注文してあった古本が、今日の午後届く。その中の一冊
伊藤元雄編「絵の旅人 安野光雅」(ブックグローブ社・2021年)をひらく。
2020年12月24日に94歳で亡くなった安野光雅氏への追悼集でした。
パラリとひらいて読んだのは、
津和野安野光雅美術館館長・大矢鞆音氏の18ページにわたる文。
ご自身と、安野さんとの思い出が語られていきます。
うん。とりあえずは、この箇所を引用しておきたくなりました。
「安野さんとの付き合いが始まって35年が過ぎた。・・
絵描きの何気ない日々の営みを話題にできることがうれしかった。・・
若いころの個展の話があった。
『 毎年毎年、個展を開いた。自分で案内状をつくり、発送し、
会場で一人ぽつんと来場者を待ち受ける。
お客さんなんてほとんど来ない。
それでも会期中は毎日詰めて、一人自分の絵と対峙する。
そうすると、自ずと自分の絵のことがわかってくるし、
見えてくる。そして来年はもっと良い絵を描こうと思う。
終わると次の年に向けて必死に努力する 』。
安野さんのこの個展は絵本画家としてのそれではなく、
二紀会での油彩作品を描いていたころのことである。 」(p81)
この大矢鞆音氏の文には、こんな箇所もありました。
「安野さんの『絵のまよい道』は私にとって胸の奥に沈めていた
感情を揺さぶるような、思わず涙してしまうような話が満載である。」(p83)
はい。さっそく、ネットで注文しました。ちなみに、
大矢氏の文の題は「安野光雅『絵のまよい道』を読みながら」とあります。
うん。そうだ、最後に、ここも引用しておかなければ。
「 小さいころから画家の職業分野を分けるとき、
社会科の授業では、自由業と分けられる。・・・・
安野さんは
『 自由業は一生懸命やっても誉められない
かわりに、怠けても叱られはしない。
その自由のためなら、馬鹿にされても食えなくてもいい、
という前提で絵描きという仕事がなりたっている、
と思ったほうがいい。
ある日、それが淋しくて、
『 ああ、わたしは美神の使徒なのだ 』と、
独りよがりに自分に言い聞かせてみるのは
これもまた自由である 』と。 」(p86)