和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

旅絵師安野光雅。

2023-10-28 | 絵・言葉
安野光雅さんの対談は楽しく読みます。
けれど、安野さんの絵は、おぼろげで、
こちらの興味も何だかボヤケがちです。

安倍謹也対談集「歴史を読む」(人文書院・1990年)に
対談相手として安野さんが出てきておりました。
その対談の最後には、こんな箇所。

安野】 ・・ところが旅絵師というのは私みたいなもので、
    言われれば何でも描く。いわゆる雀百態ですよ。

阿部】 それが本当の絵師じゃないですか。

安野】 江戸時代まで、昔の概念の絵描きはそうだった。
    何でも描かなければならない。因果な商売ですよ。(笑) p119

この対談は、題して『中世の影』。
対談で興味深い箇所も引用しておきます。

安野】 阿部さんのご本を読むと、昔は文字はあまり重要視されていなくて、
    絵でいろんなことを伝えたとありますが、あれはどの時代までですか。
阿部】 どの時代までということはありません。今だってそうです。
    ・・・・・

阿部】 教会が主な舞台ですが、当時の教会の祈祷書を見ると、
    文字は中心にちょこっと書いてあるだけで、
    まわりに絵がいっぱい描いてある。・・・・・・・

    司祭の説教が教会に来た農民にはわからないんです。
    今、われわれがお坊さんのお経を聞いてもわかりませんが、
    あれと同じで、退屈して一時間もたないんです。

    その時に絵を見る。それで退屈をまぎらすと同時に、
    イエスの一生、つまり救済の歴史を教えるために、
    教会の周りの壁にゴルゴダの丘までの歴史を描く。

    だからコミュニケーションの手段として、
    絵は非常に大きな意味を持っていたんです。
    それから合唱、身振り、手振り、行進とかね。

安野】 そうすると、教会のお抱え絵師みたいな人がいるんですか。(~p118)


はい。このあとも、興味深い会話がつづき、そして最後に、
旅絵師の安野光雅というお話で、対談が終了するのでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする