和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

苟(まこと)に日に新(あらた)なり。

2022-12-28 | 短文紹介
司馬遼太郎著「風塵抄」の56は『 新について 』。

紀元前1600年。中国の古代王朝殷(いん)を語っておりました。

「 殷を興した湯(とう)という王は、
  『孟子』の『尽心章句』によると、
  うまれついての聖人・・と違い、
  努力してそうなったという。
  湯王は名臣伊尹(いいん)の補佐をうけた。伊尹は、
 
 『 時(こ)レ乃(すなわ)チ日ニ新(あらた)ナリ 』

  ということばが好きだった。
  徳を古びさせるな、ということである。徳とは、
  人に生きるよろこびをあたえるための人格的原理といっていい。」


うん。新聞のエッセイですので、短いので全文を引用したくなるのですが、
カットして最後の方にいきます。

「 とくに日新ということばが、江戸期の日本人は好きだった。
  たとえば、会津藩の有名な藩校が日新館であり、
  また、近江仁正寺(にしょうじ)藩(滋賀県日野町)や
  美濃苗木藩の藩校も同名である。
  美濃高須藩の場合、日新堂だった。  」

はい。このあとでした。司馬遼太郎は、こう続けます。

「  電池にかぎりがあるように、生体にも組織にも衰死がある。
   
   日本国は戦後に電池を入れかえたのだが、
   私は組織電池の寿命は三、四十年だと思っている。

   政治・行政の組織もつねづね点検して
   細胞を《 日に新 》たにせねば、
   部分的な死があり、やがて全体も死ぬ。 ・・・・ 」
 
               ( 1991(平成3)年1月7日 )


《 日々新 》と程遠い私でも年末年始は、
《 あらた 》な気持ちが蘇る気がします。
というので、司馬遼太郎『風塵抄』でした。
コメント (2)
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