大学入試センター試験も終わり、国公立大学の受験申し込みも締め切られ、いよいよ本番の試験が始まります。すでに、私立大学では多くの大学で入試が行われ、発表もそろそろ。今年も悲喜こもごものシーンが。
これから、国公立大学の二次試験にチャレンジする受験生諸君も、今、必死に勉強しているところでしょう。
かつて、センター試験が「共通一次試験」と言っていた頃は、この試験の結果でほとんど合否が決まってしまうような状況が、生まれました。偏差値によって、大学が輪切りにされてしまったわけです。受験生のほうも、偏差値にばかりとらわれて、大学を選ぶ。そのときに大いに「貢献」したのが、大手の予備校でした。
正解も公表せず、配点も公表しない、という理不尽さがまかり通った時代。受験生は、結局、予備校独自の正答・配点を頼りにせざるをえなかった。実におかしなことが、行われていました。
その後、改善され、また名称も「センター試験」と変わり、私立大学も参加するようになって、少しは、センター試験の位置づけが変化しつつあるかのようです。しかし、予備校頼みと言うことは、全く変わっていません。ますます強化されています。ただ、予備校は受験生からは、お金は徴収していません。一種のサービスということでしょうか。
ところが、参加私大は、センター対応の入試ということで、センター試験前に、多額の受験料を取って、センターから結果だけを受け取る。受験生は、予備校のデータで、すでにほとんどの場合、合否が判明している。ダメな場合は、勿論受験料は没収。まさに「人のふんどしで相撲を取っている」ような具合。
この場合、受験料は、一万円が相場。しかし、倍率がすごい!50倍・70倍なんていうのもざらにあります。定員わずか5名に400名が出願する!勿論、センター試験前にこの申し込みは、完了させているのが、当たり前となっています。
受験生の不安心理に乗じた、実に、あこぎな入試「商売」ではないでしょうか。
さらに、センター試験は、英数国理社から各科目を選択するのですが、これが受験生泣かせ。国公立大でも、選択する科目数が異なるし、私大では、もっとセレクトされていて、英・国・社でもよいし、英・数・理でもよい、中には、出来た教科の点数を合計してもよい、と何でもあり!
極めつけは、国語の試験。80分のうちで、現代文の評論、小説(今じゃ、ほとんどセンターでしか扱わない代物)の現代文計100点。さらに古文、漢文(今は、私立ではほとんど出さない)のそれぞれ50点。合計200点満点。これをやることになっています。
ところが、私大では、「現代文100点」しか得点として必要としない入試が、圧倒的に多い。だから、受験生は、80分でじっくり?問題に取り組める。まともにやる受験生は、大問・一問につき、20分しかない。「国語」だけが、こういうおかしな試験時間になっています。
一番の問題点は、センターは、マークシートだということ。国語の問題も当然、すべてマークで答えます。3000字近くの初見の問題文を、読んで解かなければならない。小説の心情問題、説明問題、それらをわずかな時間で見極め、正答をマークする。迷って、えい、これにしちゃえ!とマークしても、じっくり考えてマークしても、○は○、×は×となります。
高校までの国語教育を見事に破壊したのは、このセンター試験のマーク方式だとさえ思います。さまざまなとらえ方、感じ方を一元化して、○か×かにした!
こういう問題の配点は、8点とか10点ですから、まぐれでもあった方が勝ち!
これは、試験ではないですね。複数正答は「3」を中心にしているとか、これでは、まるで馬券のようなもの。学びの場で、馬券の買い方を勧めるようなものですから、真面目な、「感性」豊かな子どもが、育つはずがありません。
それからおかしいのが、ヒアリングなる英語のテスト。高校の指導要領にのっているから、というだけで導入したのか、「聞き取り」といっても、どうも現実離れしたシチュエーションの問題。
普通、会話というのは当事者同士がいて、お互い顔を見ながら、直接会話する。片方が話しているのを、片方が書いたものを相手に見せるなんて、ありえない!放送だって、その場にいて聞いているもので、状況ははっきりしている。それを無理に仕立てて、問題にして正答を選ばせる、まさに、ごまかしのいいかげんテスト。
数学も、日本史も、世界史も、物理も、化学も、過去問を中心にして、反復訓練して試験に備える。高校の授業の内容を定着させる意図が感じられない。
そんな試験のために、高校の3年生の授業(大学や将来に向かって取り組ませたい課題・学習)が犠牲にされるのです。
まだまだ問題点は、いくらでもあります。
「百害あって一利なし」のセンターは廃止して、高校卒業資格試験、あるいは大学受験資格試験程度にして、大学側が自ら進んで、我が大学ではこういう学生をとりたい!そのために、こういう試験を行います、偏差値は関係なく、どういう生徒・学生を望んでいるかを明確にして、入試を行うべきではないでしょうか。
たとえば、慶応の文学部のような、ICUのような独自入試・・・。どうして、もっと大学側は努力しないのか。国公立大でも、千葉大などでは、独自でユニークな入試を行っています。
だいたい文科省(の二流官僚、無能な審議会、大臣)があれこれ口を出しすぎるのが、すべての元凶です。まさかセンター試験のため、文部官僚天下りの維持のために行っているのではないでしょうね。
これから、国公立大学の二次試験にチャレンジする受験生諸君も、今、必死に勉強しているところでしょう。
かつて、センター試験が「共通一次試験」と言っていた頃は、この試験の結果でほとんど合否が決まってしまうような状況が、生まれました。偏差値によって、大学が輪切りにされてしまったわけです。受験生のほうも、偏差値にばかりとらわれて、大学を選ぶ。そのときに大いに「貢献」したのが、大手の予備校でした。
正解も公表せず、配点も公表しない、という理不尽さがまかり通った時代。受験生は、結局、予備校独自の正答・配点を頼りにせざるをえなかった。実におかしなことが、行われていました。
その後、改善され、また名称も「センター試験」と変わり、私立大学も参加するようになって、少しは、センター試験の位置づけが変化しつつあるかのようです。しかし、予備校頼みと言うことは、全く変わっていません。ますます強化されています。ただ、予備校は受験生からは、お金は徴収していません。一種のサービスということでしょうか。
ところが、参加私大は、センター対応の入試ということで、センター試験前に、多額の受験料を取って、センターから結果だけを受け取る。受験生は、予備校のデータで、すでにほとんどの場合、合否が判明している。ダメな場合は、勿論受験料は没収。まさに「人のふんどしで相撲を取っている」ような具合。
この場合、受験料は、一万円が相場。しかし、倍率がすごい!50倍・70倍なんていうのもざらにあります。定員わずか5名に400名が出願する!勿論、センター試験前にこの申し込みは、完了させているのが、当たり前となっています。
受験生の不安心理に乗じた、実に、あこぎな入試「商売」ではないでしょうか。
さらに、センター試験は、英数国理社から各科目を選択するのですが、これが受験生泣かせ。国公立大でも、選択する科目数が異なるし、私大では、もっとセレクトされていて、英・国・社でもよいし、英・数・理でもよい、中には、出来た教科の点数を合計してもよい、と何でもあり!
極めつけは、国語の試験。80分のうちで、現代文の評論、小説(今じゃ、ほとんどセンターでしか扱わない代物)の現代文計100点。さらに古文、漢文(今は、私立ではほとんど出さない)のそれぞれ50点。合計200点満点。これをやることになっています。
ところが、私大では、「現代文100点」しか得点として必要としない入試が、圧倒的に多い。だから、受験生は、80分でじっくり?問題に取り組める。まともにやる受験生は、大問・一問につき、20分しかない。「国語」だけが、こういうおかしな試験時間になっています。
一番の問題点は、センターは、マークシートだということ。国語の問題も当然、すべてマークで答えます。3000字近くの初見の問題文を、読んで解かなければならない。小説の心情問題、説明問題、それらをわずかな時間で見極め、正答をマークする。迷って、えい、これにしちゃえ!とマークしても、じっくり考えてマークしても、○は○、×は×となります。
高校までの国語教育を見事に破壊したのは、このセンター試験のマーク方式だとさえ思います。さまざまなとらえ方、感じ方を一元化して、○か×かにした!
こういう問題の配点は、8点とか10点ですから、まぐれでもあった方が勝ち!
これは、試験ではないですね。複数正答は「3」を中心にしているとか、これでは、まるで馬券のようなもの。学びの場で、馬券の買い方を勧めるようなものですから、真面目な、「感性」豊かな子どもが、育つはずがありません。
それからおかしいのが、ヒアリングなる英語のテスト。高校の指導要領にのっているから、というだけで導入したのか、「聞き取り」といっても、どうも現実離れしたシチュエーションの問題。
普通、会話というのは当事者同士がいて、お互い顔を見ながら、直接会話する。片方が話しているのを、片方が書いたものを相手に見せるなんて、ありえない!放送だって、その場にいて聞いているもので、状況ははっきりしている。それを無理に仕立てて、問題にして正答を選ばせる、まさに、ごまかしのいいかげんテスト。
数学も、日本史も、世界史も、物理も、化学も、過去問を中心にして、反復訓練して試験に備える。高校の授業の内容を定着させる意図が感じられない。
そんな試験のために、高校の3年生の授業(大学や将来に向かって取り組ませたい課題・学習)が犠牲にされるのです。
まだまだ問題点は、いくらでもあります。
「百害あって一利なし」のセンターは廃止して、高校卒業資格試験、あるいは大学受験資格試験程度にして、大学側が自ら進んで、我が大学ではこういう学生をとりたい!そのために、こういう試験を行います、偏差値は関係なく、どういう生徒・学生を望んでいるかを明確にして、入試を行うべきではないでしょうか。
たとえば、慶応の文学部のような、ICUのような独自入試・・・。どうして、もっと大学側は努力しないのか。国公立大でも、千葉大などでは、独自でユニークな入試を行っています。
だいたい文科省(の二流官僚、無能な審議会、大臣)があれこれ口を出しすぎるのが、すべての元凶です。まさかセンター試験のため、文部官僚天下りの維持のために行っているのではないでしょうね。