和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

かたければ。なおかたし。

2023-10-14 | 古典
親鸞の「浄土和讃」の19には、こうありました。( p106 )
 左は親鸞の「浄土和讃」で、右が増谷氏の現代語訳です。

     親鸞              現代語訳(増谷文雄)

  善知識にあふことも          よき師にあうはかたきかな
  をしふることもまたかたし       おしえることもかたきかな
  よくきくこともかたければ       よく聞くこともかたければ
  行(ぎょう)ずることもなほかたし   念仏するはなおかたし


編集増谷文雄の 「日本の思想3 親鸞集」(筑摩書房・1968年)
の最初には、増谷氏による「解説 親鸞の思想」が載っております。
そのp3~p7までを読んでいると、私は、もうこれで満腹の気分になります。
うん。その満腹感の正体を味わいたいと思い、引用してみます。

「この『親鸞集』のなかでその全訳をこころみておいた『三帖和讃』
 すなわち、『浄土和讃』『浄土高僧和讃』・・『正像末法和讃』の
 三部作に着手したのも、関東での伝道をおえて、京都に帰ってから
 十年も経ってからのこと。もっと正確にいえば、

 『浄土和讃』と『浄土高僧和讃』が成立したのは、その76歳の春のこと。
 『正像末法和讃』をしたためおわったのは、もう86歳の秋のおわり・・。」
                             ( p3 )

親鸞は「90歳という稀なる長寿を享(う)けた人であった。」(p7)
歎異抄はというと、「その時、その人は、
 すでに83歳もしくは4歳の老いたる親鸞であった筈である。」(p6)

「たとえば、わたし(増谷文雄)は『歎異抄』の第二段がすきであって、
 親鸞の人となりを思うときには、よくその叙述を思いうかべる。 」(p5)

「『 おのおの方が、はるばる十余ヵ国の境をこえ、
   身命をかえりみずして、訪ねてこられた志は、
   ただひとつ往生極楽の道を質(ただ)し聞こうがためである。

   だが、もし、わたしが、念仏のほかに、
   往生の道をも存じていよう、また、
   経のことばなども知っていようと、
   いかにも奥ゆかしげに思っていられるのなら、
   それは大きなあやまりである。』 (現代語訳)

 ・・・・・ その詰めよる人々をまえにして、親鸞のいったことは・・

 『 わたくし親鸞においては、
   ただ念仏を申して弥陀にたすけていただくがよいと、
   
   よきひと(法然)のおおせをいただいて信ずるだけであって、
   そのほかにはなんのいわれもない 』

 ・・・もしも、そのほかに、いろいろの理屈や経のことば
 などが知りたいというのなら、

 『 奈良や比叡にはご立派な学者がたくさんおられるから、
   あの人たちに会われて、往生のかなめをよくよく聞かれるがよい 』
   ということであった。   」( p5 )


はい。ここまで引用したのですから、これでいいのでしょうが、
ここまで引用したのですから、もうちょっとつづけておきます。

「 そこで、彼らは、たがいに顔を見合わせながら、
 『 では、念仏だけできっと浄土に生れることができるのですねえ 』
  と念をおしたにちがいない。

  その時、親鸞が、いささかキッとした面持ちでいったことばは、
  こうであった。

 『 念仏は、ほんとうに浄土に生れるたねであろうやら、
   それとも、地獄におちる業(ごう)であろうやら、
   わたしはまったく知らないのである。

   たとい法然聖人にだまされて、念仏を申して
   地獄におちたからとて、けっして後悔するところはない。

   というのは、ほかの修行にでもはげんで、仏になれるというものが、
   念仏を申して地獄におちたのなら、だまされたという後悔もあろうが、

   なにひとつ修行もできぬこの身のことだから、
   どうせ、地獄ゆきにきまっているではないか 』(現代語訳)

 そこに読みとられるものは、
 印象の鮮明のかぎりをつくした念仏者、親鸞の人間像である・・・ 」
                      ( p5 ~ p6 )
  






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