西尾実著「つれづれ草文学の世界」(法政大学出版局・1964年)。
この注文してあった古本が届く。
雑誌や論文集に発表された22篇をまとめた一冊でした。
はじまりが昭和2年の文ですが、最初から読む気にならなくて、
まず開いたのは、戦後はじめての論文
「ひとつの中世的人間像」(昭和25年2月号「文学」)でした。
そのはじまりはというと、
「『つれづれ草』が、中世文学の一作品としてすぐれているひとつは、
著者の人間把握の確かさに応じて、史上の、また、同時代の、
さまざまな人間を把え、みごとな造型をしていることである。・・」(p109)
はい。この文でとりあげてるのは、堯蓮上人(第141段)でした。
うん。端折って引用してゆきます。
「堯蓮上人の印象について、『声うちゆがみ、あらあらしくて』
とあるのを見ると、いかにも、坂東武者らしい風貌が髣髴される。」
うん。この第141段を紹介するのには、
安良岡康作著「徒然草全注釈下巻」(角川書店)から引用してみます。
「本段の前半は、上人の郷里の人が、
『吾妻(あづま)人こそ、言ひつる事は頼まるれ、
都の人は、ことうけのみよくて、実なし』
と言ったのに対する、上人の吾妻人と都の人との比較論であるが、
まず『 それはさこそおぼすらめども 』と一応相手の言を認めた上で、
『己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに』と、
自己の長い間の経験と観察とに立脚し、
『人の心劣れりとは思ひ侍らず』と、都の人を認め、その理由として、
『なべて心柔かに、情ある故に、人のいふほどの事、
けやけく否び難くて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ』と述べて、
都の人の心情の柔和さ・人情ぶかさを第一に指摘している。次には、
『偽りせんとは思はねど、乏しく、叶わぬ人のみあれば、
おのづから、本意通らぬ事多かるべし』と述べ、
経済力の伴わないことが、約束を守りぬけない因由であることを指摘し、
内・外から都の人の立場を理解し、弁護しているのである。
・・・ 」
このあとに、兼好の感想が述べられてゆくのですが、
長くなるのでカットして、
西尾実氏の文の重要な箇所の引用をすることに。
「古代から中世へと時代を転換させたのは、
主として庶民的な、また、地方的なエネルギーであったに違いないが、
その庶民や地方の社会的、文化的未成熟は、自主的な庶民社会を実現
することもできなければ、健康な地方的文化を発展させることもできなかった。
・・・・・・
だが、そういう中世文化は、
基本的にいうと、ふたつの構造を示している。
ひとつは、『つれづれ草』のこの人間像が示しているように、
地方的、庶民的なものと、都市的、貴族的なものとの緊張した対立が
生んだ止揚的発展であり、
ひとつは、・・『義経記』や『曽我物語』における牛若丸や曽我兄弟が
貴族の公達化し、さらに、遊治郎化してさえいることの上に看取せられる
ような、庶民的、地方的なものの貴族的、都市的なものへの
安易な妥協であり、安価な屈伏である・・・・
そのそれぞれの関係には、
緊張した対立の止揚発展による新しい価値の創造もあれば、また、
安易な妥協による成り上がり・頽廃もあるということになる。・・」(p114)
こうして、西尾実氏が書かれた徒然草のことを思っていると、
昭和25年の戦後統治下のことがダブって思い浮かぶのでした。