はい。昨日、寝床でひらいたのは、
堀田善衛著「めぐりあいし人びと」(集英社・1993年)。
うん。朝起きて、あと2冊を本棚からとりだす。
「ベニシアの京都里山日記」(世界文化社・2009年)。
北條秀司著「京・四季の旅情」(淡交社・1981年)。
あとは、鐘の音ということで順番に引用。
最初は、堀田善衛氏の本の最後の方でした。
スペインについて前置きしたあとに、
「たとえば、今やもう東京に限らず、日本のほとんどの都市では、
鐘の音が聞こえるようなところはありません。それに対して
ヨーロッパでは、現在でも教会の鐘の音が日常生活を仕切っています。
・・・・ヨーロッパでは、鐘というのは重要な意味をもっています。
日本でも、私が子供のころにはまだ、夕方、お寺の鐘が鳴ったら
帰ろうかという童謡もあるように、鐘の音と日常生活が密接に
結びついていました。
そうしたお寺や神社というのは、宗教であると同時に歴史ですから、
鐘が鳴るということは同時に歴史が鳴っているといえます・・・」
ちなみに、堀田氏は1918年(大正7年)生まれ。
ここから、堀田氏は「歴史意識の形成」へと飛びますが、
私にはここでは収まりきれないので、引用はここまでにして
2冊目へといきます。
ベニシアさんの曽祖父カーゾン卿がはじめて訪れた京都の
文を引用しておりました。
「『この街は豊かな緑に包まれており、その趣のある優雅な姿が
山間に浮かんでいます。夜明けに街全体が白い霧に包まれた時は、
寺院の重厚な黒い屋根が、まるで転覆した巨大な船が海から
浮かび上がってくるかのように見えます。すると、もやの向うから
寺院の鐘が鳴り、哀愁のある空気が徐々に広がってきました。
・・・・』このようにカーゾン卿が本の中で書き残したことは、
私が・・1971年に初めて京都に到着した日に、目にし、感じたこと
と同じでした。・・・」(p20~21)
つぎは、その京都の除夜の鐘。
北條秀司氏の「除夜の鐘」と題する文です。
1902年大阪市北堀江生まれ。で東京に住まわれていたようです。
「・・・京都の除夜の鐘もずいぶんと聴いた。
終戦直後嵐山の定宿で、おかみさんと二人、天龍寺の鐘の音を
たのしみながら、物資欠乏の空腹を紛らしたことも、つい昨日の
ことのように思われるのに、いつか30年の歳月が経っていることになる。
往時茫々、そんな言葉が胸に湧くのも大年の夜のたのしさであろう。
天龍寺の鐘の合間には川向うの法輪寺や大悲閣の鐘も聞こえていた。
京都はお寺が多いので、一つの寺の除夜だけを聴けることはわりとすくない。
妙心寺の除夜を聴いている耳には仁和寺の鐘がダブッて聞こえる。
高台寺の除夜には清水寺がダブる。相国寺には大徳寺がダブる。」
はい。3冊目の最後。三題噺だと、これでおわるので
もうすこし引用を重ねます。
「その複数のおもしろさも京都の大つごもりのたのしさである。
去年も複数の除夜を聴いた。法然院の鐘を間近く聴いてやろうと
思って、鹿ヶ谷と対面の吉田山に登った。そして、宗忠神社の境内の、
霜の降りた石に腰を下ろして、まっ暗な中で静かに刻を待った。
除夜の鐘は鳴り出すのを待っている緊張感が魅力的だ。
シーンと耳底を澄ましている中へ、第一杵がゴーンと聞こえてくる。
あの第一音がこころよい。心が澄みわたる。
計画どおり法然院の鐘が手に取るような近さに聞こえ出した。
その横からもう一つの鐘がはいり込んできた。真如堂の鐘だ。
いや、もう一つ遠くから大きな鐘が聞こえてくる。南禅寺らしい。
夜気が凍っているからそのほかの小さな鐘も聞こえている。
まるで除夜の鐘交響曲だ。
こんなうつくしい音楽芸術が世界にあるか。・・・」(p230~231)
こんな除夜の鐘交響曲は聴けませんが、
堀田善衛氏の晩年のエッセイをひらいていると、
鐘が鳴るようにして、歴史が聴こえてくるようです。
ということで、これからしばらくの寝床の本が決まりました。