おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

なんで「さん」づけなのか?

2008-02-14 23:58:38 | つぶやき
 東京の下町・足立区で起こった「一家殺傷事件」。
 家族二人を殺害したのは、自らも自死した父親(らしい)。次男は、両手首を切断された。長男は、大学入試で家にいなかったため、無事。
 その父親は、TV局に犯行に及んだ内容の手紙を送りつけていた。父親が殺人事件を起こしたのはほぼ間違いない。
 一家心中。本人が、他の家族を無理矢理道連れにして死んだ場合、どうして「さん」付けになるのか。殺人犯ではないか、殺傷事件の容疑者ではないか。
 他人の生命を奪っておいて、その人間の未来を奪っておいて、おとがめなしで、「さん」づけになるのか。警察がそのように「さん」付けで発表するのか、新聞・マスコミがそういう扱いにするのか。せめて「容疑者」扱いにすべきではないか。
 かつて、立て続けに「一家心中」事件が起こった。犯人は、どちらも父親。その時に、ブログに書いた、何かおなしくないか、と。その時のものを再掲する。
 
 白昼の中津川市で起こった一家5人惨殺事件。母親から孫までどういう動機があったのか。誰が殺したのか。重傷の娘婿の「義父に刺された」との110番通報があったことから、原平容疑者宅へ警察が駆けつけたところ、家の中で5人が首を絞められて殺されていた。その中の乳児(孫)は、生後わずか3週間であったという。
 原「容疑者」は、のどを包丁で刺して浴槽に倒れていた。小さな集落で起こった悲惨な事件。状況から原平容疑者の犯行と見られている。職場の同僚は原容疑者について「怒っている姿を見たことがない」「命の大切さを説いていた」と。
 周囲の人が「穏やかな性格」という容疑者がどうして生後3週間の孫まで道連れに無理心中を図ったのか。肉親に殺されてしまった家族の、ましてやこの世に生を受けて間もない乳児を含め、無念さは、どれほどであったろうか。今夜7時のNHKの報道番組を見ながら本当に心痛む思いであった。
 が、ふとアナウンサーの言葉、またテロップを見て我が目を疑った。「原容疑者」ではなく、「原事務長」としてあるではないか。別の殺人犯がいたのか、そうではない、やはり殺害犯は「原平(はらたいら)」であることを放送では流している。しかし、「容疑者」ではなく、「事務長」であったのは、どういうわけからか。
 娘婿の110番通報では、「義父に刺された」とあった。また、原「容疑者」も自分が殺したことを認めたという記事も掲載されている(「朝日新聞」2/28朝刊14判1面)。だが、今日の夜7時の放送では「原事務長」であった。その後はテレビやラジオのニュースを見聞きしていないので分からないが、犯人は別にいるのか、そのような報道にはなっていない。
 はたまた「原事務長」も重態で事情が聞けないからなのか、この人も死んでしまう可能性が強いからなのか。一家心中の場合、他の家族を殺した殺人犯でも、死ねば新聞では犯人扱いではなく、それなり死者扱いされる。そのための伏線なのか。はたまたもっと別な理由があるのか。
 朝日新聞の夕刊には、この事件の続報がいっさい掲載されていないのも奇妙な感じがする。
 テレビのインタビューで、職場の同僚の証言も「原事務長は、・・・」となっている。他の放送局・メディアでも「原事務長」となっていたらしい。人権意識からくるのか。
 「事務長」という肩書きがあって胸をなで下ろした報道関係者。これが、農家であったり、会社員であったらどう表現するのか、皮肉ではなく考え込んでしまった。こうした一家心中事件のたびに、あまりにも日本的な(かどうか確信は持てないが)特異性のために、及び腰になる報道スタイルを感じる。
                          (2005/2/28)
 
 今朝の朝日新聞の記事。「『妻子を殺した』メール男自殺。2日午後7時20分頃、神奈川県・・・の会社員宮本進一さん方で、妻の笑子さんと長男達也ちゃん、次男秀輝ちゃんが倒れているのを親類が発見し、・・・・3人は2階の寝室で既に死亡していた。宮本さんは別の部屋で首をつっていたところを発見され、病院に運ばれたが死亡した。(警察では)宮本さんが3人を殺害した後に自殺を図った可能性があるとみて調べている。」他の新聞は読んでないから分からない。
 朝日新聞では、家族3人を殺害した宮本進一「容疑者」(警察の発表でも、「3人を殺害した後自殺した可能性があるとみて調べている」とあるのだから、宮本進一を殺人「容疑者」として判断してもいいはずだ。)を「さん」づけで表現した。これは、明らかに一家心中で本人も死亡しているという判断だからだろうか。
 この間、一家心中事件が起こるたび、または、無理心中がある度に、小生は、どうして殺人を犯した者を、その人間が死んだからといって「さん」づけするのか、大いに疑問を感じている。
 状況証拠だけではだめだ、具体的な証拠がないかぎり、「容疑者」として表現してはならないという人権上の配慮が、警察にもマスコミにもあるのだろうか。また、逮捕されない限り、容疑者とはならないのか。
 今回のように、自らメールで妻子を殺したと通報してもあくまでも「容疑者」という表現はいけないのだろうか。生き残った場合のみその人間が「容疑者」となるのもおかしな話しだ。インターネット心中でも、首謀者やインターネットで呼びかけた人は殺人幇助罪ではないかとさえ思うのだ。
 自死はまだしも、人を道連れに死んでいく心中を犯罪扱いしない、まして許容するような文化や価値観が日本に伝統的に存在するとは思えないのだが・・・。
                          (2005/3/03)
コメント (1)
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