枕草子の119「あはれなるもの」は、
こうはじまっておりました。
「あはれなるもの 孝(こう)ある人の子。
よき男のわかきが御嶽精進(みたけしょうじ)したる。
たてへだてゐて、うちおこなひたるあかつきの額(ぬか)など、
いみじうあはれなり。・・・・・」
うん。わからない(笑)。
この箇所、明解な森三千代さんの現代語訳で引用。
「あはれなるもの」は、「感動深いもの」となっております。
「親をたいせつにする子をみると、深い感動をおぼえます。また、
いい家庭にそだった青年が、御嶽(吉野山金峰山。修験者の霊場)
にお参りしようとして、精進している姿も感動深いものです。
御嶽へ参る前には、いく日も家族たちとは起居を別にし、
身をきよめ、行ないをつつしみ、一心に信心をしなければなりません。
まだ暗いうちから、あけがたのお勤めをしているけはいを感じて、
別の部屋に寝ている家族たちは、どんな気持でいることでしょう。」
(p141「日本古典物語全集⑦枕草子物語」岩崎書店)
はい。そういえば、神田秀夫著「今昔物語」の久米寺に
久米の仙人が、お堂にこもりに行く場面がありました。
あらためて、その箇所を引用。
「・・・久米は、その場をはなれました。なるほど自分は、
あの妻の美しさにまよって、仙人になりそこなった笑われ者だ。
しかし、自分のことは、自分がいちばんよくわかっている。
あいつらが笑うほどに通力が落ちてすっかりなくなっているわけではない。
おのれ、ひとつ、目に物見せてくれようと、帰るやいなや、
わけを話して、妻を遠ざけ、一つのお堂にこもりに行きました。
そこで、久米は身をきよめ、断食して、七日七夜というもの、
一念こめて、一生けんめいお祈りをつづけました。
材木運びの仕事場では、久米のすがたが見えないので、
行事官たちは、笑い話の種にして、
『どうしたんだろう。』
『ほんとにやってるんだよ。』
『その気になって、ね。ばかなやつさ』
などと言っていました。 」
(p58~59「日本古典物語全集⑧今昔物語」)
うん。岩波文庫の今昔物語を取り出して、
こちらも、原文にあたってみることに
「『我れ仙の法を行ひ得たりきと云へども、
凡夫の愛欲に依(より)て、女人に心を穢して、
仙人に成る事こそ無からめ、年来行ひたる法也、
本尊何(いかで)か助け給ふ事無からむ』と思て、
行事官等に向て云く
『然らば、若(もし)やと祈り試む』と。
行事官、これを聞て、
『嗚呼(おこ)の事をも云ふ奴かな』とおもいながら、
『極て貴(とうと)かりなむ』と答ふ。
その後、久米一(ひとつ)の静なる道場に籠り居て、
身心清浄にして、食を断て、七日七夜不断に礼拝恭敬して、
心を至してこの事を祈る。
しかる間、七日既に過る。
行事官等、久米が不見(みえざ)る事を
且(かつ)は咲(わら)ひ、且は疑ふ。
然るに、八日と云ふ朝に・・・・・・・・・」
(p92~93・池上洵一編「今昔物語集 本朝部上」岩波文庫)
注:(嗚呼とは、ばかげたこと)
はい。枕草子の『あはれなるもの』と
今昔物語の『久米の仙人』とを引用してみました。
ここまで、2つ引用したのですから、もうひとつ、
3つ目も、引用してみたくなります。
世界文化社のグラフィック版「徒然草方丈記」(1976年)を
読まずに、絵をパラパラとめくっていると、ある時、前田青邨筆の
絵巻「神輿振」の一部が、新鮮な印象として思い浮かびました。
うん。それでね。ちょっと前田青邨の絵巻というのが気になって、
古本で小学館「現代日本絵巻全集」に入っている
前田青邨Ⅰ・Ⅱを買ってみたのでした。
「現代日本絵巻全集」は全18巻。
その9巻目が「前田青邨Ⅰ」で、こちらに「神輿振」が入っています。
10巻目の「前田青邨Ⅱ」には、「お水取」が入っておりました。
その「お水取」が印象に残るのでした。
前田青邨年譜によりますと、
明治18(1885)年岐阜県・現在の中津川市生まれ。
この「お水取」は、昭和34(1959)年74歳で発表とあります。
10巻「前田青邨Ⅱ」の作品解説から引用してゆきます。
「内容は奈良東大寺の『お水取り』の行事を16段の絵巻に
構成したもので、『お水取』と題される。・・・・・
この構成は、お水取り行事の次第に従って、展開されてゆく・・
正式には修二会と称するこの儀式は、天平勝宝の頃、
ときの東大寺別当の実忠(じつちゅう)和尚が、
修業の中で感得した行法を、地上に具現したもので、
二月堂を建てて修二会の行法を創めた。・・・・・
複雑に構成されるこの珍しい行法は、2月20日から3月14日の
3週間余にわたって行なわれ、本行は2月28日夕刻二月堂下の
参籠所に移り3月1日から27日、すなわち二週間の厳しい練行が
繰り返され、人々もともに参じて来福を祈願するのである。
解説の最後。第16段「二月堂は明けゆく」のおわりには
「巻頭におけるお水取りを迎える奈良の民家と同様、
ここには行事とは直接関係のない自然が折りこまれて、
お水取り全体の雰囲気表現につとめ、それがこの絵巻を
大きく成功させている。」
はい。ここまでで、
あとは絵巻の各段の名を引用するだけでいいかなあ。
第1段 お水取を迎える奈良の旧家
第2段 総別火(行事の仕度)
第3段 堂の役人衆
第4段 わらび餅の茶屋
第5段 籠り堂
第6段 湯屋
第7段 食堂
第8段 行法を待つ参籠衆
第9段 鈴を振る咒師
第10段 お水取(若狭井)
第11段 松明をみる群集
第12段 松明のぼる
第13段 内陣の幕をしぼる堂童子
第14段 達陀の行法
第15段 社頭の終了報告
第16段 二月堂は明けゆく
この作品解説には、こうもありました。
「・・書生時代から温めていたというテーマである
お水取りは、季節的にも厳寒の時期に行なわれる・・・
昭和34年2月末から10日ほどを奈良に滞在し、その模様を
詳さにスケッチすること・・その数は数百枚に上るといわれ、
その中から特別感興をひく図16点が選ばれ制作された。
・・・・・・・ 」
はい。本棚から数冊とりだしてきて、並べてみました。
こういう本のむすびつきは、数日ですっかり忘れます。
こうして、書きとめておくことで、次へとつながる気がします。
読んでいただけるのと同様に、本が結びつく感触を味わえます。