おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

左内坂(JR「市ヶ谷」から大江戸線「牛込神楽坂」まで)

2010-11-08 20:29:02 | つぶやき
 週末、JR中央線・市ヶ谷駅から都営大江戸線・牛込神楽坂駅まで歩きました。これまで、市ヶ谷駅に降り立った記憶がありません。外堀通りを渡って北西の方向に。目の前にけっこう急な坂があります。これが「左内坂」。この坂は江戸時代初期に周辺の土地とともに開発されたもので、 開発名主島田左内の名に因み左内坂と呼ばれるようになった。島田家はその後明治時代まで名主をつとめ、代々島田左内を名乗ったということです。
 この坂、見上げるとなかなかの坂。暑い日には汗をかきつつ、雪道にでもなったらすべりそうな坂道。ちょっと息が切れるといったら少し大げさですが。写真は、その坂の途中から外堀方向を見たところ。自転車が一気に下っていくかたわら、年寄りはうつむき気味に上っていきます。坂の途中には、江上料理学校。江上トミさんでしたか、創設者は。この坂にちなんだご当地ビールも売っているとか。
 左にカーブしていくと自衛隊市ヶ谷駐屯地の裏手に出ます。三島由紀夫が演説、その後、割腹自殺したバルコニーのあった建物はずっと西の方に当たります。また、かつての日本育英会(現在は独立行政法人)のビルやJICAの建物もあります。
 「防衛庁」と掲げられた大きな門(別名「左内門」)を左手に見て曲がっていく、その先、少し下った付近。目の前には、大日本印刷の広大な敷地が広がっています。本社、工場と坂道の多い地形の中で、偉容を誇っています。大きな建築工事も行われていて、完成すれば、この辺りの景観もずいぶんと変わっていくことでしょう。
 坂道が多く、道も曲がっていて狭い!ひっきりなしにトラックやら乗用車が建物から出てきて、歩いている危ないくらい、歩道すらありませんので。ここまで来ると、何となく台地上の感じ。新宿区でも昔ながらの町名がこの辺にはそのまま残っています。
 納戸町。細工町。加賀町。鷹匠町。甲良町。箪笥町。二十騎町。山代町。横寺町。矢来町。狭い地域にたくさんの町名があります。上に市ヶ谷とか牛込とかつくこともありますが。それぞれ曰く因縁があって、その解説と案内板が置かれていました。
 また、新宿区立牛込三中は、かつての東京府立四中があったところ。現在も名門の都立戸山高校です。ちなみに府立一中は現在の日比谷高校。二中は、立川高校。三中は、両国高校です。それぞれ今でも伝統校です。
 大久保通りに出ると、そこに、都営地下鉄大江戸線の「牛込神楽坂」駅。箪笥町に所属しているようです。
 坂道と古い地名と近代的なビル、むかしながらの町家・・・。変化に富んだところでした。 
ご当地ビール。「上り坂の時もある。下り坂の時もある。」とありました。
坂道を登り切ったあたり。
左手奥に広がっているのが、大日本印刷。
いろんな町名が記されている。
町名の由来。
府立四中の記念碑。
「二十騎町一番地」の標識。
コメント
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