和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

西尾実と大村はま。

2023-10-23 | 本棚並べ
長野県で、私が思い浮かべるのは、
大村はま、藤原てい(夫・新田次郎)の師弟関係です。
ということで、そこらですっかり忘れていたのですが、

先頃パラパラとひらいていた
西尾実著「作品研究つれづれ草」(学生社・1955年)の
著者略歴は、こうはじまっていたのでした。
「明治22年5月14日、長野県生まれ・・・」

ここは、西尾実年譜をひらき、はじまりの方
出生地の長野の関連を引用しておきます。

  明治22年(1889)長野県下伊那郡・・・生まれ。

  明治36年(1903)15歳大下条尋常高等小学校補習科を卒業、
  同郡下条村合原の医師、中島定雄方の薬局生となる。
  8月、兄寿太郎死去、その後、薬局生をやめ、
  豊村和合尋常小学校の代用教員となった。

  明治39年(1906)18歳長野市の長野県師範学校に入学。
  明治40年    夏、2年生の戸隠高原植物採集旅行に参加した。
  明治41年    秋、浅間山・〇氷峠・妙義山・下仁田鉱山・
          大日向峠へ、学年全員で鉱物採集旅行をした。
  明治42年    春、4年生の関東管外旅行で、東京・横浜・
          鎌倉・江の島に行く。
          『 信濃博物学雑誌 』編集員となる。
  明治43年    3月、長野県師範学校を卒業し、
          下伊那郡飯田尋常小学校訓導として赴任した。

  明治45年(大正元年)24歳6月農事休暇を利用して上京し、
          東京帝国大学文学科選科(国文学専攻)・・願書提出。
          9月13日、明治天皇御大葬の当日、入学試験・・・
          9月30日付で大下条尋常高等小学校を退職、上京して、
          ふたたび学生生活に入った。中途退学しようとして
          ・・たしなめられて、思いとどまった。

  大正3年(1914)26歳『信濃教育』の雑誌編集主任になった
          長野師範時代の恩師からの依頼で、東大で聴講した
          講義を整理したものや、提出したレポートを投稿する


ということで、また、大村はまを、西尾実との関連の視点で
読み始めたら、楽しめるような気がしてきました。

ということで、徒然草→西尾実→大村はま。
また、『大村はま』を楽しめますように。
なんせ、あれからちっとも開いてないけど、
私は古本「大村はま全集」買ってあります。

コメント
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