和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

先達(せんだち)は、あらまほしき。

2022-06-06 | 道しるべ
徒然草を通読しようと、今回私が
指名した水先案内人は島内裕子氏。

まず古本で手にしたのが、
島内裕子・校訂訳『徒然草』(ちくま学芸文庫・2010年)。

では、案内人による「はじめに」での口上から

「本書が目指すのは『通読できる徒然草』である。
 徒然草こそは、自己の内界と外界をふたつながら
 手中に収めた、日本最初の批評文学であり、

 表現の背後に、生身の兼好の、孤独も苦悩も、
 秘めやに織り込まれている。兼好は、決して
 最初から人生の達人ではなかった。

 徒然草を執筆することによって、
 成熟していった人間である。
 ここに徒然草の独自性があり、
 全く新しい清新な文学作品となっているのである。」( p12 )


こんなふうな口上をする、水先案内人にも興味があります(笑)。
うん。文庫を読んでゆく前に、島内さんのことも知りたくなる。

島内裕子さんは、1953年東京に生まれる。とあります。
別の本ですが、「おわりに」の最後にこうありました。

「わたくしが最初の論文集『徒然草の変貌』を上梓したのは、
 平成4年だった。放送大学に着任し・・・・・・

 ここ10数年間の歩みを振り返っていると、いつのまにか
 論文の数も増え、研究の関心分野も自然に広がっていた。
 けれどもそれらはすべて、徒然草から発生し、生成し、
 展開していったものである。

 徒然草に最初に出会った十代の半ばからのことを思えば、
 改めてわたくしの人生の大部分の時間を徒然草とともに
 過ごしてきたことに感慨を催す。

 その間、家族の理解と協力に恵まれたことは幸いであった。
 つねにわたくしを見守り支えてくれた家族に、本書を捧げたい。
   ・・・・・
        平成20年6月       島内裕子    」

 ( p532 島内裕子著「徒然草文化圏の生成と展開」笠間書院  )


はい。これは一筋縄ではいかなそう、腰をすえて。
ここは古本で島内裕子さんの本数冊注文しました。
水先案内人のお喋りを聴きながらなら徒然草通読
も苦にはならなそうです。これなら今から楽しみ。

では、「徒然草文化圏の生成と展開」の「はじめに」
から引用。島内さんが指し示す先を望見してみます。

「あまりにも有名で身近な存在であるが故に、徒然草は、
 誰でもよく知っている『入門書扱い』をされて久しい。

 換言するならば、徒然草の真の文学的な達成と、
 文化史的な重要性が、いまだ十分には認識されていない
 ということである。しかしながら

 徒然草こそは、日本文化の隅々まで浸潤し、
 日本人の思考形成の支柱とも言える作品なのである。

 そのことが従来それほど強調されて来なかったのは、
 逆に徒然草の存在が、あらゆる面で日本文化の血肉となって、
 普段はそれと意識せずに暮らしていることの証左とも言えよう。

  ・・・・・・・・四百年にわたる徒然草研究史は、
  徒然草という作品そのものの研究が中心になってきた。

  徒然草が日本文化の中でどのような役割を演じ、
  何を生み出し、人々の心の襞にどのように深く入り込んだかという、

  徒然草が日本文化史に及ぼした影響力を解明する総合的な研究視点が、
  ややもすれば忘れがちだったように思われてならない。

  今、この時代にこそ、トータルな問題意識に支えられた、
  新たな徒然草認識が必要であろう。・・・・        」


何だか、私に思い浮かぶのは、徒然草・第52段でした。
ここは、島内裕子さんの訳のはじまりとさいごと引用。

「 仁和寺(にんなじ)法師が、年を取るまで、
  石清水八幡宮にお詣りしたことがなかったので、
  そのことを残念に思い、ある時、
  思い立って、ただ一人で、徒歩でお詣りした。 」

うん。真ん中は思い切ってカットし、最後の一行。

「 少しのことにも、先達はありたいものである。 」(p112・文庫)


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