
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」
岡崎久彦著「クーデターの政治学」(中公新書)
「憲政回顧録」
「21世紀をいかに生き抜くか」(PHP研究所)
板垣退助著「自由党史」(岩波文庫)
仲手川良雄著「古代ギリシャにおける自由と正義」(創文社)
城内実著「政治家の裏事情」(幻冬社)
ここでは、岡崎氏の対談での最後の言葉を引用。
「私が戦後世代について違和感を感じる最大の点は、皆、発言を求められると、何でも、政府か社会の不正を糾弾しなければならないと思っている。学校でもそう教えてるんじゃないでしょうか。そうすると、ともすると批判ばかりで、じゃあどうするのだと聞くと、もっと国民の意見を聞いて、などと建前論を言うだけで、建設的意見が返ってこない場合が多い。私が覚えている戦前の教育では、他人を責めるよりも、まず自分を責めるのが当然の美徳でした。古人の美徳を学びそれを実践することを教えるのが教育でした。教育もそこに立ち返るべきです。・・・・日本の歴史と伝統、それも日本人の美質を教える教育こそ、民主主義というものに本質的に存在する欠陥を補い、日本の民主主義をより完全なものにする正攻法ではないでしょうか。」(p327~328)