三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)を
読了。読めてよかった。
いろいろあるのですが、ここでは、
ひとつだけ引用。
「戦前と戦後の文語教育の大きな違いは、
古典教材の取り上げ方もさることながら、
文語教材の継続性・一貫性の問題に尽きます。
何度も述べたように戦前の戦時体制以前の
文語教育は、初等教育の後半から始まり、
平易な教材から始めて少しずつ教材の量を
増やし、中等教育につなぐという形をとって
いました。古典の原文が登場するのは中等教育
からで、小学校では、義経や曾我兄弟を扱った
教材でも、小学生のレベルに合わせて書き下ろ
した文語文でした。現在のように、小学生から
『万葉集』や『竹取物語』を読ませるというこ
とは行っていません。また、中等学校でも、
低学年は近代の文語文や近世の随筆などに
なじませ、やがて中世の古典に進み、
『伊勢物語』『土佐日記』など中古の文学は
中等学校高学年の教材でした。
戦後の教育は、一変して、近代や近世の文語文
を排除して、中学校までは少数の古典教材に
とどめ、高等学校の『古典』の科目で一度に
多くの古典の文章を読ませるという方法に
なりました。」(p234~235)
読了。読めてよかった。
いろいろあるのですが、ここでは、
ひとつだけ引用。
「戦前と戦後の文語教育の大きな違いは、
古典教材の取り上げ方もさることながら、
文語教材の継続性・一貫性の問題に尽きます。
何度も述べたように戦前の戦時体制以前の
文語教育は、初等教育の後半から始まり、
平易な教材から始めて少しずつ教材の量を
増やし、中等教育につなぐという形をとって
いました。古典の原文が登場するのは中等教育
からで、小学校では、義経や曾我兄弟を扱った
教材でも、小学生のレベルに合わせて書き下ろ
した文語文でした。現在のように、小学生から
『万葉集』や『竹取物語』を読ませるというこ
とは行っていません。また、中等学校でも、
低学年は近代の文語文や近世の随筆などに
なじませ、やがて中世の古典に進み、
『伊勢物語』『土佐日記』など中古の文学は
中等学校高学年の教材でした。
戦後の教育は、一変して、近代や近世の文語文
を排除して、中学校までは少数の古典教材に
とどめ、高等学校の『古典』の科目で一度に
多くの古典の文章を読ませるという方法に
なりました。」(p234~235)