せっかくなので、読んだこともなかった歎異抄を
現代語訳で読む。はい。短いし現代語訳ならスラスラ読めそう。
真継信彦現代語訳の歎異抄をめくっていると、
でてきました『月』。
はい。まずは現代語訳で、その箇所
「 私たちは戒律を守れず、経典を理解する力もない。
しかし弥陀の願いの船に乗って生死(しょうじ)の苦海をわたり、
報土の岸につけば煩悩の黒雲はすみやかに晴れ、
法性(ほっしょう)のさとりの月がたちまちあらわれて、
十方を照らしつくす無礙(むげ)の光明と一つになり、
一切の衆生を利益(りやく)できるようになる。
そうなってこそさとりと言えよう。 」
( p24 「親鸞全集5 真継伸彦現代語訳」法蔵館・昭和57年)
はい。現代語訳でやっと読んだ『歎異抄』。
それではこの引用した箇所の原文はどうなっているのか。
岩波文庫をひらいてみることに
「 いかにいはんや、戒行慧解(かいぎょうえげ)ともになしといへども、
弥陀の願船に乗じて生死の苦海をわたり、
報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、
法性(ほつしやう)の覚月(かくげつ)すみやかにあらはれて、
尽(じん)十方の無礙(むげ)の光明に一味にして、
一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ。 」
( p75 「歎異抄」金子大栄校注・ワイド版岩波文庫 )