寝ながら、座談集「時代の風音」(UPU・1992年)を
パラパラとひらいているのですが、
この堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿の鼎談は、
あれやこれやと、内容が飛びかい、私にはとても紹介は無理。
こういうときは、はじまりとか、あとがきを引用することに。
ということで、はじまり。宮崎駿さんが口火を
切っておりました。
宮崎】 じつは、お二人にお話をしていただきたいと、
私はずっと長いあいだ熱烈に願っていたのです。
ひとつには、私は若いときから堀田さんの作品を読んで、
・・・・影響をうけてきたつもりです・・・・
同時に、司馬さんの本を読んでいまして、とくに
『明治という国家』やNHKテレビの『太郎の国の物語』は
ビデオで何度も見てひじょうに感動しました。・・・・・
お二人にちがいというのは、カソリックとプロテスタントの
ちがいかな、と勝手に思ったりしてるのです・・・・
・・・ついでにおしゃべりしてしまいますと、
私は子供を相手に商売しているものですから、
子供たちの状況というのが気になるわけです。
・・・・・
要するにリップサービスで愛だとか友情だとか
というのではなくて、本音を語らないと
子供たちはまったく受けつけません。(~p11)
はい。真ん中をとばして、
宮崎さんの「あとがき」から引用。
「・・・この時代とこの日本について、
おふたりにお話いただきたいと夢見ていました。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
堀田さんは、牛車に折りたたみ式の方丈を乗せて、
京をすてて山へ入っていく鴨長明のようでした。
司馬さんは、天山北麓のみどりの斜面の、
馬にまたがった白髪の胡人のようでした。
私はとり残された裏店の絵草子屋のようでした。
私事で申訳ありませんが、
死んだ母のことを思い出していました。
『人間はしかたのないものだ』というのが彼女の口癖で、
若い私と何度も激しくやりとりしたのです。
戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、
不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。
茫然としながらも、おふたりの言葉は
私の気を軽くしてくれました。
澄んだニヒリズムというと、誤解をまねくでしょうか。
安っぽいそれは人を腐らせ、
リアリズムに裏づけられたそれは、
人間を否定することとはちがうようです。
もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る
目差しが欲しいとつくづく思います。
二度にわたる鼎談のおかげで、私は少し元気になりました。
頭の眠っていた回路に、電流がながれたような気分です。
・・・・・・」(~p272)