今朝の朝日新聞。死生観に対するアンケート。「死」にどう向かい合うかへの調査。
高齢化+(ガン)死+延命+死後・・・。アンケートに見られる通り、安らかな最期を願うのは、誰しも。そこに宗教の存在もあるのだろう。一方で、そこにつけ込もうとする、いかがわしい「宗教」も存在。
遠藤周作。クリスチャンとして日常的な生活はもとより、人生(死生観)に向き合ってきた作家。その遺作とも言うべき作品が、『深い河』。1993(平成5)年、書き下ろし長編小説として出版された。「深い河」=ガンジス河。死者も生者も包み込み流れる大河をめぐる話。ガンジス河は、これまでの遠藤文学に登場してきた、さまざまな人々が集うところでもあった。生も死も無窮の彼方へ溶け込ませる大河・ガンジス河。
この作品は、その『深い河』の作品研究にとどまらず、宗教的人生についての考察の書。筆者自身も、クリスチャンである。そこに、深い信仰的確信にもとづく遠藤文学の解析がある。ただ、そうした観点でのみ追求したものではないことが読者にとっては大事なこと。
『沈黙』などで、厳格なキリストの教えと日本人としての精神風土とのはざまで苦労し思索してきた遠藤周作さんが、自らの人生の完結を間近に自覚し、生死観にまで至った葛藤を昇華した作品が『深い河』。そこへの宗教的共感の姿勢が、筆者自身への人生の投影にもなっている。
副題に「マザーテレサ、宮沢賢治と響きあう世界」とある。宗教的な自己中心的な立場を越えて、苦悩する人々への共感とよりそいによって、かえって自らの精神生活を止揚し、世界に(人類に)その行動への広がりを見せた二人の人物と対比しながら、遠藤文学の本質(意味するもの)を解き明かそうとしている。
彼岸と此岸。この世とあの世。死と生とをとことん隔てるかの如き深く大きな河。ホントウにそうなのか、死というものを意識し始めるのは、60歳過ぎからというのが、朝日のアンケート結果。
また、あの世があると思う(信じる)の人思わない人はほぼ半数ずつ。生まれれば必ず死ぬ。では、死ねばどうなるのか? 永遠の謎。そこにどういうかたちで希望を見いだすのか、はたまた絶望するのか・・・。
筆者の「あとがき」によれば、
映画化された「深い河」(熊井啓監督作品)感性試写会での遠藤周作さんの言葉にかかわって、
『深い河』は、遠藤氏が「自分の人生が終わりに近づきつつあることを感じ」「文字通り骨肉をけずり」書き上げ、日本人としてキリスト教の信仰を生き抜いてきた人生のなかで捉えた真実を総決算の思いで込めた作品であっただけに、日本のキリスト教界からの反応が乏しいことをさびしく感じていたことが感じられた・・・
むしろ、遠藤氏の作品は、日本人の根底にある感性、しいていえば文化に触れるところがあったのではないか。
遠藤周作。『深い河』を発表した3年後、1996(平成8)年9月26日死去。
高齢化+(ガン)死+延命+死後・・・。アンケートに見られる通り、安らかな最期を願うのは、誰しも。そこに宗教の存在もあるのだろう。一方で、そこにつけ込もうとする、いかがわしい「宗教」も存在。
遠藤周作。クリスチャンとして日常的な生活はもとより、人生(死生観)に向き合ってきた作家。その遺作とも言うべき作品が、『深い河』。1993(平成5)年、書き下ろし長編小説として出版された。「深い河」=ガンジス河。死者も生者も包み込み流れる大河をめぐる話。ガンジス河は、これまでの遠藤文学に登場してきた、さまざまな人々が集うところでもあった。生も死も無窮の彼方へ溶け込ませる大河・ガンジス河。
この作品は、その『深い河』の作品研究にとどまらず、宗教的人生についての考察の書。筆者自身も、クリスチャンである。そこに、深い信仰的確信にもとづく遠藤文学の解析がある。ただ、そうした観点でのみ追求したものではないことが読者にとっては大事なこと。
『沈黙』などで、厳格なキリストの教えと日本人としての精神風土とのはざまで苦労し思索してきた遠藤周作さんが、自らの人生の完結を間近に自覚し、生死観にまで至った葛藤を昇華した作品が『深い河』。そこへの宗教的共感の姿勢が、筆者自身への人生の投影にもなっている。
副題に「マザーテレサ、宮沢賢治と響きあう世界」とある。宗教的な自己中心的な立場を越えて、苦悩する人々への共感とよりそいによって、かえって自らの精神生活を止揚し、世界に(人類に)その行動への広がりを見せた二人の人物と対比しながら、遠藤文学の本質(意味するもの)を解き明かそうとしている。
彼岸と此岸。この世とあの世。死と生とをとことん隔てるかの如き深く大きな河。ホントウにそうなのか、死というものを意識し始めるのは、60歳過ぎからというのが、朝日のアンケート結果。
また、あの世があると思う(信じる)の人思わない人はほぼ半数ずつ。生まれれば必ず死ぬ。では、死ねばどうなるのか? 永遠の謎。そこにどういうかたちで希望を見いだすのか、はたまた絶望するのか・・・。
筆者の「あとがき」によれば、
映画化された「深い河」(熊井啓監督作品)感性試写会での遠藤周作さんの言葉にかかわって、
『深い河』は、遠藤氏が「自分の人生が終わりに近づきつつあることを感じ」「文字通り骨肉をけずり」書き上げ、日本人としてキリスト教の信仰を生き抜いてきた人生のなかで捉えた真実を総決算の思いで込めた作品であっただけに、日本のキリスト教界からの反応が乏しいことをさびしく感じていたことが感じられた・・・
むしろ、遠藤氏の作品は、日本人の根底にある感性、しいていえば文化に触れるところがあったのではないか。
遠藤周作。『深い河』を発表した3年後、1996(平成8)年9月26日死去。