いつもは、一読して顧みずに、
次の本へ、となるのですが、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」は
指南書を読む要領で、再読する楽しみ
がありました。
最初の方にこうあります。
「以前二十歳前後の学生たちを相手に
『国語表現』という講義を担当していたとき、
面白い経験をしたことがあります。
一年間の講義もそろそろ終わりに近づいたころ、
二回分ほどの時間を使って手紙の書き方の
説明と実践を試みました。講義の付録の
つもりです。すると説明を始めるや一年の
大半を退屈を我慢して聴いていた(ふりをしていた)
学生たちが、真剣な顔でノートをとり始めたのです。
話の内容といえば、拝啓で始まり敬具で終わること、
自分のことは後回しにしてまず相手のご機嫌を
うかがうこと、文中、相手の名前はなるべく
行の下に置かないように、自分の名前は上に
ならないようにしたほうがいいだろうといった
程度の、言わば手紙のイロハ、講義の名にも
値しないような事柄です。しかし、学生たちの
この反応は、ほぼ毎年、例外なく同じでした。
その時、かれらが小・中・高を通じて、
手紙の書き方、その言葉遣いなどを教えられて
こなかったこと、若い世代といえども改まった
場できちんとものを言う(書く)ことができる
ようにしておきたいと欲していることを知り
ました。」(p29)
うん。うん。
もうすこし引用を続けます。
「現代の日本人は文語文を書かなくなりましたが、
文章の骨格や表現のしかたから見ると、『拝啓、
向寒の候皆さまにはますますご健勝の御事と
存じます。』というおなじみの儀礼的な手紙文は、
あきらかに昔の候文の流れを引いています。
いわば口語文の中の文語的文章といっていいか
もしれません。つまり現代の日本人といえども
文語風の表現というものは必要であり、欲して
もいるのです。
真心溢れる手紙というものはもちろんもらって
嬉しいにちがいないにしても、私たちのやり取り
する手紙の大半は儀礼的なものです。しかし、
ものを贈って、常套句のみの手紙であっても
自筆で返事をもらったときは、その人に対する
信頼は増すものであることを私たちは知っています。
手紙というものを現代人が書かなくなった理由には、
・ ・・・決まり文句で手紙を書くことができなく
なったことも理由の一つだと思います。たしかに、
中元や歳暮の礼状を書くたびに沈思黙考していては
身がもちません。
候文というのは、覚えてしまうとなかなか便利なもの
だったよと、新米の教員だったころ明治生まれの
古参の先輩から聞いたことがあります。
文語体には文語体の効用もあったのです。」(p30~31)
次の本へ、となるのですが、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」は
指南書を読む要領で、再読する楽しみ
がありました。
最初の方にこうあります。
「以前二十歳前後の学生たちを相手に
『国語表現』という講義を担当していたとき、
面白い経験をしたことがあります。
一年間の講義もそろそろ終わりに近づいたころ、
二回分ほどの時間を使って手紙の書き方の
説明と実践を試みました。講義の付録の
つもりです。すると説明を始めるや一年の
大半を退屈を我慢して聴いていた(ふりをしていた)
学生たちが、真剣な顔でノートをとり始めたのです。
話の内容といえば、拝啓で始まり敬具で終わること、
自分のことは後回しにしてまず相手のご機嫌を
うかがうこと、文中、相手の名前はなるべく
行の下に置かないように、自分の名前は上に
ならないようにしたほうがいいだろうといった
程度の、言わば手紙のイロハ、講義の名にも
値しないような事柄です。しかし、学生たちの
この反応は、ほぼ毎年、例外なく同じでした。
その時、かれらが小・中・高を通じて、
手紙の書き方、その言葉遣いなどを教えられて
こなかったこと、若い世代といえども改まった
場できちんとものを言う(書く)ことができる
ようにしておきたいと欲していることを知り
ました。」(p29)
うん。うん。
もうすこし引用を続けます。
「現代の日本人は文語文を書かなくなりましたが、
文章の骨格や表現のしかたから見ると、『拝啓、
向寒の候皆さまにはますますご健勝の御事と
存じます。』というおなじみの儀礼的な手紙文は、
あきらかに昔の候文の流れを引いています。
いわば口語文の中の文語的文章といっていいか
もしれません。つまり現代の日本人といえども
文語風の表現というものは必要であり、欲して
もいるのです。
真心溢れる手紙というものはもちろんもらって
嬉しいにちがいないにしても、私たちのやり取り
する手紙の大半は儀礼的なものです。しかし、
ものを贈って、常套句のみの手紙であっても
自筆で返事をもらったときは、その人に対する
信頼は増すものであることを私たちは知っています。
手紙というものを現代人が書かなくなった理由には、
・ ・・・決まり文句で手紙を書くことができなく
なったことも理由の一つだと思います。たしかに、
中元や歳暮の礼状を書くたびに沈思黙考していては
身がもちません。
候文というのは、覚えてしまうとなかなか便利なもの
だったよと、新米の教員だったころ明治生まれの
古参の先輩から聞いたことがあります。
文語体には文語体の効用もあったのです。」(p30~31)