朝日新聞夕刊1993年1月22日。
その切り抜きを持っております。
文化欄のコラム「出あいの風景」を
北川透氏が書いておりました。
その回の題が「詩は老年の文学」。
そこには、こうありました。
「・・あの北原白秋や萩原朔太郎だって、五十歳代で亡くなっている。しかし、現在、四十、五十の詩人など、まだ、鼻たれ小僧である。なぜなら、六十歳代やそれより上の年輩の詩人が、ひとつの層をなしていているからだ。・・」
このコラムの最後は
「近代詩百年を経て、詩はようやく青春の文学から解放されかかっているのかもしれない。」
西田繁詩集「天を仰いで」を読んでから、
このコラムを思い浮かべたのでした。
その切り抜きを持っております。
文化欄のコラム「出あいの風景」を
北川透氏が書いておりました。
その回の題が「詩は老年の文学」。
そこには、こうありました。
「・・あの北原白秋や萩原朔太郎だって、五十歳代で亡くなっている。しかし、現在、四十、五十の詩人など、まだ、鼻たれ小僧である。なぜなら、六十歳代やそれより上の年輩の詩人が、ひとつの層をなしていているからだ。・・」
このコラムの最後は
「近代詩百年を経て、詩はようやく青春の文学から解放されかかっているのかもしれない。」
西田繁詩集「天を仰いで」を読んでから、
このコラムを思い浮かべたのでした。