和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「文語文」の通路。

2014-09-15 | 本棚並べ
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)を
読了。読めてよかった。

いろいろあるのですが、ここでは、
ひとつだけ引用。

「戦前と戦後の文語教育の大きな違いは、
古典教材の取り上げ方もさることながら、
文語教材の継続性・一貫性の問題に尽きます。
何度も述べたように戦前の戦時体制以前の
文語教育は、初等教育の後半から始まり、
平易な教材から始めて少しずつ教材の量を
増やし、中等教育につなぐという形をとって
いました。古典の原文が登場するのは中等教育
からで、小学校では、義経や曾我兄弟を扱った
教材でも、小学生のレベルに合わせて書き下ろ
した文語文でした。現在のように、小学生から
『万葉集』や『竹取物語』を読ませるというこ
とは行っていません。また、中等学校でも、
低学年は近代の文語文や近世の随筆などに
なじませ、やがて中世の古典に進み、
『伊勢物語』『土佐日記』など中古の文学は
中等学校高学年の教材でした。
戦後の教育は、一変して、近代や近世の文語文
を排除して、中学校までは少数の古典教材に
とどめ、高等学校の『古典』の科目で一度に
多くの古典の文章を読ませるという方法に
なりました。」(p234~235)

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14年前からの「ヤメロ」。

2014-09-14 | 短文紹介
産経新聞9月14日の一面左に
曽野綾子さんの「小さな親切、大きなお世話」
が載っておりました。

そういえばと、
平成12年の文藝春秋を本棚から取り出す。
その2月臨時増刊号「私たちが生きた20世紀」
「全篇書下ろし362人の物語」という特集。
この雑誌に、曽野綾子さんが1頁半の文を
載せておりました。題して
「最も才能のない詩人による駄詩『二十世紀』」
そのなかに、こうあったのでした。

「 ・・・・・・・
朝日も読売も毎日も、
社会主義を信奉するソ連と中国を批判する
ことを許さず。私の原稿はしばしば
書き換えを命じられ、没になった。
戦後のマスコミは、言論の自由を守ると
言ったが、差別語一つに恐れをなし、
署名原稿も平気で差し止める。
 だから彼らはもはや自らの悪を書けない。
 だから成熟した善も書けない。
・・・・・・・
内戦もなく、武器も輸出もせず、
それでも、日本は悪い国だと言いふらす。
(そういう人は早く日本国民をヤメロ)
・・・・・・・  」  

うん。一部だけを引用するのは
気がひけますが、御勘弁。
コメント (3)
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近世の文章史を。

2014-09-13 | 本棚並べ
古田島洋介著「文語文入門」(吉川弘文館)を
パラリパラリと読んだだけなのですが楽しめました。

ちなみに、古田島洋介氏は1957年生まれ。
東京大学文学部フランス語フランス文学科卒業で
東京大学大学院比較文学比較文化博士課程単位取得
満期退学。現在、明星大学人文学部教授。
とあります。うん。平川祐弘氏の謦咳に
接しておられたんだろうなあ。


さて、その「文語文」の勢いで(笑)
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)を
読み出すとスラスラ読めます。ありがたい。

ということで、半分ほど読み進んだところです。
せっかくなので、こんな余談の箇所を引用。


「江戸期の面白さは、身分の上下を問わず、
文字の書けるレベルの人なら一様に様々な
記録を残していることで、この事実は、
日本の近世社会における、文化上の特質で
はないかと思います。旅をするうえの必需品
として、携帯用の筆と墨入れとがあったこと
は何を示しているでしょうか。それは見たもの、
聞いたものを書き留めておかずにはいられない
という精神の表れです。経済が安定し、識字率が
高まった江戸中期以降から、農民、商人、武士、
大名に至るまで、おびただしい数の紀行、随筆、
日記、書簡が書かれています。南谿の書いたような
文章は、その中から生まれたレベルの高い『作品』
で・・・近世を彩る、芭蕉、近松、秋成、馬琴と
いった華麗重厚な文学の陰にあって看過ごされがち
ですが、紀行・随筆類の文章は、近世の文章史を
貫いて流れていた大きな底流でした。もちろん
一流の文人・学者によって書かれた香気高いもの
があるかと思えば、一市井人の手になった備忘録
的なものもあり、内容も見聞、観察、身辺の雑事、
人生観等をこまごまと記したものなどが大半でした。
その文体は修飾を排し、実用に徹したものが大半で、
この種の文章が、文学的に価値のあるものと認められず、
ごく一部しか活字化されてこなかったのもそのためです。
しかしながら、認められようと認められまいと、
数百年間絶え間なく綴られてきたこの種の文章の堆積を
考えると、江戸期の日本人の持っていたその無目的とも
見えるエネルギーの量には圧倒される思いがします。」
(p96~97)

なにやら、ブログの先達に
思いを馳せることになるんだろうなあ。
ということで、この引用の中に登場する
橘南谿(たちばななんけい)の古本を
注文することにしました(笑)。
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文藝春秋10月号発売。

2014-09-11 | 短文紹介
総力特集「新聞、テレビの断末魔」。
これが読みたくて本屋さんへ。

塩野七生・平川祐弘・櫻井よしこ。
以上3名の文を読めてよかった(笑)。

櫻井よしこ氏の2頁(p240~241)
を、まず読むことをお薦め。
ちなみに、櫻井氏の文は10頁。

櫻井氏の2頁には、こうあります。

「・・朝日の検証が検証になっていないからだ。
朝日は本気で悪いとは思っておらず、
本気で反省もしていないと断ぜざるを得ない。
第一、 耐え難い不名誉の淵に日本と日本国民を
突き落としたことについて謝っていない。
そのうえ慰安婦問題の本質を強制連行から
『女性としての尊厳を踏みにじられたこと』
にすり替えた。
女性の尊厳を傷つける行為は当時もいまも、
残念ながら世界各地で見られる。
そうした中、日本だけが非難されるのは、
日本が組織的強制連行で、挺身隊まで
慰安婦にしたとされているからだ。
そのことに触れずに女性の尊厳へと
すり替えた朝日の検証態度を不誠実と
言わず何と呼べばよいのか。
不十分な検証は却って疑惑を深め、
結果として信頼も取り戻せない。・・」

ちなみに、平川祐弘氏の文の題は
『朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか』
となっておりました。
塩野七生氏の文はというと、
半世紀に及ぶヨーロッパでの生活から
こう指摘しております。

そのまえに、塩野氏の文はこう始まります。

「8月5日に新聞の二面すべてを使って
掲載された朝日の記事、『慰安婦問題
どう伝えたか 読者の疑問に答えます』
を一読して最初に浮かんできた想いは、
『暗澹(あんたん)』であった。
これには現代日本の病理が凝縮されている、
と感じたからである。」

さて、その朝日新聞を読んでいくと

「私の視線は、この項目のある個所に
釘づけになった。記事をそのままで書き写すが、
当時の大日本帝国の内部では『軍による強制
連行を直接示す公的文書は見つかっていない』
としながらも、次のように続けているのだ。
『一方、インドネシアや中国など日本軍の
占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を
無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す
供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に
記されている。インドネシアでは現地の
オランダ人も慰安婦にされた』
私の頭の危険信号が点滅し始めたのは、
欧米がこの慰安婦問題を突いてくるとすれば
この箇所だ、と思ったからである。」

「われわれ日本人にとって、欧米を敵に
まわすのは賢いやり方ではない。オランダ人の
女も慰安婦にされたなどという話が広まろう
ものなら、日本にとっては大変なことになる。
そうなる前に、早急に手を打つ必要がある。
それにはまず、朝日新聞に協力を求めたい。
『インドネシアでは現地のオランダ人も
慰安婦にされた』で終わる箇所の記事の
根拠になった全資料、それも、選択を経たり
解釈などが加えられていない生まの資料の
すべてを提供してほしのだ。歴史を書く
場合の、『原史料』と呼ばれるものである。
・ ・・今重要なことは、・・・
生まの証言をすべて集めることなのだ。
記事の根拠にした以上、朝日にはそれが
残されているはずである。」

塩野氏が指摘する『今重要なこと』が
朝日に残されているのですが、
これに、どう誠実に対応するかで

櫻井氏が指摘する
『朝日は本気で悪いとは思っておらず、
本気で反省もしていないと断ぜざるを
得ない』(p241)

これが、はっきりするのでしょう。
そして、平川氏の題
「朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか」
この暗澹さを思い知らされるのか。

ということで
平川氏の文は、ファンとしては
ゆっくりと全文を読んで欲しいので、
ここでは、ちらりと引用。

「このような『朝日』に体質改善は
望めるのか。今回の慰安婦問題の誤報の
件についてはさぞかし多くの投書が寄せ
られているだろう。だが、『声』欄は今の
ところ一通も批判的な読者の投稿を掲載
していない。『朝日』とはそんな
破廉恥な新聞なのである。
平川家は愛想をつかして『朝日』を
やめた。ある席で私がそういい、
芳賀徹が『自分も止めた』といったら、
ドナルド・キーン氏が・・・・」


うん。今月号の文藝春秋。
3人の文を読めたのが私の収穫。
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テンとマル。

2014-09-09 | 前書・後書。
古田島洋介著「文語文入門」(吉川弘文館)を
読み始めたところです。
これが面白いほど、よくわかり。
ありがたい。
たとえば、第二章のはじまりは、こんなです。

「今日の日本語の文章は、改行すれば
行頭に一字分の空格を設け、文は適宜に
読点(てん)で切り、文末には句点(まる)
を打つのが、体裁上の約束事である。けれども、
明治期の文章は、行頭に空格を設けず、
句読点を一つも打たずに記してあることが多く、
漢文訓読体も例外ではない。
体裁は一般にめりはりを欠き、
改行が明らかでない点ではべた書きの印象を与え、
句読点がない点ではだらだら書きの雰囲気が漂う。」(p33)


いまだに、句読点が苦労の種の私は
何か気が楽になっていくような(笑)。

こんな箇所もあります。

「漢文訓読体に用いられている漢字は、
すべて旧字体である。そして、にべもない
言い方だが、旧字体が読めるようになるため
の即効薬はない。地道に学び、次第に慣れて
ゆくほかないのである。」(p37)


ハイ。と思わず答えてしまうような(笑)。
まあ、こうして始まっている一冊。
そして、気持ちのいい、手ごたえ。
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濃い青に。

2014-09-07 | 短文紹介
週刊新潮9月11日号。
後の写真記事に、
「総飛行2万5000時間の『伝説の機長』」(p142~143)
がありました。
2万5000時間の飛行時間記録をもつ
秋田芳男機長(63)。パイロット歴41年。
そこに「長年コックピットから眺めてきた雲の上の景色は?」
という質問に答えて
「上空1万メートルを超えると、
空の色が濃い青に変っていきます。
飛行機で飛んでいると、すぐに
日本海、太平洋に出てしまうので、
日本列島が狭く感じますね。
また、夜間は天の川が帯になって
流れる満天の星空で、どのパイロットも
ロマンチストになりますよ」

うん。
「満天の星空」といえば、
城達也のラジオ。ジェットストリーム。
さっそくユーチューブにて
聞くことに(笑)。

さてっと、その音楽を聴きながら、
井上靖の詩のはじまりに

「海の青が薄くなると、それだけ、
空の青が濃くなってゆく。」

という書き出しの詩「六月」が
あったなあ。

鶴田欣也氏の文に

「中西進氏は『言葉に秘めれた
大いなる自然』・・のなかで古代の
日本人は、空も海であって、そこは
宇宙水のようなもので満たされていると
思っていたらしいという話をした。・・
それにしても、空が海というのは
なんというみずみずしい想像力だろう。
もっとも古代の人にはこれは想像では
なくて事実だったのだろう。・・」
(「アニミズムを読む」p16)
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講話及び文範。

2014-09-05 | 前書・後書。
三浦勝也著
「近代日本語と文語文」(勉誠出版)を
とりあえず、パラリ(笑)、
きっかけをつかもうと、
その本文の最後を引用することに。

「二十年ほど前に講談社学術文庫から
『作文講話及び文範』が復刻されたのは、
待望の好企画でしたが、文庫になったのは
前中後編のうち前編の『作文講話』だけで、
中編の『作文便覧』、後編の『文範』は割愛
されました。・・・仏つくって魂入れずという
ものでしょう。それは明治維新以後およそ
半世紀にわたる諸分野の文章の集大成だった
からです。
『作文講話及び文範』が刊行された明治45
(1912)からほぼ百年が経ちました。この
百年に及ぶ日本の文章の歴史は、文語口語を
併せて豊かなものを生み出しましたが、この間
の文章を集大成したものは編まれていません。
文語口語を問わず、各時代や各ジャンル別の
文章が一堂に会したとき、そこに時代を通底
する文章の流れが見えてくるはずです。そして
同時に、私たちの文章がいま、どういう姿を
しているかもまざまざと見えてくるにちがい
ありません。このあたりで『平成の文範出でよ』
と望んでもおかしくないではありませんか。
近代の文語文を知ろうとすることは、結局
私たちのたどり着いた現代の文章そのものに
ついてもう一度考えてみることにほかならないのです。」(p254)


う~ん。この新刊のおかげをもちまして、
古本の「作文講話及び文範」に、
(特に読まずじまいだった「文範」の箇所へ)
もう一度チャレンジしてみたくなりました。

本棚の目立つところに、置いてはあるものの
埃をかぶったままになっているあの本(笑)。
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本日の雑誌と本。

2014-09-04 | 本棚並べ
週刊文春と週刊新潮を買う。
週刊文春の右側見出しは
「朝日新聞の断末魔」。
特集が
「朝日vs・文春スキャンダル100連発!」
うん。こういうのは楽しい。

週刊新潮の右側見出しは
「おごる『朝日』は久しからず」
小見出しがいいなあ。
「虚報は謝罪しないのに
他社に謝罪要求をする倣岸体質」
よく、言ってくれました(笑)。
うん。新聞社の謝罪要求は常に、
常識でしょうから、オイ、この非常識。

週刊新潮の左見出しは百田尚樹氏
「私と日本人を貶めてきた『朝日新聞』に告ぐ!」

週刊新潮には
第13回小林秀雄賞の受賞作に
山田太一著「月日の残像」(新潮社)。
その決定発表(p50)


今日届いた本2冊。

「近代日本語と文語文」
「日本近代史を学ぶための文語文入門」
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古本届く。

2014-09-03 | 本棚並べ
注文してあった古本が2冊届く。


角口書店(札幌市中央区宮の森)
「『甘え』で文学を解く」(平川祐弘・鶴田欣也編)新曜社
「日本文学の特質」(平川祐弘・鶴田欣也編)明治書院

2冊で、送料とも3960円。
先払いでした。

うん。読む前に本を手元に置く。
という贅沢(笑)。
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文語教育?

2014-09-02 | 短文紹介
正論10月号の特集は
「徹底批判150ページ朝日新聞炎上」。
こう広告にあったので購入。

この雑誌のブックレッスン欄に
三浦勝也著「近代日本語と文語文 
今なお息づく美しいことば」(勉誠出版)が、
紹介されていて、興味をひく。
そこでは、著者インタビューのかたちで
本の紹介をしているのですが、こんな箇所

三浦】 ひとつの例ですが、
教師として長年入学問題の作成をしていて、
ある時期から素材となる文書を選ぶのに
非常に苦労するようになりました。特に、
論旨明快な文章、印象鮮明な文章が少なくなった。
それは80年ごろが境目かと思います。
私の推測にすぎませんが、文語教育を
受けていない書き手へと、
世代交代したからではないでしょうか。(p364)

うん。さっそく注文することに。
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1960年の竹山道雄。

2014-09-01 | 短文紹介
平川祐弘著「日本の正論」(河出書房新社)を
パラリパラリとひらいております。

たとえば、
「1960(昭和35)年2月14日「産経新聞」夕刊
の「思うこと」欄に竹山道雄が「基地と平和」に
ついて書いた考察」
その内容を引用してはじまる文(p61~65)。
その始まりから引用。

「少し長いが、次の引用文からお読み頂きたい。
『日本にいる米軍がよそに出勤したら、
その基地が報復をうけ、これによって
日本が戦争に巻きこまれるようになる
というのが、いまの心配である。
米軍がいると戦争に近づく、いなければ
遠のく――、多くの人がこう考えている。
しかしあべこべに、米軍がいると戦争が
遠のくがいなければ近づく、と考えるのは
どうだろう。歴史の事実は後の考えの方が
根拠があることを示している。・・・・
(1950年の)朝鮮のように、米軍が手薄
になるとたちまちに事がおこって、
真空理論を実証したところもある』
『基地があれば、外からうっかり手は出さ
ない。はじめにさぐりを入れて、抵抗がない
という自信がつけば軍事侵略をするが、
これはいけないとわかれば・・立ち消える。
全面戦争はあきらかに避けているのだから、
米軍基地を攻撃すれば全面的抗争になるし、
米軍の基地があることは、ヨーロッパと
おなじく極東にとっても、戦争抑制の保障
である。・・・もし万一にも全面戦争にでも
なったら、基地があろうとなかろうと巻き
こまれることはおなじである。こういう事情が
根本から変ったと考えうる根拠は、まだない』
・ ・・・吉田茂や岸信介など責任ある政治家は
そう考えていただろう。・・・その年の春、
大新聞が煽動するものだから、国会の周辺は連日
『安保反対!』のデモに学生や労働組合員が
動員され、世間は騒然とした。・・・・
それまでの五年間、ヨーロッパに留学する
うちに、私は過去の日本の軍国主義は良くなか
ったが、スターリンや毛沢東の一党独裁体制は
それよりさらに非人間的で残酷なものだと警戒
するようになっていた。英国が米国と同盟する
ことで専制主義的大国の脅威から自国の安全を
はかるように、日本も米国と手をつないで自国
の安全と自由を守るべきだと思うにいたったのである。
周囲の大学院生のように『安保反対!』などと
叫ぶ気はまったくない。モスクワ放送や北京放送
の喜ぶような騒ぎに加わる人の気が知れなかった。
だが学生たちは暴力的なデモを繰り返し、
警官隊と衝突し、女学生が一人死んだ。
活動家学生が目をつりあげて『民主主義を守れ!』
と叫ぶ、私も『民主主義を守れ』と静かに、
多少皮肉っぽく応じる。
そのテンポを一つずらした語調で、
私のいう民主主義が『議論をした後は最終的には
国民や国会の多数の意見に従え』という
常識的な意味だとすぐ伝わった。当時は
自由民主党が国会の過半を制していたのである。」

「あの年に大騒ぎの中で改定された日米安保
条約も五十年たった。・・・
それで世間がどう考えているのかと藤原書店の
『環』41号の『日米安保を問う』特集と、
亜紀書房の西原正・土山實男監修『日米同盟再考』
を読んだ。前者ではロシアの日本学者モロジャコフ
が日米安保は『どこまで中国の拡大を抑止するだ
ろうか』といいつつも『少なくともこの同盟は、
東北アジアにおけるパワー・バランスを維持し
ている』とロシアの国益から見てこの同盟に
反対していない。
中国の陳破空は天安門事件以後に米国に居を
移した人だけに、米軍が日本から撤退すれば
大中華帝国が拡大するだろうと懸念を表明し
ている。日本の安保反対オタクと言い分が
まるで違う。」

これは2010年7月30日に
産経新聞「正論」欄に掲載とあります。



うん。平川祐弘著「日本の正論」は
いっきょに読んでしまうには、
惜しい内容がつまった一冊(笑)。
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