沼波瓊音の『徒然草講話』(東京修文館)から引用。
はい。短い箇所にも重要な視点が隠れているので、
こういう場合は、箇条書きにして引用することに。
① 正徹物語が聞く、兼好の声。
② 兼好と、芭蕉の俳諧。
③ 徳川時代の徒然草と、
今の教科書の徒然草。
①「 正徹物語には、
『花はさかりに月はくまなきをのみ見るものかは
と兼好が書きたるやうなる心根持ちたる者は、
世間にただ一人ならでは無きなり 』
と尊重して居る。・・・・・
兼好は稀である。しかし兼好は唯一人では無い。
この趣味(趣味の点のみで云ってみても)は
兼好が創立して鼓吹したものとは云へないが、
『ここだ ここだ』と古今にわたる通った声で
呼号した人として、どうしても兼好を、
我々は重んずる。敬ふ。親しむ。愛する。 」
②「 徒然之讃には、
『 枕草紙は和歌の夜話ともいふべく、
徒然草は和歌の法語なり 』と云ってゐる。
ただ形式の上のみならず、枕草紙と徒然草とには、
断つべからざる一条の連鎖がある。
そうしてこの同じ連鎖が、
徒然草と俳諧とをも繋いでゐる。
西鶴は如何に兼好に刺激されたか。
芭蕉は如何に兼好を慕うたか。
その各の作品と、徒然草とを読比べると、
誰でも其程度が直ぐ解る。
西鶴と芭蕉は、実に兼好の門弟子の高足なるものであったのだ。
支考は、芭蕉庵で師翁と徒然草を論じたことを書いている。
このやうな事は屢(しばしば)あったのであろう。 」
③「 徳川時代の文学と云ふものを考へると、誰も、
その指導者の著しき一人として兼好を認めぬ訳には行かぬ。
徒然草の言い方の模倣形式の模倣のみのものでも
随分沢山出来てゐる・・・・・・・・・・・
・・・・・
かう云流行は無意味のやうであるが、
こんな無意味な流行を五百歳の後にも見るほど、
徒然草の勢力は永く大きいのである。
所謂道学先生から見ると、
危険極まるべき徒然草を、
せめて其の差障りの無い所を選抜しても、
これを教科書中に入れねばならぬほど、
今も徒然草は行はれてゐるのである。
しかし徒然草の深みは、
教科書に入れられない部分に多くあるのである。
教科書中に入れられてゐる部分の味も、
実は中学時代の人には、迚も迚も(とてもとても)
本当には味はれぬ底のものである。 」
はい。『とてもとても本当には味はれぬ底』を、
いよいよ味わう年齢になったと思うことしきり。
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