和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雲の上の現代

2022-12-12 | 短文紹介
福間良明著「司馬遼太郎の時代」(中公新書)を読み始め、
とりあえず、忘れないようにと書き込み。

第一章の①は「浪速育ちの学校嫌い」。
最後にある一覧主要参考文献に
司馬遼太郎『祖父・父・学校』「司馬遼太郎全集月報四七」文芸春秋1984年
とある、全集の月報からの引用が鮮やかな印象を残します。

第二章は「新聞記者から歴史作家へ」。
こちらも、新聞記者時代が知らないことまでも整理され読む者にやさしい。

というところまで、読みました(笑)。
はい。ここまで読んで印象深い三箇所を引用。

敗戦後、はじめて就職した新世界新聞社。
そこで、松吉淳之介という老記者の話を司馬さんは聞いています。

「出世とは無縁の存在であり、社内でも
『完全な人生の落伍者であり敗残者』とみなされていた。
 だが、松吉は・・『昔の剣術使い』のように、
 記事を書く技術のみを突き詰める人物だった。

 司馬はたびたび・・松吉の話を聞き・・
『社によって守られている身分や生活権のヌルマ湯の中に体を浸すな。
 いつも勝負の精神を忘れず、社というものは自分の才能を表現する
 ための陣借りの場だと思え』という職業規範を汲み取った。

 司馬は五ヵ月ほどで、新世界新聞社を辞めた。 」( p64 )


つぎは、御存知『竜馬がゆく』を新聞社で書くことになる名場面。

「『竜馬がゆく』は、1966年5月までの4年間、1335回にわたり、
 『産経新聞』夕刊に連載された。

 執筆のきっかけは、同紙社長・水野成夫からの依頼だった。
 まだ在職中だった司馬は、社長室に呼ばれて、
 『サンケイに本格的な連載小説を書け』
 『原稿料は吉川英治なみに支払う。もちろん月給も払う』
 と言われた。・・・・

 転向左翼の財界人とはいえ、文学に愛着と造詣の深い水野
 ならではの著者起用だったのだろう。   」( p88~89 )


つぎは、「『坂の上の雲』のなかで、こう記している」という箇所。
何だか、現在のロシア・中国と日本のことが浮んできてしまいます。

「 1941年、常識では考えられない対米戦争を開始した当時の日本は
  ・・官僚秩序が老化しきっている点では・・帝政ロシアとかわりはなかった。
  対米戦をはじめたいという陸軍の強烈な要求、
  というよりも恫喝に対して、たれも保身上、沈黙した。

  その陸軍部内でも、ほんの少数の
  冷静な判断力のもちぬしは、ことごとく左遷された。
  
  結果は、常軌はずれのもっとも熱狂的な意見が通過してしまい、
  通過させることによって他の者は身分上の安全を得たことに
  ほっとするのである。  」( p95 )

ロシア・日本・中国・北朝鮮・韓国・米国と、
誰に対し、どこの国に対し「保身上、沈黙」をしているのか、
あらためて慎重な判断力を問われているような気になります。

うん。この新書まだ半分しか読んでいないのでした。
すぐ忘れるので、ここまでの印象深かった箇所引用。

コメント
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