福沢諭吉翁の言葉といわれる『心訓』というのがあります。
じつは、どうも福沢諭吉の文ではないようなのですが、
けれど、どうも福沢諭吉が語ってもおかしくないような言葉。
はい。そういうのって、ありますよね。
たとえば、親鸞の言葉といわれる
あすありと思う心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは
これも、親鸞の言葉といわれているのですが、出典未詳。
それはそれとして、この言葉の意味を知りたくなります。
「観桜は明日にしようと、明日を恃む心はあだである。
夜半に嵐が吹いて、桜が散らないとはかぎらないのだから。
この歌が人口に膾炙する理由の一つは、
明日ありと恃む心が仇となって、
いたずらに日を延ばしたばかりに、
思わぬ故障から成るものが成らなかった経験、
これが万人に普遍的であること。・・・ 」
( p168 木村山治郎編「道歌教訓和歌辞典」東京堂出版・1998年 )
ちなみに、その次のページには五首が並んでおりました。
興味深いので、そのままに列挙。
あすは斯(かく)ときのう思いしことも
今日多くは変る世の習いかな
こころしてことをばいそげ
いそげたださわり出(いで)くる物は世の中
明日ありと思う心にはかられて
今日を空しく暮らしつるかな
あすまでと思う心のおこたりに
今日をばあだに暮らすはかなさ
あすよりは徒(あだ)に月日を暮らさじと
思いしかどもきょうも暮らしつ
もどって、親鸞の言葉といわれる
あすありと思う心のあざ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは
この次に、ついつい井伏鱒二の現代語訳の
言葉とを、ならべて置きたくなるのでした。
まずは、原文。そして、井伏鱒二訳。
勧 酒 于武陵
勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「 サヨナラ 」ダケガ人生ダ
( p53 井伏鱒二「厄除け詩集」講談社文芸文庫 )
はい。こちらは、酒飲みの歌ですね。禁酒の人には辛い。