司馬遼太郎著「風塵抄」の56は『 新について 』。
紀元前1600年。中国の古代王朝殷(いん)を語っておりました。
「 殷を興した湯(とう)という王は、
『孟子』の『尽心章句』によると、
うまれついての聖人・・と違い、
努力してそうなったという。
湯王は名臣伊尹(いいん)の補佐をうけた。伊尹は、
『 時(こ)レ乃(すなわ)チ日ニ新(あらた)ナリ 』
ということばが好きだった。
徳を古びさせるな、ということである。徳とは、
人に生きるよろこびをあたえるための人格的原理といっていい。」
うん。新聞のエッセイですので、短いので全文を引用したくなるのですが、
カットして最後の方にいきます。
「 とくに日新ということばが、江戸期の日本人は好きだった。
たとえば、会津藩の有名な藩校が日新館であり、
また、近江仁正寺(にしょうじ)藩(滋賀県日野町)や
美濃苗木藩の藩校も同名である。
美濃高須藩の場合、日新堂だった。 」
はい。このあとでした。司馬遼太郎は、こう続けます。
「 電池にかぎりがあるように、生体にも組織にも衰死がある。
日本国は戦後に電池を入れかえたのだが、
私は組織電池の寿命は三、四十年だと思っている。
政治・行政の組織もつねづね点検して
細胞を《 日に新 》たにせねば、
部分的な死があり、やがて全体も死ぬ。 ・・・・ 」
( 1991(平成3)年1月7日 )
《 日々新 》と程遠い私でも年末年始は、
《 あらた 》な気持ちが蘇る気がします。
というので、司馬遼太郎『風塵抄』でした。