和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

夏から秋。

2014-09-22 | 詩歌
この夏は、
中村草田男を読み返そうと思ったのに
読まずじまい。
ということで、出してきたのが
正岡子規著「病牀六尺」(岩波文庫ワイド版)
パラリとひらくと、
こんな箇所。

「去年の夏、毎日毎日暑さに苦しめられて
終日病床にもがいた末、日脚が斜めに樹の影を
押して、微風が夕顔の白き花を吹き揺かすのを
見ると何ともいはれぬ心持になつて始めて人間
に生き返るのであった。その昼中の苦とその
夕方の愉快さとが忘られんので今年も去年より
一倍の苦を感ずるのは知れきつて居るから、
せめて夕顔の白き花でも見ねばとてもたまるまい
と思ふて夕顔の苗を買ふて病室の前に植ゑつけたが
一本も残らず枯れてしまふた。看病のために庭の
掃除も手入も出来ぬ上に、植木屋が来てくれんで
松も椎も枝がはびこつて草苗などは下蔭になつて
生長することが出来ぬのであらう。もう今頃は
白い花が風に動いて居るだろうと思ふと、見ぬ
家の夕顔さへ面影に立つて羨ましくて羨ましくて
たまらぬ。・・・(八月十二日)p145~146

さてっと、この文庫の解説は
上田三四二氏でした。その解説の最後を引用。

「『病牀六尺』の最後の回の載った翌
9月18日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて
辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句
を書付けた。『糸瓜咲て痰のつまりし仏なか』。
痰を切り、ひと息いれて、
『痰一斗糸瓜の水も間にあわず』。
またひと休みして、
『をとゝひのへちまの水も取らざりき』。
そこで、筆を投げた。穂先がシーツを
わずかに汚した。そしてその日のうちに
昏睡におちいった子規は、越えて19日の
午前1時に、息を引き取る。36歳。
いまふうに数えて、35歳になる直前であった。」
(p193)

うん。この秋は正岡子規を読みたい(笑)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする