古田島洋介著「文語文入門」(吉川弘文館)を
読み始めたところです。
これが面白いほど、よくわかり。
ありがたい。
たとえば、第二章のはじまりは、こんなです。
「今日の日本語の文章は、改行すれば
行頭に一字分の空格を設け、文は適宜に
読点(てん)で切り、文末には句点(まる)
を打つのが、体裁上の約束事である。けれども、
明治期の文章は、行頭に空格を設けず、
句読点を一つも打たずに記してあることが多く、
漢文訓読体も例外ではない。
体裁は一般にめりはりを欠き、
改行が明らかでない点ではべた書きの印象を与え、
句読点がない点ではだらだら書きの雰囲気が漂う。」(p33)
いまだに、句読点が苦労の種の私は
何か気が楽になっていくような(笑)。
こんな箇所もあります。
「漢文訓読体に用いられている漢字は、
すべて旧字体である。そして、にべもない
言い方だが、旧字体が読めるようになるため
の即効薬はない。地道に学び、次第に慣れて
ゆくほかないのである。」(p37)
ハイ。と思わず答えてしまうような(笑)。
まあ、こうして始まっている一冊。
そして、気持ちのいい、手ごたえ。
読み始めたところです。
これが面白いほど、よくわかり。
ありがたい。
たとえば、第二章のはじまりは、こんなです。
「今日の日本語の文章は、改行すれば
行頭に一字分の空格を設け、文は適宜に
読点(てん)で切り、文末には句点(まる)
を打つのが、体裁上の約束事である。けれども、
明治期の文章は、行頭に空格を設けず、
句読点を一つも打たずに記してあることが多く、
漢文訓読体も例外ではない。
体裁は一般にめりはりを欠き、
改行が明らかでない点ではべた書きの印象を与え、
句読点がない点ではだらだら書きの雰囲気が漂う。」(p33)
いまだに、句読点が苦労の種の私は
何か気が楽になっていくような(笑)。
こんな箇所もあります。
「漢文訓読体に用いられている漢字は、
すべて旧字体である。そして、にべもない
言い方だが、旧字体が読めるようになるため
の即効薬はない。地道に学び、次第に慣れて
ゆくほかないのである。」(p37)
ハイ。と思わず答えてしまうような(笑)。
まあ、こうして始まっている一冊。
そして、気持ちのいい、手ごたえ。