「絵の旅人 安野光雅」(ブックグローブ社・2021年)の表紙の題名の下に
副題らしき小文字で「 思い出を語る人たち 伊藤元雄 編 」とあります。
あとがきにかえてには、こんな箇所
「2020年・・福井さんは打ち合わせが一段落した時に安野さんに
『 今、会いたい人はいますか 』と聞いたら
『 司馬さんだなあ。司馬さんと会っていると楽しいのよ。
いつも前向きで、同じことを言わない人だった 』と、
なつかしそうに語ったといいます。 」(p218)
今日になって安野光雅著「絵のまよい道」(朝日新聞社・1998年)が届く。
うん。本の帯に「週刊朝日連載」とあります。
おわりの方をひらくと
「書きながら、司馬さんは毎週この三倍もの長さの『街道をゆく』を、
一千回以上書いてきたんだからな、などと思った。
そもそもこの連載は司馬さんが亡くなったときの
精神的空白のためにスタートしたようなところがある。・・ 」(p258)
「これを書いているいまは、司馬さんが亡くなってから二度目の
『 菜の花忌 』をむかえようとしている一月末である。 」(p259)
「・・・72歳だった。司馬遼太郎が亡くなったのも72歳である。
『街道をゆく』の題字を書いた棟方志功も72歳だった。
そしてわたしの父も72歳だった。 」(p260)
ということで、本の最後には
「 いま気がついた。72歳というのは一種の還暦で、
12で割り切れる。格別の意味はないが・・・。 」(p261)
うん。本は、わたしにはお薦めの本といえるようなものではないのでした。
そうそう、『若い頃の自前の個展』にふれた箇所がすぐに見つかりました。
最後にそこを引用。
「まず会場を借り、案内状を刷り、作品を搬入してそれを飾り、
サイン帳や茶菓子などを用意して、
ふりかかる針のような視線に耐える期間のことである。」(p13)
「・・・個展は表現というものの宿命的な祭りなのである。
だから、何を言われてもしかたがない。・・・・
むろん絵が売れるということは奇跡に近い。
しかしその頃は、どんなに純粋に、はるかな芸術の姿を
夢みていたことだろう。
その個展というパフォーマンスは、作品の良し悪しは別にして、
いじらしいまでに感動的なものなのである。 」(p14)