安野光雅さんの対談は楽しく読みます。
けれど、安野さんの絵は、おぼろげで、
こちらの興味も何だかボヤケがちです。
安倍謹也対談集「歴史を読む」(人文書院・1990年)に
対談相手として安野さんが出てきておりました。
その対談の最後には、こんな箇所。
安野】 ・・ところが旅絵師というのは私みたいなもので、
言われれば何でも描く。いわゆる雀百態ですよ。
阿部】 それが本当の絵師じゃないですか。
安野】 江戸時代まで、昔の概念の絵描きはそうだった。
何でも描かなければならない。因果な商売ですよ。(笑) p119
この対談は、題して『中世の影』。
対談で興味深い箇所も引用しておきます。
安野】 阿部さんのご本を読むと、昔は文字はあまり重要視されていなくて、
絵でいろんなことを伝えたとありますが、あれはどの時代までですか。
阿部】 どの時代までということはありません。今だってそうです。
・・・・・
阿部】 教会が主な舞台ですが、当時の教会の祈祷書を見ると、
文字は中心にちょこっと書いてあるだけで、
まわりに絵がいっぱい描いてある。・・・・・・・
司祭の説教が教会に来た農民にはわからないんです。
今、われわれがお坊さんのお経を聞いてもわかりませんが、
あれと同じで、退屈して一時間もたないんです。
その時に絵を見る。それで退屈をまぎらすと同時に、
イエスの一生、つまり救済の歴史を教えるために、
教会の周りの壁にゴルゴダの丘までの歴史を描く。
だからコミュニケーションの手段として、
絵は非常に大きな意味を持っていたんです。
それから合唱、身振り、手振り、行進とかね。
安野】 そうすると、教会のお抱え絵師みたいな人がいるんですか。(~p118)
はい。このあとも、興味深い会話がつづき、そして最後に、
旅絵師の安野光雅というお話で、対談が終了するのでした。