津野海太郎の本のはじまりを引用。
「3年まえに70歳をこえた人間としていわせてもらうが、
60代は、いま思うとホンの短い過渡期だったな。
50代(中年後期)と70代(まぎれもない老年)のあいだに
頼りなくかかった橋。つまり過渡期。
どうもそれ以上のものではなかったような気がする。
読書にそくしていうなら、50代の終わりから60代にかけて、
読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性(しょう)に
あった本だけ読んでのんびり暮らそうと、
心のどこかで漠然とそう考えている。現にかつての私がそうだった。
しかし65歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち70歳。
そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、
本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうから
バンバン押しよせてくる。あきれるほどの迫力である。
のんびりだって?じぶんがこんな状態になるなんて、あんた、
いまはただ考えてもいないだろうと、60歳の私をせせら笑いたくなるくらい。 」
( p7 津野海太郎著「百歳までの読書術」本の雑誌社 )
はい。最後まで読んでから、この本のはじまりの、
この言葉をあらためて噛みしめることになります。
うん。今まで津野海太郎さんの本は読めなかったのですが、
この本を、あらためてもう一度パラパラとめくってみます。
たとえば、『渡り歩き』にふれてから、津野さんはこう語ります。
「・・・・・『老人読書』とは・・・
高齢者特有の発作的な読書パターンをさす。
なぜ高齢者特有というのか。
少年や青年、若い壮年の背後には、ざんねんながら、
それから『何十年かの時間が経過した』といえるだけの
時間の蓄積がないからだ。・・・ 」(p172)
さて。この本で『老人読書』は、どのような道筋だったのかと、
再度ひっくり返し読みたくなります。これも年齢の通り道かも。
老人読書の細道。どっこい。よろけながら踏み固め照らします。