師走といっても、おきらくに暮らしています。
何もしていないから思い浮かぶ本があります。
今朝思い浮かんだ本は、岡倉覚三著「茶の本」(岩波文庫)。
御存知。岡倉天心の本です。英文で書かれ、岩波文庫は村岡博訳。
この文庫には、天心の弟・岡倉由三郎の「はしがき」があり、
最後の解説は、福原麟太郎。
本文の第一章「人情の碗」の数行目にこうあります。
「 茶道の容義は『不完全なもの』を崇拝するにある。
いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。 」
はい。年末年始にあたって、
『 いわゆる人生というこの不可解なもの 』に
思いを馳せるわけです。
さてっと、ブログへ書き込みをしていると、
私の場合、写真とかはアップしてないので、
文字だけで完結しちゃうブログなのですが、
文字にもそれなりに一年の起承転結はある、
ということにして、つぎに思い浮かぶのは、
角川選書「俳句用語の基礎知識」でした。
ここに『挙句(あげく)』の記述がある。
歌仙の場合は36句ですが、こうあります。
「 なお三十六句のうち、名称のあるのは
『発句』『脇(わき)』『第三』『挙句』で、
そのほかはすべて『平句(ひらく)』という。 」
うん。平句以外だけだと、まるで、起承転結の四文字みたいです。
起が『発句』。承が『脇』。転が『第三』。そして結が『挙句』。
この角川選書で『挙句』を説明しているのは、山下一海氏。
6ページほどで、説明しておられました。
ここには、最後のページを引用しておくことに。
「 ともあれ、大らかで軽やかな挙句の響きは、古い時代の
俳諧の風韻をよく伝えるものである。
現代の俳人諸氏も、ときには挙句を口ずさんでみて
その味わいを楽しまれるとよい。もっとも、
連句一巻の巻頭にある発句は、独立して俳句として作られるようになるが、
常に前句に付けられ、一句としては軽いものであった挙句は、
独立して作られることにはならなかった。 」
「【一般語への転用】 この挙句という言葉は、
転じて物事の終わりや、終わってからの結果をあらわすようになり、
さらに一つの職業や地位から他に移ってきたことや
その人をあらわすこともある。
『その挙句に』とか『挙句の果て』というような使い方もされている。」
( p18 )
2022年の『 大らかで軽やかな挙句の響き 』を、
この12月に響かせてくださる方のいらっしゃれば。
そばで、聴いていたいのでした。