野間宏・増谷文雄の対談に
増谷『 ・・・「讃阿弥陀仏偈和讃」ですね、
これは全部原文がありますですね。
それを親鸞はなんとかやわらかくしようとしながらも、
原文の大事なところは原文のままに生かして「和讃」を
作っているのですね。・・・
親鸞さんも実は現代語訳をしたんだなと気がついたのです。
「讃阿弥陀仏偈」の文句は、むろん漢文でしょう。
それを現代語訳なさっているんです。
いわゆる歌を作るというのとは少しわけが違うように思うのです。
現代では仏教ものの現代語訳をしきりとやりますけれども、
あの時代に親鸞さんはもう現代語訳をなさっているのですな。」
( p10 「日本の思想3 親鸞集別冊 」筑摩書房 )
こういう箇所を読むと、先へとすすまずに、ひょんなことを思うんです。
そういえば、井伏鱒二に、漢詩の現代語訳があったなあ。
うん。ここは、井伏鱒二の『厄除け詩集』から、
この詩を引用したくなりました。原文は李白。
静夜思 李白
牀 前 看 月 光
疑 是 地 上 霜
挙 頭 望 山 月
低 頭 思 故 郷
はい。井伏鱒二の現代語訳はというと。
ネマノウチカラフト気ガツケバ
霜カトオモウイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイシヨノコトガ気ニカカル
漢文を訳す、井伏鱒二の現代語訳というのは、
親鸞さんの時代から、連綿と続いているのだ。
その繫がりを知らずに、『厄除け詩集』を読んでいたのは、
何と不自然だったのだろう。と、ようやく気づく年頃です。