和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

1960年の竹山道雄。

2014-09-01 | 短文紹介
平川祐弘著「日本の正論」(河出書房新社)を
パラリパラリとひらいております。

たとえば、
「1960(昭和35)年2月14日「産経新聞」夕刊
の「思うこと」欄に竹山道雄が「基地と平和」に
ついて書いた考察」
その内容を引用してはじまる文(p61~65)。
その始まりから引用。

「少し長いが、次の引用文からお読み頂きたい。
『日本にいる米軍がよそに出勤したら、
その基地が報復をうけ、これによって
日本が戦争に巻きこまれるようになる
というのが、いまの心配である。
米軍がいると戦争に近づく、いなければ
遠のく――、多くの人がこう考えている。
しかしあべこべに、米軍がいると戦争が
遠のくがいなければ近づく、と考えるのは
どうだろう。歴史の事実は後の考えの方が
根拠があることを示している。・・・・
(1950年の)朝鮮のように、米軍が手薄
になるとたちまちに事がおこって、
真空理論を実証したところもある』
『基地があれば、外からうっかり手は出さ
ない。はじめにさぐりを入れて、抵抗がない
という自信がつけば軍事侵略をするが、
これはいけないとわかれば・・立ち消える。
全面戦争はあきらかに避けているのだから、
米軍基地を攻撃すれば全面的抗争になるし、
米軍の基地があることは、ヨーロッパと
おなじく極東にとっても、戦争抑制の保障
である。・・・もし万一にも全面戦争にでも
なったら、基地があろうとなかろうと巻き
こまれることはおなじである。こういう事情が
根本から変ったと考えうる根拠は、まだない』
・ ・・・吉田茂や岸信介など責任ある政治家は
そう考えていただろう。・・・その年の春、
大新聞が煽動するものだから、国会の周辺は連日
『安保反対!』のデモに学生や労働組合員が
動員され、世間は騒然とした。・・・・
それまでの五年間、ヨーロッパに留学する
うちに、私は過去の日本の軍国主義は良くなか
ったが、スターリンや毛沢東の一党独裁体制は
それよりさらに非人間的で残酷なものだと警戒
するようになっていた。英国が米国と同盟する
ことで専制主義的大国の脅威から自国の安全を
はかるように、日本も米国と手をつないで自国
の安全と自由を守るべきだと思うにいたったのである。
周囲の大学院生のように『安保反対!』などと
叫ぶ気はまったくない。モスクワ放送や北京放送
の喜ぶような騒ぎに加わる人の気が知れなかった。
だが学生たちは暴力的なデモを繰り返し、
警官隊と衝突し、女学生が一人死んだ。
活動家学生が目をつりあげて『民主主義を守れ!』
と叫ぶ、私も『民主主義を守れ』と静かに、
多少皮肉っぽく応じる。
そのテンポを一つずらした語調で、
私のいう民主主義が『議論をした後は最終的には
国民や国会の多数の意見に従え』という
常識的な意味だとすぐ伝わった。当時は
自由民主党が国会の過半を制していたのである。」

「あの年に大騒ぎの中で改定された日米安保
条約も五十年たった。・・・
それで世間がどう考えているのかと藤原書店の
『環』41号の『日米安保を問う』特集と、
亜紀書房の西原正・土山實男監修『日米同盟再考』
を読んだ。前者ではロシアの日本学者モロジャコフ
が日米安保は『どこまで中国の拡大を抑止するだ
ろうか』といいつつも『少なくともこの同盟は、
東北アジアにおけるパワー・バランスを維持し
ている』とロシアの国益から見てこの同盟に
反対していない。
中国の陳破空は天安門事件以後に米国に居を
移した人だけに、米軍が日本から撤退すれば
大中華帝国が拡大するだろうと懸念を表明し
ている。日本の安保反対オタクと言い分が
まるで違う。」

これは2010年7月30日に
産経新聞「正論」欄に掲載とあります。



うん。平川祐弘著「日本の正論」は
いっきょに読んでしまうには、
惜しい内容がつまった一冊(笑)。
コメント
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