年末年始で思い浮かべるのは、年賀はがき。
書き初め。百人一首。年賀の挨拶ときて、
そうそう。日記もありました。
今年こそは日記を書こう。
この年になってまだ、そんなことを思ってる。
毎年三日坊主の癖して、性懲りもなく。
続かない初心を、忘るべからず。
ということで、今回は日記をとりあげます。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は、1969年出版。
この年(昭和44年)、前田夏子(今の苅谷夏子)が大村はまの
中学校に入っております。
はい。国語教室で読まれていた『知的生産の技術』を思いながら、
あらためて、この岩波新書をひらいてみます。
『知的生産の技術』の第9章は「日記と記録」。
この第9章のはじまりの小見出しは「自分という他人との文通」。
「年末になると、書店の店さきに日記帳がならびだす。・・」
とはじまっています。はい。すこし長く引用しますよ。
「 日記とはいったい何であるか、などという本質論はあとまわしにして、
とりあえず、日記のかき方について、しるそう。こういうことも、
前章の手紙の話とおなじで、学校でもおしえないし、
一般にも議論されることがない。そのため、形式や技法が
いっこう進歩しないのである。
新年に日記をつけはじめても、まもなくやめてしまう人がおおい
というのは、ひとつにはその技術の開発がおくれているためであって、
かく人の意志薄弱とばかりはいえない点もあろう。 」( p161~162 )
うんうん。すぐ意志薄弱へと結びつける私が間違っていそうに思えてくる。
ということで、梅棹氏の文をつづけてゆきます。
「 日記は、人にみせるものでなく、自分のためにかくものだ。
自分のためのものに技法も形式もあるものか。
こういうかんがえ方もあろうが、そのかんがえは、
二つの点でまちがっているとおもう。第一に、
技法や形式の研究なしに、意味のある日記がかきつづけられるほどには、
『自分』というものは、えらくないのがふつうである。
いろんなくふうをかさねて、『自分』をなだめすかしつつ、
あるいははげましつつ、日記というものは、かきつづけられるのである。
第二に、『自分』というものは、時間とともに、
たちまち『他人』になってしまうものである。
形式や技法を無視していたのでは、すぐに、
自分でも何のことがかいてあるのか、わからなくなってしまう。
日記というものは、時間を異にした
『自分』という『他人』との文通である、とかんがえておいたほうがいい。
手紙に形式があるように、日記にも形式が必要である。・・」(p162)
このあとの梅棹氏の語りを引用していくと切りがないのでここまでにして、
第3章「カードとそのつかいかた」からも、最後に引用しておくことに。
「カードは、わすれるためにつけるものである。・・・
つまり、つぎにこのカードをみるときには、
その内容については、きれいさっぱりわすれているもの、
というつもりでかくのである。
したがって・・・
自分だけにわかるつもりのメモふうのかきかたは、しないほうがいい。
一年もたてば、自分でもなんのことやらわからなくなるものだ。
自分というものは、時間がたてば他人とおなじだ、
ということをわすれてはならない。 」( p54~55 )
さて、ここからです。
大村はま先生は、この新書を生徒たちに読ませて、
ご自身も読んで、どう授業に反映させていたのか?