おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

西新宿・十二社

2010-11-21 21:08:45 | つぶやき
 新宿西口の新都心地区の新宿中央公園に接して熊野神社があります。この神社の南西一帯は、かつては「十二社(じゅうにそう)」という町名でした。その名は熊野神社が紀州熊野の十二所の神々を勧請したことに由来しています。ここには大小二つの池と滝がありました。その池の周辺は、戦後、昭和三十年代頃まで、いわゆる「花街」として賑わいました。この二つの池。江戸時代の初期、慶長11年(1606)、湧水をせきとめて田畑の用水溜として開発したもの。新宿中央公園の西側を南北に通る十二社通りの西側、北側に開ける深い谷の底にありました。
 明治以降、池の周囲には、大きな料亭ができ、花柳界として知られるようになり、最盛期には料亭・茶屋が並び、芸者置屋も出来て、ボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われました。
 一帯は、1924(大正13)年には二業地(料理屋、芸者置屋)、1927(昭和2)年には三業地(二業地+待合)として指定されました。
 花街は戦争末期の経済統制と東京の空襲で一旦消滅し、戦後、再度復興。戦前ほどの規模ではないが1950年代には、戦後の最盛期を迎えました。1958(昭和33)年には、「十二社温泉」がオープン。
 その頃をピークに料亭、待ち合いは減少。淀橋浄水場の廃止と副都心の開発、近辺の宅地化などによって大きく変化、弁天池北側の十二社通りに面した一角も、水質の悪化から1968(昭和43)年に埋めたてられました。花街も1980年代半ばには消滅、2009年(平成21)年には十二社温泉も閉館しました。
 ほんの少しの時間。かつての池の辺りを歩いてみました。新宿副都心の何棟もの高層ビル群、新宿中央公園、十二社通り。それを西に入ると、ビルの谷間に埋もれたようにかつての面影が残っていました。
十二社通りから一本西の道路。池の西縁に当たる。
十二社通りから谷を東西に横切る道を望む。池の底の部分。
この辺りには、古い街並みが残っている。
ニューシティホテルのはす向かいには、かつての料亭・旅館風の建物が。


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