長野県で、私が思い浮かべるのは、
大村はま、藤原てい(夫・新田次郎)の師弟関係です。
ということで、そこらですっかり忘れていたのですが、
先頃パラパラとひらいていた
西尾実著「作品研究つれづれ草」(学生社・1955年)の
著者略歴は、こうはじまっていたのでした。
「明治22年5月14日、長野県生まれ・・・」
ここは、西尾実年譜をひらき、はじまりの方
出生地の長野の関連を引用しておきます。
明治22年(1889)長野県下伊那郡・・・生まれ。
明治36年(1903)15歳大下条尋常高等小学校補習科を卒業、
同郡下条村合原の医師、中島定雄方の薬局生となる。
8月、兄寿太郎死去、その後、薬局生をやめ、
豊村和合尋常小学校の代用教員となった。
明治39年(1906)18歳長野市の長野県師範学校に入学。
明治40年 夏、2年生の戸隠高原植物採集旅行に参加した。
明治41年 秋、浅間山・〇氷峠・妙義山・下仁田鉱山・
大日向峠へ、学年全員で鉱物採集旅行をした。
明治42年 春、4年生の関東管外旅行で、東京・横浜・
鎌倉・江の島に行く。
『 信濃博物学雑誌 』編集員となる。
明治43年 3月、長野県師範学校を卒業し、
下伊那郡飯田尋常小学校訓導として赴任した。
明治45年(大正元年)24歳6月農事休暇を利用して上京し、
東京帝国大学文学科選科(国文学専攻)・・願書提出。
9月13日、明治天皇御大葬の当日、入学試験・・・
9月30日付で大下条尋常高等小学校を退職、上京して、
ふたたび学生生活に入った。中途退学しようとして
・・たしなめられて、思いとどまった。
大正3年(1914)26歳『信濃教育』の雑誌編集主任になった
長野師範時代の恩師からの依頼で、東大で聴講した
講義を整理したものや、提出したレポートを投稿する
ということで、また、大村はまを、西尾実との関連の視点で
読み始めたら、楽しめるような気がしてきました。
ということで、徒然草→西尾実→大村はま。
また、『大村はま』を楽しめますように。
なんせ、あれからちっとも開いてないけど、
私は古本「大村はま全集」買ってあります。