丹治昭義著「宗教詩人 宮澤賢治」(中公新書・1996年)の
はじめの方に、どういうわけか堀田善衛氏の名前が登場してる。
うん。アマノジャクは、本文よりもこういう箇所にひっかかる。
ということで引用。
「 堀田善衛氏は、千手観音の千本の手は、
インドの強烈な太陽のギラギラ輝く光線を
象徴しているといった意味のことを語っているが、
そのインドの真実の太陽の光は地上のすべての生命を焼き尽くす。
そういう意味でもこの世を意味する娑婆は、
耐え忍んでかろうじて生きていけるところ、忍土(にんど)である。
インドの人々はそういう強烈な太陽光線が鎮(しず)まった、
柔らかな静かな光、寂光こそが生命を育むと考え、寂光の国を求めた。
伊藤左千夫は、
今朝の朝の露ひやびやと秋草や、
すべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光
とうたっている。11月であろうか、すでに夏から秋への
生の横溢から充実を終えた庭が、寂光の土となっている。・・ 」
( p8~9 )
はい。最初から丁寧に読んでゆくと、先へと進めなくなります。
また、パラパラ読みをしてゆくことにします。