この夏は、
中村草田男を読み返そうと思ったのに
読まずじまい。
ということで、出してきたのが
正岡子規著「病牀六尺」(岩波文庫ワイド版)
パラリとひらくと、
こんな箇所。
「去年の夏、毎日毎日暑さに苦しめられて
終日病床にもがいた末、日脚が斜めに樹の影を
押して、微風が夕顔の白き花を吹き揺かすのを
見ると何ともいはれぬ心持になつて始めて人間
に生き返るのであった。その昼中の苦とその
夕方の愉快さとが忘られんので今年も去年より
一倍の苦を感ずるのは知れきつて居るから、
せめて夕顔の白き花でも見ねばとてもたまるまい
と思ふて夕顔の苗を買ふて病室の前に植ゑつけたが
一本も残らず枯れてしまふた。看病のために庭の
掃除も手入も出来ぬ上に、植木屋が来てくれんで
松も椎も枝がはびこつて草苗などは下蔭になつて
生長することが出来ぬのであらう。もう今頃は
白い花が風に動いて居るだろうと思ふと、見ぬ
家の夕顔さへ面影に立つて羨ましくて羨ましくて
たまらぬ。・・・(八月十二日)p145~146
さてっと、この文庫の解説は
上田三四二氏でした。その解説の最後を引用。
「『病牀六尺』の最後の回の載った翌
9月18日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて
辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句
を書付けた。『糸瓜咲て痰のつまりし仏なか』。
痰を切り、ひと息いれて、
『痰一斗糸瓜の水も間にあわず』。
またひと休みして、
『をとゝひのへちまの水も取らざりき』。
そこで、筆を投げた。穂先がシーツを
わずかに汚した。そしてその日のうちに
昏睡におちいった子規は、越えて19日の
午前1時に、息を引き取る。36歳。
いまふうに数えて、35歳になる直前であった。」
(p193)
うん。この秋は正岡子規を読みたい(笑)。
中村草田男を読み返そうと思ったのに
読まずじまい。
ということで、出してきたのが
正岡子規著「病牀六尺」(岩波文庫ワイド版)
パラリとひらくと、
こんな箇所。
「去年の夏、毎日毎日暑さに苦しめられて
終日病床にもがいた末、日脚が斜めに樹の影を
押して、微風が夕顔の白き花を吹き揺かすのを
見ると何ともいはれぬ心持になつて始めて人間
に生き返るのであった。その昼中の苦とその
夕方の愉快さとが忘られんので今年も去年より
一倍の苦を感ずるのは知れきつて居るから、
せめて夕顔の白き花でも見ねばとてもたまるまい
と思ふて夕顔の苗を買ふて病室の前に植ゑつけたが
一本も残らず枯れてしまふた。看病のために庭の
掃除も手入も出来ぬ上に、植木屋が来てくれんで
松も椎も枝がはびこつて草苗などは下蔭になつて
生長することが出来ぬのであらう。もう今頃は
白い花が風に動いて居るだろうと思ふと、見ぬ
家の夕顔さへ面影に立つて羨ましくて羨ましくて
たまらぬ。・・・(八月十二日)p145~146
さてっと、この文庫の解説は
上田三四二氏でした。その解説の最後を引用。
「『病牀六尺』の最後の回の載った翌
9月18日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて
辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句
を書付けた。『糸瓜咲て痰のつまりし仏なか』。
痰を切り、ひと息いれて、
『痰一斗糸瓜の水も間にあわず』。
またひと休みして、
『をとゝひのへちまの水も取らざりき』。
そこで、筆を投げた。穂先がシーツを
わずかに汚した。そしてその日のうちに
昏睡におちいった子規は、越えて19日の
午前1時に、息を引き取る。36歳。
いまふうに数えて、35歳になる直前であった。」
(p193)
うん。この秋は正岡子規を読みたい(笑)。