おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

墨田区立業平公園。江東区立元加賀公園。(震災復興52小公園。その2。)

2013-10-09 23:35:46 | 震災復興小公園
 52ヶ所あった公園のほとんどが、開園当時の原型をとどめていない、とのこと。特に本所・深川地域は昭和20年(1945年)3月10日の大空襲で壊滅的状態になったために、多くの公園は、かつてのような公園のかたちに戻すことなく、新たな公園づくりとなったようです。
 隣接する小学校。東京大空襲では、鉄筋コンクリートづくりのため、校舎の外形はそのままでした(これは当初の意図通りに耐火建築物として周囲の木造低層住宅が跡形もなく壊滅状態になっても残りました。もちろん、校舎内部はほぼ焼き尽くされ、外壁もそのまま使用できるものではありませんでした)が、新校舎建設のために改修され、さらに、近年の教育環境の大変化や建築基準法の見直し等でそれらの要求に呼応して大幅に改築、当時の原型をとどめていません。

 墨田区立業平公園と区立業平小学校もその一つ。
 スカイツリー・「浅草通り」を南に越えたところにあります。
「業平公園」。
かつての面影はまったくない。ただ、樹木を一列に配置した、中央の大きな広場の存在が当時のコンセプトの一端を残している。
西側を望む。道路をはさんだ向かい側が「業平小学校」。
道路をはさんでいるため、学校+公園というかたちではなく、それぞれ独立したものになっている(校庭側フェンスに一カ所、小さな出入口はあるが)。
「Geidai Taito Sumida Sightseeing Art Project」による作品が公園の片隅に。
二連式の滑り台はありました。

 続いて、江東区立元加賀公園。「三ッ目通り」。「東京都現代美術館」のすぐ北東に位置する。ここは、北隣の学校との関係もまだありそうで、開園当時の施設も残っています。
門柱。
「開園 昭和二年八月三一日」。開園は早い方。ということは、すでに86年経過。周りが高層住宅など建て込んでいる一角。先見の明があったというべきでしょう。
壁泉付露床。「元町公園」にあったものと同じような工夫がされている。広場の西隅の中央にあり、大きくてけっこう目立つ。公園の他の工作物・施設の中でもちょっと異質な雰囲気の工作物。
鎖で囲ってあるが、自転車の壊れた車軸が投げ込まれたままになっていた。説明板もないのが残念。
その付近から東側を望む。大きな広場がメインの公園。その東側に藤棚と滑り台などがある。

学校の校庭との通用口が二カ所。それぞれ立派な門扉で、簡単に出入りできるようにはつくられていない。
校庭との間にはフェンスと植え込みがあり、それぞれの独立性が高いものになっている。

藤棚(古木)。これは、開園当時の「パーゴラ(つる棚)」をそのまま、今に生かしたもののようだが・・・。憩いのスペースに。
けっこう幅も長さもある「パーゴラ」仕立て。公園の南外側から望む。
藤棚から西の広場を望む(樹木は植えていないので、近所の幼稚園、子供会などの運動会・催し物には最適)。中央が「壁泉付き露床」。
数人の子どもが野球をしていた。広いスペースを自分たちだけで独り占め。

東側部分の遊具スペース。
二連式の滑り台。「元町公園」のようなコンクリート製で左右対称の滑り台ではなかったが、開園当時のイメージを残した? 
コメント
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