井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)をひらくと、
最初に置かれた詩は「なだれ」でした。
なだれ 井伏鱒二
峯の雪が裂け
雪がなだれる
そのなだれに
熊が乗つてゐる
あぐらをかき
安閑と
莨(たばこ)をすふやうな恰好で
そこに一ぴき熊がゐる
こんな、なにがなにやら、わかったようでわからない詩は、
その時々で読む側の心に、ちがう感慨がわいてきたりして。
そういえば、寒さが伝わってくるような詩たちでした。
「歳末閑居」という詩の最後の4行は
どこに行つて来たと拙者は子供にきく
母ちやんとそこを歩いて来たといふ
凍(こご)えるやうに寒かつたかときけば
凍えるやうに寒かったといふ
「石地蔵」という詩の最後の4行
霰(あられ)は ぱらぱらと
お前のおでこや肩に散り
お前の一張羅(いっちょうら)のよだれかけは
もうすっかり濡れてるよ
はい。「逸題」という詩といえば、はじまりの4行は、
今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
このはじまりの4行が、この詩のおわりの4行にも登場しておりました。
そういえば、「寒夜母を思ふ」という詩は、4行ずつまとまっていて、
つぎの4行へうつるときに、行わけされていたのでした。
けれども、この詩の最後の4行から、ひとつ前だけが
4行ではなくて5行でまとまっています。
その、5行を引用することに。
母者は性来ぐちつぽい
私を横着者だと申さるる
私に山をば愛せと申さるる
土地をば愛せと申さるる
祖先を崇(あが)めよと申さるる
うん。最後に「山の図に寄せる」という詩を全篇引用してみたくなりました。
山の図に寄せる
これは背戸の山の眺めである
鬼のとうすといふ名前の
大岩の上から見た景色
わが故郷の山々である
右に見えるは中条の山
明日は雨ぢやといふ夜さは
山のきれめで稲光りする
左に見えるは広瀬の山
近くに見えるは大林寺山
もう一つのこの画面
左に見えるは四川(しがは)の山
夏日夕立が来るときは
先づこの山の背に雲が寄る
右に見えるは芋原(いもばら)の山
手前に見えるは七曲り
何でもないやうなこの山々
望郷の念とやら起させる
こんな筈はないと思ふのに
どうにもならないことである