安野光雅著「片思い百人一首」(筑摩書房・2000年)。
はい。古本で200円でした。
百人一首を、したこともなく育ち。
今頃になり、本をひらいています。
見るのに便利で、かさばらない本は、「原色小倉百人一首」(文英堂)。
これは子どもが学生時代に購入したもので、毎ページカラー写真つきで
鑑賞もあり、ちょいと疑問に思った時など、置いとくだけで心強い一冊。
今回の安野さんの本は、ちょいと自作で歌いたくなるような一冊。
あとがきに、こうあります。
「一般に、上の句を『問い』だとすれば、
下の句は『答え』にあたる意味がある。
『答え』にあわせて『問い』をつくり、
三十一文字のリズムにあやかれば、だれでも
この本で試みたような戯作の歌は作れると思う。
『問い』の内容は、人生経験である。
興味ある方はためしてみていただきたい。
現代の『問い』に対して、王朝の人々に答えてもらうということ
は『片思い』ではあっても、悪い気分はしないだろう。」( p214 )
うん。本文から実例を一箇所引用してみることに。
まず、安野光雅さんの歌から
「 ゆく春や君の娘の嫁ぐ日にしづ心なく花の散るらむ
Kという友人があり、彼の一人娘が結婚するというので
大騒ぎになった。・・・・Kがいわゆる花嫁の父として、
聞き分けもなく取り乱しているのだった。・・・
その結婚式の近づいた日、わたしが宅急便で送った色紙
の一句がこれである。・・なぐさめになろうはずもなかった。
・・あれから八年くらいになる。・・
久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ 紀友則
『久方の』は光の枕詞。風もない静かな日に花が散る。
これは花の命運に従って散るのである。
木の葉も散るときがくると風がなくても散る。
それからそれへと信号がつたわり、覚悟ができた
ものから順に、いっせいに散り始めるのだが
わたしは一度見たことがある。
その光景は実に厳粛でかつ壮観であった。 」( p65~66 )
この本をパラパラめくっていたら
〇 丸谷才一著「新々百人一首」(新潮社)
〇 吉原幸子著「百人一首」(平凡社)
を取り上げておられ、この2冊もなんだかひらいてみたくなる。
ちなみに「あとがき」には、こうもありました。
「 わが津和野は昔から百人シュが盛んで、
それは今のこどもたちにもうけつがれている。 」( p211 )