和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

驚くほど率直に。

2022-12-13 | 詩歌
注文してあった文化庁編の
「親から子、子から孫へ 親子で歌いつごう日本の歌百選」
(東京書籍・平成19年)が届く。

古本ながら、ひらけば読んだ形跡なし。
手にしていたら、黒澤明が浮びました。

黒澤明著「蝦蟇の油」(岩波書店・1984年)。
黒澤明著「まあだだよ」(徳間書店・1993年)。

「まあだだよ」は、絵コンテとシナリオ。
はじまりに、内田百閒について黒澤明の語り。
シナリオのなかで主人公が、こう語ってます。

    昔の唄はいいね・・・
    アンリィ・ルッソウの絵みたいに
    無邪気で・・素直で・・・
    私は、昔の唄が大好きだ!      ( p84 )


「蝦蟇の油」からも、引用しておきます。

「  明治の香り

 大正初期、私の小学校時代には、まだ明治の香りがただよっていた。
 小学校の唱歌も、明るく爽やかなものばかりだった。

 『日本海海戦』や『水師営』の唄は、今でも私は好きである。

 節もカラリとしているし、歌詞も平明で、驚くほど率直に、
 しかも的確忠実にその出来事を叙述して、
 よけいな感情を押しつけていない。

 後日、私は助監督達にこれこそコンチュニティ(撮影台本)の模範だ、
 この歌詞の叙述からよく学べ、と云ったが、今でもそう思っている。

 今、ざっと思い出しても、この二つの他に当時の唱歌には、
 次のようないいものがあった。

 『赤十字』 『海』 『若葉』 『故郷』
 『隅田川』 『箱根山』 『鯉のぼり』 等々。

 アメリカの著名な楽団『ワン・ハンドレッド・ワン・ストリングス』も、
 この中から『海』『隅田川』『鯉のぼり』を取り上げて演奏しているが、

 その演奏を聞いても、その唄の、のびやかな美しさに傾倒し、
 それを選んだことがよくわかる。・・・・    」(p66・単行本)


さてっと、
「親から子、子から孫へ 親子で歌いつごう日本の歌百選」は、
2007年に出版されたものです。
「親子で歌いつごう 日本の歌百選」の応募を
平成18年9月5日~11月17日までの期間募集したとあります。
有効投票数5540通。応募曲数895曲。

目次を見ると、黒澤さんが紹介していた歌は、
というと、『故郷』が入っておりました。


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雲の上の現代

2022-12-12 | 短文紹介
福間良明著「司馬遼太郎の時代」(中公新書)を読み始め、
とりあえず、忘れないようにと書き込み。

第一章の①は「浪速育ちの学校嫌い」。
最後にある一覧主要参考文献に
司馬遼太郎『祖父・父・学校』「司馬遼太郎全集月報四七」文芸春秋1984年
とある、全集の月報からの引用が鮮やかな印象を残します。

第二章は「新聞記者から歴史作家へ」。
こちらも、新聞記者時代が知らないことまでも整理され読む者にやさしい。

というところまで、読みました(笑)。
はい。ここまで読んで印象深い三箇所を引用。

敗戦後、はじめて就職した新世界新聞社。
そこで、松吉淳之介という老記者の話を司馬さんは聞いています。

「出世とは無縁の存在であり、社内でも
『完全な人生の落伍者であり敗残者』とみなされていた。
 だが、松吉は・・『昔の剣術使い』のように、
 記事を書く技術のみを突き詰める人物だった。

 司馬はたびたび・・松吉の話を聞き・・
『社によって守られている身分や生活権のヌルマ湯の中に体を浸すな。
 いつも勝負の精神を忘れず、社というものは自分の才能を表現する
 ための陣借りの場だと思え』という職業規範を汲み取った。

 司馬は五ヵ月ほどで、新世界新聞社を辞めた。 」( p64 )


つぎは、御存知『竜馬がゆく』を新聞社で書くことになる名場面。

「『竜馬がゆく』は、1966年5月までの4年間、1335回にわたり、
 『産経新聞』夕刊に連載された。

 執筆のきっかけは、同紙社長・水野成夫からの依頼だった。
 まだ在職中だった司馬は、社長室に呼ばれて、
 『サンケイに本格的な連載小説を書け』
 『原稿料は吉川英治なみに支払う。もちろん月給も払う』
 と言われた。・・・・

 転向左翼の財界人とはいえ、文学に愛着と造詣の深い水野
 ならではの著者起用だったのだろう。   」( p88~89 )


つぎは、「『坂の上の雲』のなかで、こう記している」という箇所。
何だか、現在のロシア・中国と日本のことが浮んできてしまいます。

「 1941年、常識では考えられない対米戦争を開始した当時の日本は
  ・・官僚秩序が老化しきっている点では・・帝政ロシアとかわりはなかった。
  対米戦をはじめたいという陸軍の強烈な要求、
  というよりも恫喝に対して、たれも保身上、沈黙した。

  その陸軍部内でも、ほんの少数の
  冷静な判断力のもちぬしは、ことごとく左遷された。
  
  結果は、常軌はずれのもっとも熱狂的な意見が通過してしまい、
  通過させることによって他の者は身分上の安全を得たことに
  ほっとするのである。  」( p95 )

ロシア・日本・中国・北朝鮮・韓国・米国と、
誰に対し、どこの国に対し「保身上、沈黙」をしているのか、
あらためて慎重な判断力を問われているような気になります。

うん。この新書まだ半分しか読んでいないのでした。
すぐ忘れるので、ここまでの印象深かった箇所引用。

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簡単明瞭な。

2022-12-11 | 書評欄拝見
福間良明著「司馬遼太郎の時代」(中公新書・2022年10月発行)
副題には「歴史と大衆教養主義」とあります。

私は、産経新聞と、最近はそれに夕刊フジをとっております。
その両方に、この新書の書評が載っておりました。

夕刊フジ11月19日(18日発行)の
鎌田浩毅さんへのインタビュー記事の下に小さく
この新書の書評がありました。まずはそこから引用。

「 『司馬史観』と称された司馬の歴史の見方は、
  1990年代に『新しい歴史教科書をつくる会』へ影響を与え、
  歴史学でも大きな論争となった。

  本書は、『二流』の学歴、兵士としての戦争体験、
 『傍系』の新聞記者から国民作家へ駆け上がった生涯を、
  まず、たどる。・・・・     」


つぎに、産経新聞12月10日の「土曜プライム」に著者の写真入りで
この本がインタビューで紹介されいる。こちらは(横山由紀子)と
署名の書評でした。そこには、著者略歴も小さく載っております。
そこを紹介。

福間良明(ふくまよしあき)昭和44年熊本市生まれ。
「『働く青年』と教養の戦後史」で平成29年、サントリー学芸賞受賞。
「『勤労青年』の教養文化史」「『戦争体験』の戦後史」などが
著書としてあるようです。

はい。私にははじめて知る名前なので、興味津々。
まず、書評されていた新書を注文。
それが届いたので、パラパラとひらく。

第4章は「争点化する『司馬史観』」となっております。
ちょこっと、ここを引用してみます。
「坂の上の雲」の表紙カバーの写真が載っている箇所でした。

「司馬は、自らの作品が『小説らしさ』から逸脱していることに自覚的だった。
 司馬は『小説とは要するに人間と人生につき、
     印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、
     それ以外の文学理論は私にはない。以前から私は
     そういう簡単明瞭な考え方だけを頼りにしてやってきた』
  と・・・・  」( p200 )

はい。この新書。もうちょっと丁寧に読んでみます。
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のびよと よんでます。

2022-12-10 | 詩歌
町内の小・中学校と幼稚園は閉校・閉園となって久しいのでした。
ことしは、その校歌や園歌を歌う機会がもてました。

ここには、幼稚園のうたを紹介したいと思います。
一番・二番・三番の最初の2行を並べてみることに。

  海が よびます 白い波
  あかるく のびよと よんでます

  雲が よびます 青い空
  つよく のびよと よんでます

  鳥が よびます おかに 花
  ただしく のびよと よんでます


この歌を唄ったあとのことでした。
大村はま著「新編 教えるということ」(ちくま学芸文庫)を読んだのは、
そこには、こうありました。

「 子どもというのは、
 『身の程知らずに伸びたい人』のことだと思うからです。

  いくつであっても、伸びたくて伸びたくて・・・・、
  学力もなくて、頭も悪くてという人も、
  伸びたいという精神においては、みな同じだと思います。
  一歩でも前進したくてたまらないのです。

  そして、力をつけたくて、希望の燃えている。
  その塊(かたまり)が子どもなのです。・・・・・

  
  子どもと同じ世界にいない教師は、
  まず『先生』としては失格だと思います。

  子どもと同じ世界にいたければ、
  精神修養なんかではとてもだめで、
  自分が研究をつづけていなければなりません。

  研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人は、
  いくつになっても青年であり、子どもの友であると思います。
  
  それを失ってしまったらもうだめです。・・・・・・

  もっともっと大事なことは、
  研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、
  日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が
  胸にあふれていることです。・・・・   」( p27~28 )


「 子どもというのは、身のほども忘れて、
  伸びようとしたり、伸びたいと思っている人間です。

  至らない子どもで、何もできない子どもでも、
  見ていて悲しいほど自分を伸ばそうと思っています。 」( p152 )


はい。この言葉に触れて、「大村はま国語教室」の全集を
古本で購入したのですが、ちっとも読み進めてない私です。
まあ、それはそれとして、

最後に、「幼稚園のうた」全文を引用。


    幼稚園のうた     真田巌作詞
      
  海が よびます 白い波
  あかるく のびよと よんでます
    おてて つないで なかよしは
    たのしく
    おうた うたいます。

  雲が よびます 青い空
  つよく のびよと よんでます
    花の においの 風の なか
    げんきに
    おゆうぎ しています。 

  鳥が よびます おかに 花
  ただしく のびよと よんでます
    みんな いい子の わらいがお
    ほんきに
    おえかき しています。


はい。この幼稚園のうたの詩には、
幼稚園の地域名がはいっていない、
ですからどこで歌おうといいので、
そういう願いを込め引用しました。
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至るところに発句書く。

2022-12-09 | 詩歌
昨日のつづきです。
「挨拶句・存問(そんもん)」という用語を
6㌻ほどで紹介されているのは宇佐美魚目氏。

昨日、省略した箇所をあらためて引用。
定義・歴史・具体例とならんでいます。
その『歴史』の最初は『三冊子』から引用
されておりました。そこから

「 服部土芳は師であった松尾芭蕉のことばを書きとめた
  著者『三冊子』の中で挨拶について次のように述べている。

 《 ――客発句とて、
     むかしは必ず客より挨拶第一に発句をなす。

     脇(わき)も答ふるごとくにうけて
     挨拶を付け侍(はべ)る也。

     師の曰く
    『 脇、亭主の句をいへる所、即ち挨拶也 』。
     雪月花の事のみいひたる句にても
     挨拶の心也との教(をしへ)也  ≫

このあとに、つづけて

  山本健吉は《 俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり ≫
  と三つの命題の上に俳句は存立すると明言。

このあとに、昨日引用紹介した山本健吉・高浜虚子の言葉がありました。
高浜虚子といえば、

  高浜虚子著「虚子五句集」(岩波文庫・上下巻)があります。
  題の下に小さく「付 慶弔贈答句抄」ともあります。

はい。せっかくなので、この機会に本棚からもってくる。

   上巻は、五百句・五百五十句・六百句。
   下巻は、六百五十句・七百五十句・付慶弔贈答句抄
   下巻には、大岡信氏が18㌻の解説を載せております。

パラパラ読みの私には、うってつけの文庫です。

 『 明治29年鼠骨庵の障子に題す 』とあり
 
   春の旅至るところに発句書く   高浜虚子

この文庫二冊、「至るところに発句」を見出せます。
うん。この句集には、日付があるので、それも楽しめます。
無精の私は、師走を飛び越してお正月の句を並べることに。  

  水仙や表紙とれたる古言海(げんかい)  昭和7年1月28日
  神近き大提灯(おおぢょうちん)や初詣  昭和10年1月1日
  藪入(やぶいり)の田舎の月の明るさよ  昭和10年1月10日
  
  初句会浮世話をするよりも        昭和13年1月1日
  粛々と群聚はすすむ初詣             1月1日
   
  初詣神慮は測り難けれど        昭和14年1月1日
  願(ね)ぎ事はもとより一つ初詣        1月1日
  大寒にまけじと老の起居かな          1月13日

  厳かに注連(しめ)の内てふ言葉あり  昭和15年1月8日
  凍土(いてつち)につまづきがちの老の冬    1月8日
  福寿草遺産といふは蔵書のみ          1月10日
  松過ぎの又も光陰矢の如く           1月10日

  道のべの延命地蔵古稀の春       昭和18年1月7日

  思ふこと書信に飛ばし冬籠(ふゆごもり)昭和20年12月27日

  去年今年追善のことかにかくと     昭和22年1月1日

  今年子規五十年忌や老の春       昭和25年12月13日
  去年今年貫く棒の如きもの       昭和25年12月20日

はい。有名な句で終わってもいいのでしょうが、
キリがないけど蛇足もまたよいかもと続けます。

  志(こころざし)俳諧にありおでん食ふ 昭和33年12月21日
  推敲を重ぬる一句去年今年           12月25日
  静(しずか)なる我住む町の年の暮       12月30日
  君は君我は我なり年の暮            12月30日
  ふとしたることにあはてて年の暮        12月30日


今回の引用は、これくらいで。
年の暮れ、いたるところに発句あり。
なぞと、つい言ってみたくなります。

     
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枯野・大根の葉。

2022-12-08 | 詩歌
「書き初め」と「百人一首」と続きましたので、
つぎは、「年賀はがき」かなあ。とはじめます。

「俳句用語の基礎知識」は、古本で200円でした。
うん。昭和59年初版で、カバーも、ページもきれい。
角川選書の一冊で、編者は村山古郷+山下一海。
あとがきのはじまりを引用しておくことに。

「『挨拶句・存問』から『わび・さび』まで、
 本書におさめられた61項目の俳句用語は、
 明治から昭和の現在に至る近代・現代俳句史の上に、
 それぞれ花とひらき実を結び、あるいは美しく点じられた
 燈し火のような事項ばかりであるといえよう。・・・  」(p305)

はい。本文のはじまりは『挨拶句・存問(そんもん)』でした。
私などは、年賀はがきのことを思うと近頃このことが浮びます。
ということで、はじまりから引用しておくことに。

「・・『存問』は心に存して忘れず、安否を問い、
  慰問するの意で挨拶とほぼ同義。

  したがって挨拶句も存問もともに人間と人間との関係、
  すなわち慶賀・弔意、またはある出来事についての感懐
  の俳句であることはいうまでもないが、

  その土地の風光・歴史など一切に対する親愛の情をも
  含むといった広い意に解釈すべきであろう。     」(p7)

はい、これが定義として書かれておりました。
後に、続いて歴史として書かれているのは、
『三冊子』の中からの引用からですが、端折ります。
そのつぎに

「 山本健吉は
  《 俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり ≫
 と三つの命題の上に俳句は存立すると明言。(「純粋俳句」昭和27)

 存問については『虚子俳話』の中に二編、次のごときものがある。

 《 ――お寒うございます、お暑うございます。
   日常の存問が即ち俳句である。

   ・・・・・・・・
   平俗の人が平俗の大衆に向っての存問が即ち俳句である。≫
          ( 高浜虚子「朝日新聞」昭和32・12・29 ) 

 《 ――曾つて「存問」と題する一項目を書いた。
  「お暑うございます」「お寒うございます」
   日常存問が即ち俳句であると。

   山本健吉氏は新潮文庫の「虚子自選句集」の解題に
  「日常の存問が即ち俳句である」といふ私の説を引いてかう書いてをる。

  「おそらく氏(虚子)の存在の揺るぎなさは、
   俳句を『日常の存問』として、刻々のうちに
   俳句に生きてゐることに在るのであろう。」

   さうして次の数句(節録)を挙げてをる。

  
   遠山に日の当りたる枯野かな    虚子
   桐一葉日当りながら落ちにけり   同
   流れ行く大根の葉の早さかな    同
   旗のごとなびく冬日をふと見たり  同
   天地の間にほろと時雨かな     同
   彼一語我一語秋深みかも      同
   去年今年貫く棒の如きもの     同

   然り、四季の自然、人間に対する私の存問である ≫
        
           ( 高浜虚子「朝日新聞」昭和33・5・11 )


はい。この頃私は、年賀はがきを積極的に書いておりません。
けれど、年賀はがきは舞いこむ。そんな少数相手に書きます。
年賀はがきを書かずに、こうして『存問』のことを思い浮かべています。              

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『ひゃくにんしゅ』と。

2022-12-06 | 詩歌
安野光雅著「片思い百人一首」(筑摩書房・2000年)。
はい。古本で200円でした。

百人一首を、したこともなく育ち。
今頃になり、本をひらいています。

見るのに便利で、かさばらない本は、「原色小倉百人一首」(文英堂)。
これは子どもが学生時代に購入したもので、毎ページカラー写真つきで
鑑賞もあり、ちょいと疑問に思った時など、置いとくだけで心強い一冊。

今回の安野さんの本は、ちょいと自作で歌いたくなるような一冊。
あとがきに、こうあります。

「一般に、上の句を『問い』だとすれば、
 下の句は『答え』にあたる意味がある。

 『答え』にあわせて『問い』をつくり、
 三十一文字のリズムにあやかれば、だれでも
 この本で試みたような戯作の歌は作れると思う。

 『問い』の内容は、人生経験である。
  興味ある方はためしてみていただきたい。 

  現代の『問い』に対して、王朝の人々に答えてもらうということ
  は『片思い』ではあっても、悪い気分はしないだろう。」( p214 )

うん。本文から実例を一箇所引用してみることに。
まず、安野光雅さんの歌から


「  ゆく春や君の娘の嫁ぐ日にしづ心なく花の散るらむ

 Kという友人があり、彼の一人娘が結婚するというので
 大騒ぎになった。・・・・Kがいわゆる花嫁の父として、
 聞き分けもなく取り乱しているのだった。・・・
 その結婚式の近づいた日、わたしが宅急便で送った色紙
 の一句がこれである。・・なぐさめになろうはずもなかった。

 ・・あれから八年くらいになる。・・

 久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ  紀友則

 『久方の』は光の枕詞。風もない静かな日に花が散る。
 これは花の命運に従って散るのである。
 木の葉も散るときがくると風がなくても散る。
 それからそれへと信号がつたわり、覚悟ができた
 ものから順に、いっせいに散り始めるのだが

 わたしは一度見たことがある。
 その光景は実に厳粛でかつ壮観であった。  」( p65~66 )


この本をパラパラめくっていたら

 〇 丸谷才一著「新々百人一首」(新潮社)
 〇 吉原幸子著「百人一首」(平凡社)

を取り上げておられ、この2冊もなんだかひらいてみたくなる。

ちなみに「あとがき」には、こうもありました。

「 わが津和野は昔から百人シュが盛んで、
  それは今のこどもたちにもうけつがれている。 」( p211 )




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しずけさ。

2022-12-05 | 本棚並べ
『しずけさ』ということで、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)と
大村はま著「国語教室通信 昭和44年ー48年」(資料篇2)とを引用。


梅棹忠夫著「知的生産の技術」に、詩を口ずさむような、
一読忘れ難い箇所があります。まずは、そこを引用。

「・・・生活の『秩序としずけさ』がほしいからである。
 
 水がながれてゆくとき、
 水路にいろいろなでっぱりがたくさんでている。
 水はそれにぶつかり、そこにウズマキがおこる。

 水全体がごうごうと音をたててながれ、泡だち、波うち、渦をまいて
 ながれてゆく、こういう状態が、いわゆる乱流の状態である。

 ところが、障害物がなにもない場合には、
 大量の水が高速度でうごいても、音ひとつしない。

 みていても、水はうごいているかどうかさえ、はっきりわからない。
 この状態が、いわゆる層流の状態である。

 知的生産の技術のひとつの要点は、
 できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、
 日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。
 精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。
 努力によってえられるものは、精神の安静なのである。」
                  ( p95~96 )

つぎは、教室のしずけさ。ということで
大村はまの「国語教室通信」(昭和46年6月19日)から引用。
見出しは『いきいきとした静けさ』とあります。

「・・みんなが、じっと、思いをこらして、
  それぞれのカードを見つめ、
  『ことば』ということばの意味を考えていたとき、
  異様(いよう)なといいたいほどの静けさが、
  へやに満ちていました。

  ただ、音がしないというだけの静けさではない。
  目に見えないものが、はげしく動いている。
  心がはつらつと活動している。
  そういう静けさでした。

  区別しにくいものを区別しようとし、
  ことばに表わしにくものを、ことばにしようとして、
  力いっぱい、考えている、
  ―――いきいきとした静けさでした。
 
  すばらしいひとときでした。 」


この大村はまの「国語教室通信」の言葉を、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」の言葉とむすびつけるのは
突拍子もないと思われるかもしれませんが、
うん。『国語教室通信』には、こんな箇所もあったのでした。

 ♢ D組、『知的生産の技術』と『読書論』、
   返してない人、大至急。
   今度はA組で使うので、本をもてない人ができてしまいます。
   忘れたら、とりに行ってもらいます。
         ( 昭和46年10月23日「国語教室通信」 ) 


はい。梅棹忠夫著「知的生産の技術」を読んでも
いまひとつ、私には理解しにくいところがあって、
「大村はま国語教室」はそこを教えてくれている。
そう思えば、読みすすむのにも楽しみがふえます。

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ちょとしたコツみたいなもの。

2022-12-05 | 道しるべ
今はどうなのでしょう?
私の小学生の頃は『書き初め』は当然のようにありました。
中学では、ちょこっとあったかなあ。

大村はまの国語通信を読んでいて、思ったのですが、
私の『書き初め』は、書く言葉のお手本があって指定されていた。
そこが気になり書いてみます(昨日のブログの続きになります)。

まずはここから。
苅谷夏子さんは、大村はまの授業をこう語っておりました。

「学校という場は、すでにできあがった知識体系を、
 疑う余地も残さず、あたりまえの顔をして教えてしまう。
 立派な知識のお城を前に、生徒は委縮した
 未熟な存在にならざるをえないところがある。

 ところが、この『ことば』という平易な、しかし
 やっかいなことばの分類をしてみたことで、私は 
 しゃんと背筋が伸びた気がしたわけだ。
 過去に知的遺産を築いた人々と同等の資格を持って、
 堂々と勉強を進める楽しさを教えられたのかもしれない。

 実際、大村国語教室の私たちは、
 生意気とも思えるほど一人前の
 『学ぶ人たち』だったのではなかろうか。 」
           ( p48 「教えることの復権」ちくま新書 )

『書き初め』で、自分が書く言葉を、自分で選ぶところからはじまる。

うん。この引用は途中からで、わかりずらい箇所もありますが、
まあいいか、つぎを続けます。

苅谷夏子さんは、1956年生まれ。
13歳の二学期でした。
こうあります。

「私は中学生になった。相変わらず理数系のほうが肌に合うと思っていた。
 一年生の夏休み、父の転勤に伴い石川県金沢市から東京都大田区へと
 引っ越して、区立石川台中学校に転入することになる。

 夏休み明けのじりじりと暑い日、私は国語教室として使われていた
 図書館で、当時63歳だった国語教師大村はまに出会った。」
               ( p18~19 同上 )


断捨離されずに、大村はまさんの、その頃の「国語教室通信」は残され、
しかも手書きのままの資料が、大村はま国語教室資料篇②として読める。

苅谷夏子さんは、昭和44(1969)年の二学期に大村はまと出会います。
ちなみに、この昭和44年(1969)7月21日に出版された本はといえば、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)がある。
すこし前の、1965年に
梅棹忠夫は、電通の依頼でセミナーの講師をしております。
その演題が『知的生産の技術』でした。こうあります。

「わたしの演題は、『知的生産の技術』ということであった。
 わたしの著書『知的生産の技術』が刊行されたのは1969年のことであるから
 このときはまだ姿をあらわしていない。しかし、わたしはすでに、

 1965年の4月から岩波書店の雑誌『図書』に
 『知的生産の技術について』という連載記事を
 断続的に発表しはじめていたのである。
 それに電通の担当者が注目したのであろう。・・・」

         ( p177 「梅棹忠夫著作集」第11巻 )


はい。岩波の雑誌『図書』と、『知的生産の技術』というキーワードが
大村はまの国語教室通信を、パラパラとめくっていると出てきました。

昭和46年10月9日の国語教室通信のはじまりに

「岩波の図書10月号に、『本と子どもと図書館と』という題で
 『いぬい・とみこ』さんの文章がのっています。読みましたか。・・」

はい。大村はまさんが、雑誌『図書』を注目していたとわかる箇所です。

同じ年の46年10月23日国語教室通信には、裏面にこんな箇所がありました。

 ♢D組、『知的生産の技術』と『読書論』、返してない人、大至急。
  今度は、A組で使うので、本をもてない人ができてしまいます。
  忘れたら、とりに行ってもらいます。



はい。はじまりへと戻るとすると、

梅棹忠夫著「知的生産の技術」の『まえがき』に
こんな箇所があり。思い浮かびます。

「 ・・ちょっとしたコツみたいなものが、
 かえってほんとうの役にたったのである。
 そういうことは、本にはかいてないものだ。・・」


学校の『書き初め』というのは
私の場合、前提として『書き初め』言葉が決められていて、
それを書くものだとばかり思って今にいたっておりました。

それが大村はまさんの国語教室では、自分で自分の言葉を選び
その選んだ言葉を、大村先生がお手本を書いては見本としてる。

『ちょっとしたコツみたいなもの』ということから、
わたしは、まど・みちおの詩の一行が思い浮かびます。

『 なんでもないことが たいへんなことなのだ 』

ちょっとしたコツという、何でもないことが、大変なことなのだ。
生徒ひとりひとりの言葉を、おてほんとして見本を書いてあげる、
そんな『ちょっとしたコツ』を、実行する大村は何者なんだろう。
はい。知るためには、そこに大村はま全集が待ち構えております。

うん。こうして自分で自分に言い聞かせ、全集を見あげます。


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「大切にしたいことば」は?

2022-12-04 | 道しるべ
今日は、年一回の海岸掃除。
昨年までは、打ち上げられた竹や木材を燃やしていたのですが、
今年からは、空き缶・プラスチックをひろい集めるだけになる。
燃やすのは、楽しいのですが後処理の役員負担軽減のため中止。
そのあとに、草刈りして青天のなか手配した弁当を食べて終り。

大村はまさんは、書道も教えていたようです。
気になったので、その箇所を引用してみます。

「大村が昭和3年、22歳で最初に教壇に立ったのは、
 信州の諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)だった。
 ・・・・・
 ある時期、大村は書道の先生も兼ねていて、生徒全員に、
 それぞれの名前と住所を書いたお手本を配った。

 また正月には、
 新しい年に『大切にしたいことば』を持つようにさせ、
 一人ひとりの『大切にしたいことば』を、ていねいに筆で
 清書して与えていた。・・・・」
  (p39 苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」ちくま学芸文庫 )


はい。この箇所が気になっておりました。
大村はまは、戦後、中学の国語の先生になりそれを最後まで通します。

大村はまの「国語教室通信 昭和44年~48年」というのが
全集の増補版にあるのでした。それをひらいていたら、
それは手書きの学級通信でした。一週間に一回の回数で
出していたようです。それをパラパラひらいていたら、
ありました。昭和44年11月29日の「国語教室通信」。
はい。教室通信の一面見出しは「書き初めの準備」とあります。
うん。楽しくなるので、この箇所だけ全文を引用しておきます。

「♢本校では、毎年一月に一年生を主体にする書き初め展が催されます。
 
 ♢12月の終わりに練習し、一月のはじめの国語の時間に書きます。

 ♢練習用のたんざくを使い、それに、新年の志を書くことにします。

 ♢めいめいのことばがちがうわけですから、どのように書くか、
  見本を書いてあげたいと思います。

 ♢自分のことばを考えて、12月8日(月)に提出、
  おくれると、書いてあげられません、提出日厳守。

 ♢どういうことばでもいいですが、字数が多いと、
  あの小さいたんざくに、書きにくいでしょう。
  漢字一字でもいいでしょう。
  漢字二字のことばには、皆さんがモットーとして
  揚げてもいいことばがいろいろあるでしょう。
  外国語は使わないことにします。
  かたかなで書くことばは使わないことにします。

 ♢このたんざくをラシャ紙にはって展示し、
  あと自分のつくえの前にでもはっておく
  ことができるようにしましょう。

 ♢用紙は学校で用意します。
  筆は細筆です。これは自分自分が用意。


はい。45年1月10日の「国語教室通信」の見出しは
「書きぞめ展」とあります。
ここは、はじまりと、おわりとを引用。

皆さんのいっしょうけんめい書いた
「新年の志」全部展示します。
 
一、飾りつける日 ・・・・
一、会場 ・・・・・
一、見る日 ・・・・
一、片づけ ・・・・
一、学校で書いたほかに、
  家で書いたのがあったら、ぜひ持ってくるように。


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親から子。子から孫へ。

2022-12-03 | 詩歌
先月購入した古本で400円。文化庁編の
「親から子、子から孫へ 親子で歌いつごう日本の歌百選」
 (  東京書籍・平成19年5月28日発行  )

はい。こんな本が出ていたことを知りませんでした。
うん。その頃には、こういう本に感心がなかったし。
けれども、本をひらいたら、紹介したくなりました。

発行の平成19年は、西暦で2007年。
うん。語りたいことから始めます。
この本に『文化庁編』とあります。
晩年の河合隼雄さんが浮かびます。

河合隼雄さんは、2002年1月18日に文化庁長官に就任します。
その後、長官留任を要請され3期4年余り在任することになる。
在任期間に、何があったのかと振り返ってみます。

就任した2002年4月には、小中道徳の副教材「こころのノート」が
出ております。うん。私の子供がこの小さい本をもらって来たのを
覚えております。

2004年 高松塚古墳の壁画が、カビ劣化。文化庁が隠蔽し大問題。
2006年 河合氏は文化庁長官として国内各地で謝罪。8月公式謝罪。
    河合隼雄氏は8月17日脳梗塞の発作。容体が回復せず、
    11月1日休職。
2007年 1月17日付けで任期切れ退任。7月19日亡くなる。

以上が検索すると出て来ました。
あの頃だったんだ。

この本のはじまりは、各選考委員の言葉が並んでおりました。
その選考委員長・伊藤京子さんの言葉から引用することに。

「・・・私が、この企画に携わるきっかけとなったのは、
 平成18年(2006年)に文化庁月報五月号に掲載するために、

 当時の河合隼雄文化庁長官と対談したことです。
 その対談では『歌でつながる人と心』と題して、
 歌の持っている力についてお話させていただきました。」

 ここは、最後まで伊藤さんの言葉を引用しておきます。

「その対談の中で、私が小さいときから歌が好きだったので
 音楽の道に進んだこと、日本には素晴らしい詩につけられた
 美しい曲がたくさんあるのだから、それを積極的に歌って
 いきたいと思い続けてきたこと、大げさかもしれませんが、
 それが日本の歌い手の責務だと思っていることなどを申し上げました。

 また・・・音楽は家族や友だち、仲間同士などがみんなで
 一緒に歌うことによって、心と心を通い合わせてつないで 
 いくものだというようなお話をさせていただきました。

 ・・・河合長官から、いま、みんなで共通に歌える歌が
 消えかかっているが、だからこそ世代を超えて、みんなで
 歌を歌うということを復活させる、そういう運動が必要で、
 みんなで歌える歌を残していくということを伊藤さんと
 一緒にできればいいと思っていると言われましたので、
 私は喜んでお手伝いしますとお答えしました。

 そのことがこんなにも早く、
 こんなにも素晴らしい形で実現できましたことは
 私にとってこのうえない喜びで、
 ご協力いただきました皆様方に心より感謝申し上げます。

 今回の歌百選は、私たち日本人にとって、
 いずれも大変懐かしくそして耳になじんだ曲の数々です。
 これらの歌が長く歌いつがれていくことを願ってやみません。」(p10)


選考委員の前・文化庁長官近藤信司さんの言葉のなかでは
はっきり、発案されたことが指摘されておりました。

「 この企画は、近年の人間関係の希薄化を憂慮し、
  歌の持つ力で家族が触れあう機会を増やしたい、
  美しい日本語の歌詞の歌を子どもや孫の世代へ
  歌いついでいきたいという思いで、
  河合隼雄・元文化庁長官が発案されたものです。 」(p13)


この歌の本は、平成19年5月28日発行。
河合隼雄氏は、平成19年7月19日死去。


そのうち誰かにあげたくなるだろうと、
もう一冊古本で注文することにします。
アマゾンの古本に1200円ほどであった。

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いつの世にも。

2022-12-02 | 前書・後書。
北康利著「本多清六 若者よ、人生に投資せよ」(実業之日本社)は
初版が2022年10月2日とあります。
検索してたら送料入れても2割引き強で買える古本があり注文。

パラリとひらいたのは『あとがき』。その最後でした。

「 読者の皆さんに本多清六の言葉を捧げて擱筆したい。

『 いつの世にも、根本的な重大問題は山積みしている。
  個人の力ではどうにもならぬ難関が立ちはだかっている。

  しかしながら、各人各個の心掛け次第で、
  それも順次に取り崩していけぬものでもない。

  ≪ 心掛ける ≫といった小さな力も、
  一人の心掛けが十人の心掛けになり、
  十人の心掛けが・・・・・

  いかにままならぬ世の中と申しても・・・
  これを少しでもままなるほうへもって
  いけぬことはあるまい。必ずもっていける。

  必ずよりよき変化は期待し得られる。
  私はさように信じてうたがわない 』(「私の生活流儀」)」


こうして、あとがきを、本多清六の言葉で終わらせておりました。
ちなみに、私は「あとがき」をひらいただけで400㌻の本文未読。

まえに、渡部昇一氏のエッセイで名前は存じておりました。
いまでは、明治神宮の森との関連で想起される方ですよね。

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よい本には、よい書評が。

2022-12-01 | 本棚並べ
単行本を買ってあると、それが文庫本になっても、
つい億劫で、買わないでいることが多いのでした。

けれども、その文庫が古本で手にはいるとなれば、
話は別で。さっそく買うことに。

黒岩比佐子著「パンとペン」(講談社文庫)。
お目当ては、解説で、梯久美子さんが書いてました。
その解説のはじまりは

「よい本には、よい書評が書かれる。
 本書が2010年10月に単行本として刊行されたとき
 新聞や雑誌に掲載された数多くの書評を読み返し、
 改めてそう思った。・・・」(p625)

この本には副題があって
「社会主義者・堺利彦と『売文社』の闘い」とあります。

解説の梯(かけはし)さんは、その売文社にも
ふれておられました。

「それにしても売文社とは、何と人を食った
 痛快なネーミングであろう。売文、つまり
 生活の糧を得るために文章を売ることが、

 現在よりもずっと賤視(せんし)されていた時代である。
 それを、思想に殉じるのが当然とされる社会主義者の
 長老格であった堺が堂々とかかげたのだ。

 顰蹙も買ったが、真似をする者もあり、
 各地で売文社を名乗る会社が生まれた。

 『あとがき』によれば、黒岩さんが本書を著わす
 ことになる最初のきっかけも。売文社という語の
 強烈なインパクトに惹かれたことだったという。 」

「売文社は、新聞、雑誌、書籍の原稿をはじめ、
 意見書や報告書、趣意書から広告コピー、書簡まで、
 あらゆる文章の代筆および添削を行い、また各国語の翻訳も請け負った。 
 日本初の編集プロダクションであり翻訳会社である。

 そのユニークな活動内容については、
 本書の第六章から八章にくわしく書かれており、
 ここで説明する必要はないだろう。この三つの章は、
 知的興奮に満ちていて、何度読んでも実に楽しい。

 堺と売文社が残した。文学史には載っていない
 意外な足跡を、著者がさまざまな資料との出会いによって
 発見していく過程を、読者も共有することができる。 」


うん。内容は私のことですから、すっかり忘れていたのですが、
ここですよと、スポットライトをあててくれたような解説です。

この梯久美子さんの解説でわすれがたい箇所がありました。

「黒岩さんのパソコンには、
 『 慢心するな。オマエは何サマなのか。
   謙虚に、慎重に、丁寧に 』
 と書かれたメモが貼ってあったという。
 謙虚、慎重、丁寧――黒岩さんはまさに、
 そのように書き、そのように生きた人だった。

 事実を書くということに対して、
 彼女ほど誠実な人をほかに知らない。
 この解説文を書くために本書を読み返し、
 この清潔な文体は彼女そのものだと改めて思った。」(p633)


うん。『本書の第六章から八章に』ですね。
今度、あらためて読みなおしてみます。 
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「重ね読み」の本。

2022-12-01 | 本棚並べ
小さい段ボール箱に、古本を何冊か入れておく習慣がつきました。
別に完読するわけでもなく、表紙を見たり並べたりで楽しみます。
届いた古本に、本棚から出してきた古本とかを並べたりしてます。

うん。何か読む気もせず。何かブログを書く気もせず。
そう。そういうとき箱に入れた本の題名を並べてみる。

「俳句用語の基礎知識」(角川選書)
北康利著「本多清六 若者よ、人生に投資せよ」(実業之日本社)
安野光雅著「片想い百人一首」(筑摩書房)
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
秋田実著「日本語と笑い」(日本実業出版社)
大村はま著「学習慣用語句辞典普及版」(三省堂)
大村はま著「新編教室をいきいきと1」(ちくま学芸文庫)
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)
大村はま「国語教室通信 昭和44~48年」(大村はま国語教室資料篇2)


まったく、数ページ読むと、その本を伏せては、次の本へ。
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)に
小見出しで「教材の発見」(p135 ~ 138 )という箇所がありました。

菊池寛の短編小説『形』と、新聞の投書欄の文とを
補助線でむすびながら、共通点を指摘されています。
そこの最後に

「このごろのことばで言いますと、『重ね読み』
 のように使えるわけです。重ね読みの材料は・・・」(p138)


はい。私みたいに横着でもって、飽きっぽい断片読みタイプにも、
ある程度年齢をまぶして加味されると『重ね読み』へ興味がゆく。
うん。そんな『重ね読み』で、この本たちを楽しく紹介できれば。


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