和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「少し元気になりました」

2020-11-12 | 本棚並べ
寝ながら、座談集「時代の風音」(UPU・1992年)を
パラパラとひらいているのですが、
この堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿の鼎談は、
あれやこれやと、内容が飛びかい、私にはとても紹介は無理。
こういうときは、はじまりとか、あとがきを引用することに。

ということで、はじまり。宮崎駿さんが口火を
切っておりました。

宮崎】 じつは、お二人にお話をしていただきたいと、
私はずっと長いあいだ熱烈に願っていたのです。
ひとつには、私は若いときから堀田さんの作品を読んで、
・・・・影響をうけてきたつもりです・・・・

同時に、司馬さんの本を読んでいまして、とくに
『明治という国家』やNHKテレビの『太郎の国の物語』は
ビデオで何度も見てひじょうに感動しました。・・・・・

お二人にちがいというのは、カソリックとプロテスタントの
ちがいかな、と勝手に思ったりしてるのです・・・・

・・・ついでにおしゃべりしてしまいますと、
私は子供を相手に商売しているものですから、
子供たちの状況というのが気になるわけです。
 ・・・・・
要するにリップサービスで愛だとか友情だとか
というのではなくて、本音を語らないと
子供たちはまったく受けつけません。(~p11)


はい。真ん中をとばして、
宮崎さんの「あとがき」から引用。

「・・・この時代とこの日本について、
おふたりにお話いただきたいと夢見ていました。
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
堀田さんは、牛車に折りたたみ式の方丈を乗せて、
京をすてて山へ入っていく鴨長明のようでした。

司馬さんは、天山北麓のみどりの斜面の、
馬にまたがった白髪の胡人のようでした。

私はとり残された裏店の絵草子屋のようでした。

私事で申訳ありませんが、
死んだ母のことを思い出していました。
『人間はしかたのないものだ』というのが彼女の口癖で、
若い私と何度も激しくやりとりしたのです。

戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、
不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。

茫然としながらも、おふたりの言葉は
私の気を軽くしてくれました。

澄んだニヒリズムというと、誤解をまねくでしょうか。
安っぽいそれは人を腐らせ、
リアリズムに裏づけられたそれは、
人間を否定することとはちがうようです。

もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る
目差しが欲しいとつくづく思います。

二度にわたる鼎談のおかげで、私は少し元気になりました。
頭の眠っていた回路に、電流がながれたような気分です。
・・・・・・」(~p272)

コメント
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