和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『ここだ ここだ』と通った声で。

2022-06-05 | 古典
沼波瓊音の『徒然草講話』(東京修文館)から引用。
はい。短い箇所にも重要な視点が隠れているので、
こういう場合は、箇条書きにして引用することに。

① 正徹物語が聞く、兼好の声。
② 兼好と、芭蕉の俳諧。
③ 徳川時代の徒然草と、
    今の教科書の徒然草。

①「 正徹物語には、

  『花はさかりに月はくまなきをのみ見るものかは
    と兼好が書きたるやうなる心根持ちたる者は、
    世間にただ一人ならでは無きなり  』

  と尊重して居る。・・・・・
  兼好は稀である。しかし兼好は唯一人では無い。
  この趣味(趣味の点のみで云ってみても)は
  
  兼好が創立して鼓吹したものとは云へないが、
  『ここだ ここだ』と古今にわたる通った声で
  呼号した人として、どうしても兼好を、
  我々は重んずる。敬ふ。親しむ。愛する。   」

②「 徒然之讃には、
   『 枕草紙は和歌の夜話ともいふべく、
     徒然草は和歌の法語なり     』と云ってゐる。

  ただ形式の上のみならず、枕草紙と徒然草とには、
  断つべからざる一条の連鎖がある。

  そうしてこの同じ連鎖が、
  徒然草と俳諧とをも繋いでゐる。

  西鶴は如何に兼好に刺激されたか。
  芭蕉は如何に兼好を慕うたか。

  その各の作品と、徒然草とを読比べると、
  誰でも其程度が直ぐ解る。

  西鶴と芭蕉は、実に兼好の門弟子の高足なるものであったのだ。

  支考は、芭蕉庵で師翁と徒然草を論じたことを書いている。
  このやうな事は屢(しばしば)あったのであろう。   」


③「 徳川時代の文学と云ふものを考へると、誰も、
   その指導者の著しき一人として兼好を認めぬ訳には行かぬ。
   徒然草の言い方の模倣形式の模倣のみのものでも
   随分沢山出来てゐる・・・・・・・・・・・
    ・・・・・

   かう云流行は無意味のやうであるが、
   こんな無意味な流行を五百歳の後にも見るほど、
   徒然草の勢力は永く大きいのである。 

   所謂道学先生から見ると、
   危険極まるべき徒然草を、
   せめて其の差障りの無い所を選抜しても、
   
   これを教科書中に入れねばならぬほど、
   今も徒然草は行はれてゐるのである。

   しかし徒然草の深みは、
   教科書に入れられない部分に多くあるのである。

   教科書中に入れられてゐる部分の味も、
   実は中学時代の人には、迚も迚も(とてもとても) 
   本当には味はれぬ底のものである。        」


はい。『とてもとても本当には味はれぬ底』を、
いよいよ味わう年齢になったと思うことしきり。 

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